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冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第六章

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第八話 疑惑


 門前を守る兵士が、警戒の色を示しながらも月龍に一礼した。声で応じる代わりに、懐剣の柄を提示する。

 王太子亮を示す文様が刻まれた、懐剣。

 ――蓮を守るために与えられた物も、今となっては無用だった。


 門扉の向こうに待つのは、明かりの灯らぬ暗い部屋。

 蓮と付き合う前までは、その薄暗い様が月龍を安心させてくれた。誰もいない、他人の目を気にせずにいられる一人きりの空間こそが、心を穏やかにできる時間だった。


 けれど今は、その寒さに凍えそうになる。

 蓮と別れて、早五日――蓮のいない部屋がやけに広く感じられて、絶望に襲われた。


 このような日々が、生涯続くことになる。思えば、早く戦場へと向かいたくなった。

 死と隣り合わせで戦っていれば、その間くらいは蓮を忘れていられるかもしれない。


 懐剣だけではない。この護衛兵ももはや無駄だ。無人の館を守る虚しい存在にすぎない。


「おかえりなさいませ、邵様。中で、公主がお待ちです」


 紋様をしっかりと確認した兵士が、深々と首を垂れる。

 どうせいつもの挨拶と聞き流し、門をくぐりかけていた月龍はふと、足を止めた。


「――蓮が、おれを待っている……?」


 振り返った口調は、訝しげなものとなった。

 月龍の反応に、最初は眉をひそめた兵士も、ははぁと何故か得心したように頷く。そして、よろしかったですねと目を細めた。


 何故通したと叱責を飛ばしかけて、すぐに気づく。彼が、先日の件をただの痴話喧嘩とでも思っているのだろう、と。喧嘩の末に出て行った恋人が戻ってきた、くらいの認識ではないのか。


 蓮のいない数日間、月龍は明らかな落ち込みを見せていた。それを知る兵士が祝福するように言ったのは、月龍への好意からだろう。


 しくじった、とは内心の呟きだった。どうせ二度と訪ねて来ることはないと、油断していた。このようなことになるのであれば、別れた旨をしっかりと言い含めておくべきだった。

 後悔するも、すでに遅い。鷹揚を装ってひとつ頷き、館の中へと入って行く。


 足取りが、自覚のないままに弾んだ。


 目に映るのは、室内を照らす明かり。暖房も入っているのだろう、昨日感じた身を刺す冷たい空気はなかった。

 ――そして奥から感じる、人の気配。


 蓮に投げかけた酷い言葉を、忘れたわけではない。嫌われていることも、想像に難くなかった。

 けれど今、慣れ親しんだ幸せの光景が広がっている。


 もしかしたら――浅ましい願望が、心奥部から浮いてくるのを禁じ得なかった。期待のために、高鳴る鼓動を抑えられない。

 蓮が訪ねて来る理由が、復縁を望んでくれている以外に思い浮かばなかった。


 それでも、部屋に踏み込むには度胸が足りない。

 もしかしたら月龍との決別を、はっきりと告げるために来たのではないか。時間を置いて、増した怒りのために居ても立ってもいられず、罵声を浴びせるためではないのか――不安が不安を呼び、次第に悪い考えばかりが頭を占拠する。


 一層のこと、踵を返して逃げてしまおうか。弱気が顔を現す。

 蓮に罵倒されて、別れを決定的に宣言されて、自分が耐えられるとは思えなかった。

 嫌われていると思ってはいても、蓮の口からそう聞かされるのが怖い。


 ――否。それで蓮の気が少しでも晴れるのであれば、受け入れるべきだ。

 いずれにせよ、蓮の姿を見、声を耳にできることには違いない。それだけでも充分なはずだと自分に言い聞かせて、勇気を奮い起こす。


 こくんと音を立てて喉仏を上下させると、部屋を遮る幕をくぐった。


「おかえりなさい」


 呼応するように聞こえたのは、予想外の明るい声だった。緊張のために伏せていた目を、えっ、と上げる。

 蓮の顔をみることはできなかった。視点を定めるよりも早く、仔猫のように胸の中に飛び込んでくる。


 どくんと、心臓が跳ね上がった。

 帰って来たときの、いつもの挨拶を実行されたに過ぎない。けれど、いつもと変わらぬ態度こそがおかしかった。

 久しぶりに感じる蓮のぬくもりに、酔ってしまいそうになる。なにが起きたのか考えるよりも早く抱きしめかけて、なんとか思い留まった。置かれた現状を忘れられるほど、楽天的になれない。


「お疲れさまでした。お食事、準備しますね」


 対応できず、棒立ちになる月龍に、蓮はいつも通りの柔らかな笑顔で言う。

 もう見ることは叶わないと諦めていた、花顔(はなのかんばせ)

 知らぬうちに、夢の中に立ち入ってしまったのではないか。誘われるままに卓の前に、胡坐で座る。


 蓮は料理をとり分け、または酒を注ぎ、月龍の世話を焼いた。別れ話を切り出す前と寸分違わぬ光景が広がっている。

 蓮を侮辱し、傷つけたのは紛れもない現実だった。でなければ、月龍がここ数日陥っていた絶望感を説明できない。


 蓮は一体、なにを考えているのか。どういうつもりでいるのだろうか。

 不安をのせて、ただ見つめることしかできなかった。

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