第一話 皮肉
衛士に懐剣を提示し、部屋に入った月龍が見たのは、亮の後ろ姿だった。
卓の前でだらしなく座り、酒を飲んでいる。まだ夕方に差し掛かったばかりではあるが、むしろ昼間から飲むことも多い亮のこと、珍しくもない。
足音で、月龍の来訪を知ったのだろう。ちらりと後ろを振り返り、不機嫌そうな顔をする。
「――そうだ月龍、ちょうどいいところに来た。お前に話が……」
言いかけたのを遮り、駆け寄って亮を抱きしめる。持ち上げられる勢いで立ち上がった亮は、驚きに目を瞠るも一瞬、じとりと据わった目を向けた。
「おれにその気はないぞ」
「おれもだ。おれはこれほどまでに蓮を愛しているのに」
歌うように言って、身を離す。
「嬉しいことがあってな、つい」
「ほう」
喜色を隠しきれない月龍に、亮は呆れとも感心ともつかぬ息で応じる。
「あれとは別れたのではなかったか」
耳の痛さに渋面になるも、至極もっともな質問だけに「うるさい」と返すわけにもいかない。そもそもその説明をするために、亮を訪ねたのだ。
「蓮のためにはその方がいいと思っていたが――やはり自分の気持ちに、嘘などつけるものではない」
「というと?」
「昨夜、蓮が戻って来てくれた。傍に居たいと言ってくれたのだ。愛していると――」
話しているうちに、蓮がくれた笑顔が蘇ってくる。再度沸きあがった感激に抱きつこうとするも、心底嫌そうな顔の亮に押し返された。
「それで結局は元の木阿弥か」
口の端に見え隠れする皮肉には、気づいていた。けれど亮がこのような言い方をするのは、今に始まったことではない。気にもならず、首肯する。
「ならば夜もさぞ盛り上がったのだろうな」
にやりと刻まれた笑みは、亮の美貌でなければ下品でしかなかっただろう。普段であれば不快な話題ではあったが、つい月龍も頬が緩む。
「蓮も応えてくれた。初めて、本当の意味で結ばれた気がする」
「――なるほどな」
意味ありげに、ふん、と鼻を鳴らした亮は、元の場所へと腰を下ろす。
「しかしまぁ、どいつもこいつも女にうつつを抜かしおって。お前もあの色欲じじいと一緒だな」
思わず顔を顰める。「色欲じじい」が王を指しているのは明らかだった。あのような昏君と一緒にするなと睨みつけるが、亮は構わず、平然と杯を口に運んだ。
「まったく、女とは恐ろしいものだ」
「悪いか」
「そうは言っていない。実はおれも、似たようなものだ」
ひょいと軽い仕草で肩を竦める亮に、不愉快だったのも忘れて唖然とする。
「お前――好きな女でもできたか」
「いい女だぞ」
ふふ、と小さな含み笑いが返ってくる。
「身を焦がす恋とは、こういうものなのだろうな。人のものを奪ってやるのだと思えば、余計ぞくぞくする」
「人のもの?」
では、誰かの恋人や妻とでもいうのか。だとしたらまた、悪趣味極まりない。
「肌の相性も、おれとの方が良かったみたいだしな。おれのものになるのはまぁ、時間の問題だ」
月龍が非難を口にするより早く、亮が言う。
なんだ、もう抱いたのかと呆れる。同時に思う、その女の恋人なり夫なりも可哀想なことだと。亮が恋敵では、勝ち目などないに等しいではないか。
「血筋的にも問題ない。近いうちに、后に迎えるつもりだ」
「お前が后にしようなどとはな。堅苦しくていかんのではなかったか」
「あれは特別だ。あれが正宮になってくれると言うなら、他の女などいらん」
王子である亮は、正式な妃だけでも三人は娶ることができる。まして王になれば、後宮に居る千人からの美女はすべて、亮のものとなる。
それらを、いらんの一言で捨ててしまおうとは。
よほど惚れているのか。好奇心が首をもたげてくる。
「おれの知っている女か」
「さて。いずれお前にも会わせることになろう。それまでのお楽しみだ」
くくっと喉を鳴らす様は、意地悪な子供のようだった。
まさか嬋玉殿などと言うのではあるまいな。冗談とはなしに思う。
「おれのことはともかく、お前の話だ」
月龍の軽口を予測したわけでもないだろうが、亮が強引に話題を戻す。
「先程の口ぶりではまるで、蓮のために別れようとした、とでも言いたげだったが」
「ああ、実は――」
話を始めようとした月龍に、亮が盃を投げてよこす。どうせ長い話になるとあたりをつけたのだろう。亮の目に促されて、向かいに腰を下ろした。
「実は、趙公に呼び出された」
「ほう、元譲殿に」
月龍の盃に酒を注ぎながら、亮がすぅっと目を細める。
「武功を立てても、蓮との結婚は辞退してほしいと言われた」
「おれの言った通りだな」
亮は面白くもなさそうに応じる。
実際、そうなるだろうから屈してはならぬと忠告も受けていた。趙靖からの圧力に負けない自信はないと、情けない告白もした。
その通りになってしまったのだから、本来であれば言い訳できる立場にはない。自覚があるだけに、口ごもる。
「で、いくら貰った」
片眉を上げた問いかけに、顔をしかめる。質問の意味が、理解できなかった。
月龍の愚鈍さに対してか、亮が刻んだ笑みには明らかな嘲りが浮かんでいる。
「蓮との別れを引き換えに、金でも貰ったのだろう。いくらであれを売り戻したのかと訊いている」
発せられたのは、痛烈な皮肉だった。




