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冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第七章

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第六話 異変


 異変は他にもあった。

 ある日、月龍が勤めを終えて帰って来たときのことだ。


 いつも出迎えてくれる蓮が、部屋にいない。もし訪ねてきていなければ、門前の兵士に知らされると思うが、それもなかった。

 月龍の邸は、地位を考えれば狭いものだ。それでも中庭も別棟もある。もっとも、別棟はほぼ使っていないから、そちらへ行くことはないだろうが。


 だがいつもの部屋にいないのであれば、そちらだろうか。なにげなく考え、足を向けた先でとすんと音が聞こえた。

 庭からだった。何事かと慌てて駆けつけると、地面に尻もちをついた蓮が、痛みに眉を歪めている。

 見ると、側に梯子が転がっていた。榎の木の前である。

 なにがあったかなどと、訊く必要はなかった。


「大丈夫か」


 華奢な蓮のこと、高所から落ちた衝撃で骨でも折れていないか。心配で駆け寄った月龍に、蓮がはっとした表情で振り返る。


「ごめんなさい、私、お出迎えもしないで――」

「構わない。それより、体は痛まないか」


 早口での謝罪を遮る。月龍に助け起こされながら、蓮が首肯した。


「大丈夫です。――ごめんなさい、心配をおかけして」

「しかし一体どうして……」

「あの小さな木の実が可愛くてお部屋に飾ろうと思ったのですけど」

「そうではなくて」


 枝を指さす蓮に、ため息を返す。


「そのようなことは、おれに言えばいい。帰ってくるまで待てなかったのか? 危険なことはしないでくれ」


 蓮にもし、万が一のことがあれば――考えるだけでもぞっとする。

 なにより、蓮ならば梯子に登らなければならないが、月龍は手を伸ばすだけで届く。帰りを待って、取って、の一言で済んだはずだ。


 蓮はそのような甘え方が上手で、月龍も甘えてくれることが嬉しいのに。


「――ごめんなさい」


 心配からの言葉を、責言として受け止めたのか。神妙な面持ちで項垂れる姿に、ついくすりと笑ってしまう。

 きっと、月龍の帰りを華やかな部屋で迎えたいとでも思ったのだろう。細やかな気遣いに喜びこそすれ、怒るはずもなかった。


「謝らなくてもいい。ただ、今後は気をつけてくれ」


 枝に手を伸ばして手折り、蓮に渡す。安堵にもたらされた笑顔は、たまらないほど愛しかった。


 このときも、以前の蓮であれば待っていただろうとは思ったのだ。ちくりと、違和感の棘が胸を刺したのも、感じた。

 けれど新年を迎えて、蓮も一つ年を重ねた。いつまでも甘え癖の強い、愛らしい少女ではなく、大人に向かって成長しているのかもしれない。


 ――そう考えて気にしないようにしたのだけれど、より顕著に表れる変化には、さすがに反応せざるを得なかった。


 以前は時折だった体の関係が、毎日のこととなったのだ。それも、毎回蓮の方から誘ってくる。


 月龍の帰りを待ち、食事をして共に臥牀に向かう。事を終えたら蓮を趙靖の邸へと送る――毎日、そのくり返しだった。

 月龍が休みの日も、大差ない。以前はよくあの花畑へと出かけたが、それもない。市場へ行ってみるかと誘っても、蓮はただ首を左右に振る。


 ただただくり返される型通りの日々に、飽きたなどと贅沢を言うつもりはない。

 蓮がいて、笑いかけてくれる。愛する女に触れられる幸せは、何物にも代えがたかった。


 けれど、臥牀の上で見せる大胆な振る舞いは、蓮らしくはない。ただ受け入れるだけではなく、蓮から月龍の肌に触れてくる。

 身をくねらせ、腰を振っては乱れた嬌声を上げる――いずれも、以前の蓮からは考えられない行動だった。


 ――あの、別れを言い放った日のことが、嫌でも思い出される。反応を示さないから抱いてもつまらない、と。

 戻って来てくれた日に、あれは本心ではなかったと告げた。蓮も大丈夫だと言ってくれた。

 それでも、不安は残る。月龍のためにと、無理をしているのではないか。我慢を強いるつもりはない。蓮は、蓮らしくあってほしい。


 同時に、希望的な観測も浮かぶ。蓮は元々、大胆なところがあるのは事実だった。従者をまいて一人で市場へ行き、嘘か真か、妖と対峙したこともあるという。好奇心も、意外と強かった。

 こと恋愛に関しては控えめではあったけれど、そちらにも持ち前の行動力が現れ始めただけではないのか。


 実際、前に比べるまでもなく、悲しげな様子を見せることがなくなった。承諾されることを恐れて、月龍が別れ話をしなくなったからなのだろうとは思う。

 それで、安心してくれたのではないか。月龍が相手ならば大丈夫と、羞恥心を消してくれたのかもしれない。だからこその大胆さなのだと思えば、嬉しくもある。

 正体不明の不安に気をとられ、ようやく掴みかけた幸せに水を差したくはなかった。その不安に囚われ、実際にする気もない別れ話で蓮を泣かせていた日々にも戻りたくない。


 ――否、本当はただ、蓮がもたらしてくれる幸せに耽溺したいだけだったのかもしれなかった。

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