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冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第四章

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第六話 要諦


「どちらを選ぶ。おれか? あの男か」


 問いを発して、ようやく我に返る。そして急激な不安に襲われた。

 もし蒼龍を選ぶと言われたら?

 別れを示唆したのは月龍の方だ。慌てて撤回したところで、蓮の心変わりが成った後ならば、どうしようもない。

 蓮が、愕然と見開いた目で月龍を見る。見つめ返す勇気がなくて、視線を横に流した。


「どうして、そのようなことを言うの?」


 ぽつんと洩れたのは、涙声。

 月龍が目を落とすより早く、蓮は両手で顔を覆った。肩をゆすって泣き始める姿が、酷く不思議なものに見える。

 もし心変わりしたのなら悲しむ必要はなく、まだ想いを傾けてくれているのなら、月龍を選ぶと宣言するだけでいい。


「あなたが薛家の出だと聞いて、嬉しかったのは事実です」


 途切れがちになりながら、蓮は語る。

 息を整えようとしているのだろう。時々、深呼吸を繰り返す。


「でもそれは、あなたの出生がわからぬことが出世の妨げになっていると、亮さまに聞いていたから――あなたも、出世を望んでいると知っているから。薛候に子息と認めてもらえれば、立場は有利になるでしょう? だから――」

「だから、あの男の機嫌を取っていたと?」


 薛と月龍の間を取り持つ蒼龍を、味方につけるためだったと言いたいのか。事実なら、蒼龍を殴り飛ばし、その努力を無にしたことを怒るのは無理もない。

 けれど、言い訳めいて聞こえる。蓮が蒼龍に向けていた微笑みに、計算があったとは思えなかった。

 誤魔化そうとしているのか――自然と、表情が険しくなる。


「――そういうわけでは、ないけど」


 続いたのは、ため息混じりの否定。月龍が怒っているようだから、意図に沿うように答えておこうと思っているのだろうか。

 握り締めた拳が、震える。


「やはり、あの男だから信用した。そういうことだろう?」

「それは――いけないことですか?」


 目元を拭ってはいても、まだ涙は乾いていない。潤んだ瞳の悲痛さは気づいていた。

 けれどそれ以上に、瞬間的な怒りが湧き起こる。


 とうとう開き直ったのか。

 蓮を殴るわけにはいかない。暴れ出そうになる拳を、懸命に堪える。


「好きな人の――あなたの弟君だからと信じるのは、それほど悪いことですか?」


 涙声の訴えに、はっと息を飲む。はらはらと頬に滴を伝わせながら、蓮は続けた。


「蒼龍が、言ったの。双子とは元々、同じ人間だったと――同じ体、同じ魂を分かち合った存在だと。違う育ち方をしたあなたが目の前にいるようで――あなたと同じ顔で笑ってくれるのが、嬉しくて」


 月龍の弟だから信頼した。

 もう一人の月龍と思えばこそ、好意を抱いた――思考の中心に月龍の存在があったのか。


 なんと単純なことか。我ながら呆れる。

 そうして、薛がどうこう言うよりも、蓮の心変わりの方が心配だった自分の傾倒ぶりに気づいて、おかしくもあった。


 いつも根底に、不安がある。

 蓮と月龍の関係は、対等ではなかった。

 身分の違いだけではない。想いの強さに、圧倒的な開きがある。

 月龍が一方的に惚れ込んで、追いかけて、ようやく掴まえたのだ。蓮が同じように想ってくれると、無条件で自惚れることができない。

 けれど、今の言葉に嘘はない。蓮の涙が証明してくれた。


「すまない、蓮」


 手を伸ばして、そっと蓮の頬に触れる。ぴくりと蓮の睫毛が震えた。

 不安げに向けられた目線を遮るように、ゆっくりと抱き寄せる。


「君を、泣かせるつもりはなかった」


 調子のいいことを言っている。頭の中で自嘲が響いた。

 蓮の涙でようやく安堵し、落ち着きを取り戻したくせに。


「突然現れた弟、知らされた出自――動揺した。どうしていいのかわからなくて、君に当たってしまった」

「――そう、でしたの」


 腕の中で、ため息が洩れたのを感じる。これこそ、言い訳だった。

 もっともらしい嘘に、蓮はきっと同情する。


 ――蒼龍にも、そうだったように。


「困惑して、当然ですよね。やはり、前もってお伝えしておくべきでした。ごめんなさい。あなたのことを考えているつもりだったけれど、あなたの心境を、全然わかってなくて……」


 月龍の背に回された、小さな手。しっかりと抱きしめた蓮の髪から、ふっと花の香りがした。

 甘い香りが、鼻孔に広がる。


 胸に沸いたのは、色欲ではない。

 蓮への遠慮から、ずっと蓮に触れられなかった。深い繋がりを持てないことが、不安を募らせる一つの要因かもしれない。


 もっと奥、深いところで蓮と結ばれたい。


 そっと、衣服の上から蓮の胸に手を伸ばす。びくりと身が竦んだ。


「嫌なら、やめる」


 手の中にある膨らみをゆっくりと撫でながら、身を屈めて耳元に囁く。蓮の体が、硬直していた。

 けれど、抵抗の気配は感じられない。


「君の気持ちを、肌を通して実感したい。――受け入れて、くれるか」


 なるべく優しく聞こえるように、努力した。

 怒鳴ってこそいないが、つい先程まで冷たい物言いをしていたのも事実だ。怖がらせたくはないし、強要もしたくない。

 言葉通り、蓮の気持ちを感じたいのであって、体を欲しているわけではないのだから。


 わずかに身を離して、蓮を見つめる。

 蓮も、真っ直ぐに月龍を見つめ返していた。


「――大丈夫」


 強張っていた蓮の頬が、微かにほころんだ。

 いつものような満面の笑みではないけれど、恐怖に引きつったものでもない。


「あなたが望むなら――私は、大丈夫です」


 ――大丈夫。


 もう一度小さくくり返して、蓮の方から唇を寄せてきた。

 感激が、月龍の胸を震わせる。軽い体を抱き上げたときに強くなった花の香りが、さらに幸せを実感させてくれた。

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