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冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第五章

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第二話 画策


「ご提示頂けないのですか? やはりあなたは――」

「――月龍!」


 蒼龍が、肚を決めたときだった。不快を含んだ従者の警戒を、高い少女の声が遮る。

 声の主は考えるまでもない、蓮だ。

 従者が放つ険のある声に気づいて、表に出てきたのだろう。外の様子を気にかけていたのかもしれない。


 運はまだ、蒼龍の方に向いている。

 蓮が表を気にしていたのは、蒼龍が来ることを予想していたからだ。あえて「月龍」と呼びかけてきたのも、蒼龍を案じてのこと。


「蓮様、お戻りください」

「でも、このままだと月龍は、ご自分の邸にも入れなくなってしまいます」


 焦燥を顔に描く従者に、蓮は困ったように笑う。


「まだ習慣付いていなから、お忘れになったのね。邸の中に、ありました」

「――本当、ですか?」

「ええ。なんだか外が騒がしいから、もしかして――と思ったら、卓の上に」


 小さく肩を竦めて笑う姿は、「月龍」の失敗を悪戯っぽくからかっているように見える。

 もっとも、それだけで従者が警戒を解くわけもない。眉間に刻まれた皺は、更に深くなる。


「しかし――」

「大丈夫よ、心配しなくて。間違いなく月龍ですから。――月龍も。そのようなところに立っていないで、入ってくださいな。あなたの邸なのですもの」


 鈴を転がすような軽やかな笑い声と共に手を引かれ、邸の中に入る。

 従者はそれを止めなかった。ただし完全に信用したわけでもない。蒼龍と蓮を見送る視線は、当然ながら険しいものだった。

 この分であれば。すぐにも月龍の元へと知らせがいくだろう。ならばやはり、時間はないと思った方がよさそうだった。


「ごめんなさい」


 蓮が足を止めたのは、前庭を抜け、建物に入ってすぐのところだった。これ以上先へ、進ませる気はないらしい。

 もっとも、今まで会っていたときは、門扉までだった。月龍の邸に勝手に立ち入らせられないとの、礼儀だったのだろう。


 今回は特別だった。蒼龍を、月龍として扱わなければならない。しかも前庭部分で話していては、従者などに聞かれる恐れもある。

 それで邸の中に――それでもあまり、奥へは行けない。

 単純なだけの童女かと思っていたが、意外と物を考えているようではあった。


「せっかく来てくださったのに、あまりお話をする時間は取れないと思います」


 蓮が謝ることではない。なのに申し訳なさそうに、眉が歪んでいた。


「月龍は――あなたのことを信用してはいけないと、仰っています」


 亮さまも、と加える声に、胸の内では当然だと思いながらも、悲しげな表情を作って見せる。


「君も、そう思っている?」

「思っていれば、こうやって招き入れたりはしません」


 軽い嘆息と共に洩れたのは、予想通りの答えだった。


「でも、月龍は違います。薛侯(セツこう)のことも、双子だからとの理由で子を捨てる人間など信用できないと。薛家に戻るつもりはない、だからたとえあなたが本当に使者だったとしても、交渉する必要はない――話をしなくていい、と」


 伏せ気味の睫毛が、憂いのために震えている。

 ふと、複雑な想いが去来した。

 蓮が心を砕く相手は、蒼龍ではない。月龍のために、蒼龍との仲を取り持ちたいのだ。


 ――そうだ。だからこそ、蓮の心を奪う必要がある。


「でも、折を見て説得してみるつもりです。いつかはきっと、わかってくれると思いますから」


 きっと、と続けるのは、期待か、決意の表れか。

 軽く伏せていた目を上げ、蒼龍をまっすぐに見上げる。


「だから、それまでは近づかないでください。余計な不信感を与えてしまわないために」


 大きな瞳が、左右に揺れていた。

 涙で輝く瞳は、琥珀――それとも虎目石だろうか。宝玉のような双眸をまっすぐに見つめ返すことができず、思わず目をそらす。


 愚直なまでに信じている蒼龍の企みを知れば、蓮は一体、どのような顔をするだろう。


「――なにかを見せろと、従者は言っていたけれど」


 話を変えたのは、何故か感じてしまう居心地の悪さを拭うためだった。

 ええ、と素直な蓮は頷く。


「亮さまの懐剣を」

「――殿下の?」

「王太子亮の、紋が刻まれた物です」


 亮の紋が刻まれた、懐剣。

 それならば作ることができる。亮の紋は、蒼龍でも知っていた。あとは蓮から、懐剣の特徴を聞き出して――


 否。蓮は「王太子亮の紋」と言った。公にされた亮の紋とは違うのだろう。


「私も、はっきりと見たことはありません。――見せては、くださいませんでした」


 なるほど、蒼龍が護衛の目を盗んで蓮に会ってしまったときのことを考慮したのか。

 そこまで考えているのならば、こうやって入り込んだことはすでに月龍たちへと報告が行っているとみて、間違いない。


 亮は、蒼龍と月龍を見分けることすらできなかった。切れ者と噂を聞いたことはあったが、どうせその程度と侮ったのが仇となったらしい。


「ですから、どうか」


 今日はもう帰って、そしてしばらくは近づかないで。

 続けられるべき言葉は、容易に想像できた。

 幸いなのはまだ、こうやって蓮が蒼龍を信頼していることくらいか。


「――わかった。教えてくれてありがとう。……けれど」


 蒼龍の胸元を、縋りつくように掴んでいた蓮の手に、そっと手を重ねる。


「君は、大丈夫か」


 蓮が偽ってまで蒼龍を招き入れたのは、事実だ。狭量な月龍のこと、これを知れば烈火の如く怒るだろう。

 先日の行動を見ていれば、蓮にも辛く当たる可能性はある。

 それを、実際に心配しているわけではない。ただ、心配していると蓮に思わせることが肝要だ。


 ――その、はずだ。


「大丈夫よ」


 ありがとう。蓮はやんわりと、蒼龍の手を握り返す。

 冷たい指先だった。

 ぞくりとしたのは体温の低さに触れたからか、それとも作り物のように白く、細い指に、情欲でもかき立てられたか。


 まさか。この、幼い娘に。


「わかった。これ以上、君に迷惑はかけられない。今日のところは、引くよ」


 自分の中に生まれた奇妙な衝動を飲みこんで、笑みを刻んで見せる。

 宿を伝え、なにかあれば連絡をくれるように伝えた。

 わずかな寂しさを覗かせながらも、微笑みで見送ってくれる蓮の前を辞して、ふと嘆息が洩れる。


「――王太子亮の懐剣、か」


 どうやって、手に入れたものか。


 簡単に諦めるはずがない。

 蒼龍はすでに頭を切り替え、実行に向けての画策を始めていた。

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