第七話 悲泣
ふと、目が覚める。
今日は月龍が休みだった。朝に訪ねて来た蓮と体を重ね、ほどよい疲労感と共に心地よい眠りに吸い込まれた。
蓮と過ごせる時間は、長くない。眠ってしまうのはもったいないとも思うが、蓮の体温に寄り添って眠るひとときは、至福の一語に尽きる。
本能に流されるまま意識を失い、ようやく目が覚めて――けれどもう少し、ぬくもりに酔いしれたく思った。
蓮を抱きしめ直そうと寝返りを打って、気づく。
隣で眠っているはずの蓮が、いない。
まだ布団にぬくもりが残っている。ならばつい、今しがたまではいたのだろう。
水でも飲みに行ったのだろうか。だとしたらすぐに戻ってくるはずと、蓮の帰りをまどろみながら待つ。
だが蓮は戻ってこなかった。待っているせいで長く感じただけかもしれないがと、月龍は起き上がる。
考えてみたら、せっかくの休みなのだ。月龍が眠ってしまってつまらなくなり、臥牀を抜け出したのかもしれない。
退屈にさせてしまったのなら、申し訳なかった。ならば久しぶりに、何処かに出かけようか。いつもの花畑でも、市場でも、蓮が喜びそうなところがいい。
蓮がいるとしたら、中庭だろうか。
殺風景だったのを見かねて、蓮が花を植えてくれた。その世話をしているかもしれない。
だが、中庭へと向かう前に蓮を見つけることができた。次の間を遮る幕を引いた向こう、壁にもたれて蹲っている。
拗ねてでもいるのか。微笑ましさに、相好を崩す。
「どうした、蓮。このようなところで――」
眠気はまだ、完全には覚めていない。発した問いかけも、自分の耳にすら何処か、のんびりと聞こえた。
けれど、蓮の肩はびくりと反応する。
はっとしたように上げられた顔に、愕然とした。浮かんでいたのは、放っておかれたからと拗ねた表情ではない。
歪んだ眉と見開かれた目――そこから、幾筋もの涙が流れ落ちていた。
「――蓮?」
「ごめんなさい」
なんと声をかけていいのかもわからない。ただ呆然と名を呼ぶ月龍に、蓮は慌てた仕草で涙を拭った。
「まだお疲れでしょう? せっかくのお休みですもの。もう少しゆっくり眠りましょう」
明らかに作り物とわかる笑顔だった。立ち上がり、足早に月龍の横を通り過ぎようとする。
「待ってくれ」
俯き気味の蓮の腕を掴み、引き戻す。
「何故泣いている。なにかあるのか? ならば――」
「ごめんなさい、大丈夫です」
「なにが大丈夫なものか。蓮、なにかあるのなら」
「ごめんなさい」
話して欲しい。
月龍の言葉を遮り、蓮が涙声で謝罪を続ける。
「不快にさせるつもりはありませんでしたの。もっと遠くに離れていればよかった――ここにいる間くらい、我慢していればよかった。ごめんなさい、もうあなたの前で泣いたりしないから――」
「蓮!」
緊迫感を漂わせて弁明する蓮に、とうとう声を上げてしまう。怒鳴り声に、蓮はびくんと身を竦ませた。
「ごめんなさい――これからはもっと、あなたの気に入るように頑張ります。だから怒らないで――お願い、許して下さい」
月龍を見上げるのは、涙がいっぱいにたまった目。歪んだ眉にも引きつった口元にも、月龍への恐怖が表れているようで――胸が、痛い。
「怒っているわけではない。だからそう、怯えないでくれ」
蓮の両肩を掴んで、正面から見つめる。かすかに、蓮の体が震えていた。
――それほど、おれが怖いのか。
心臓が、早鐘のように激しく打っている。
蓮は「あなたの前で泣かない」と言った。「ここにいる間は我慢すればよかった」と。
いつも、月龍に隠れて泣いていたのか。泣けば怒られると思って?
何故そのような思いこみをしたのか。
甘えてくれなくなったのも、そのせいなのだろうか。
痛みすら伴う動悸に、息が苦しくなる。
考えたくはない。考えたくはないけれど――どうしても、あの日のことが脳裏に浮かぶ。
「ごめんなさい」
「謝るな!」
今日、幾度目の謝罪なのか。数えるのも馬鹿らしくなるほどくり返される蓮の震えた声が、月龍の神経を苛立たせる。思わず荒らげた声にまた、蓮の体が竦む。
「お願い、怒らないで――約束を破ってしまった私が悪いのはわかっています。もう泣いたりしないから、だからどうか、別れるなんて言わないで」
懇願の色を浮かべて、そっと月龍の胸元を掴む。
縋りつく動作――以前、月龍が別れ話をすると、決まってこうして引き留めてくれた。
だが今は、別れるなどとは一言も口にしていない。むしろ蓮に一人で泣いてほしくなくて、蓮の力になりたくて言っていたのに。
「あっ……」
胸元を掴むのを見ていたせいか、蓮が小さく声を上げて手を引く。ごめんなさいと言おうとしたのかもしれない。自分の口を押えた後、苦く笑った。
肩を掴んでいた手を、蓮にやんわりと払われる。
「私と一緒になれば、身分だって出世だって思いのままよ。だから捨てたりなさらないでね?」
切なげなため息を落としたあと、上げられた蓮の顔には微笑みが浮かんでいた。




