表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/144

第六話 逃避


 つまらないことをした。蓮を振り切って逃げた後、邸に戻って頭を抱える。

 亮が言う通り、すぐにでも蓮と話をするべきだ。

 わかっているし、そのつもりであったのに、蓮の顔を見ると何故か、逃げることしか考えられなかった。


 否、蓮の顔を直視することもできなかった。


 鍛錬の最中に視線を感じ、振り向いた先に蓮がいた。蓮だと認識した瞬間に目をそらしたのは、怖かったからだ。

 蓮の表情は、強張っているかもしれない。瞳に憎悪を宿して、睨んでいるかもしれない――それを確かめたくなかった。


 鍛錬が終わってからも、やはり向き合うことができなかった。蓮が待ってくれていることは知っていたのに、顔を見る勇気がなくて逃げた。

 背後から迫る蓮の足音は、月龍の恐怖心を煽る。恐怖に追い立てられて、逃げ出したのだ。


 蓮が転んだのには、気がついた。足を止め、振り返りそうになったのをぐっと我慢する。

 振り向いてしまえば、蓮の存在に気づかなかったと後で言い訳できなくなるからだ。


 自分勝手だと思う。まして、逃げてもなんの解決にもならないことはわかっていた。

 けれど少し、時間が欲しい。もう少し間を開ければ、蓮の顔を見ることができるのではないか。

 きっと落ち着いて話すことも、謝ることもできる。


 その間を、蓮がどのような想いで過ごすのかということに思い至らないのが、月龍たる所以であろうか。


 薬に手を伸ばしかけて、頭を振る。さすがに記憶障害が起きたかもしれぬと知った上で、服用する気にはなれなかった。

 ただ、素面でもいられぬ。結局、手っ取り早く酔いをもたらしてくれるもの、酒の力に頼った。


 このようなときは、酒に強い己の体質が恨めしい。いっそ弱ければ早く酔い潰れて眠れるだろう。

 そうでなくとも前後不覚になるなり気が大きくなるなり、厭なことを忘れられる。


 声が聞こえたのは、幾度杯を空にした頃だろうか。声の主は――亮の従者。

 既知感が浮かび上がる。他でもない、蓮と(こじ)れた日のことだ。


 また蓮がいるのではないか。

 ――否、いるのだろう。確信があった。


 顔を合わせたくない。出て行きたくは、ない。


 けれど月龍の邸は大きくはなく、表からも様子は窺える。室からもれる明かりを見れば、在宅は知れてしまう。

 その上で居留守を使うのは――言い訳が立たなくなる逃げ方は、できない。


 気は重いが、足取りは以前ほど重くはなかった。すると、門まではさほど時間はかからない。覚悟を決める間もなく、門扉を開く羽目になった。


「月龍!」


 聞こえた蓮の声に、憎しみはない。安堵の色さえ感じられた。――月龍の願望がさせた錯覚でなければ。


「これは――公主。なにか御用ですか」


 これはもなにもない。最初からわかっていたのだ。なにか用かなどとは白々しいにもほどがある。

 用向きは、痛いほど知っているのに。


「会いたかったから、では理由になりませんか?」


 理由にはなる。ただ、会ってどうしようと言うのか。

 罵倒するのか、恨み言を並べ立てるか――いずれ、今までのように穏やかな時間を過ごせるとは思えなかった。


「あの、私、あなたにお話があって――」

「申し訳ないが、来客中です」


 話とはなにか。別れ話ならば聞きたくない。

 先延ばしにするだけでもいい、少しでも長く蓮の恋人という立場でいたいと、浅ましくも思った。だから、本来は得意ではないはずの嘘もするりと口をついて出る。


 来客などと馬鹿馬鹿しい。邸に呼ぶほど親しい人間など、亮、蓮の他に誰がいると言うのか。

 亮は軽々しく外出などできる立場ではなく、蓮は目の前にいる。


「それで、一緒にお酒を召し上がって?」


 呼気に酒の匂いでも感じたのか。蓮の問いに、何故か酷く恥ずかしいことに気づかれたように感じて、口元を覆う。

 酒を飲んでいたからではなく、酒に逃げたことを見透かされた気がしたのだ。


「だから――私が声をかけたときも、急いでいらしたから立ち止まっては下さらなかったの?」


 そうだと頷くことはできなかった。それでも一言、急いでいるからまたと言えばすむ話、そう責められる。


「声を? それは申し訳ない。気づかなかった」


 あらかじめ用意していた台詞を言い捨てる。我ながら見え透いていた。蓮に目を落とすこともできない。蓮が真っ直ぐに見つめてくる視線を感じるほど、余計にそちらを見ることができなかった。


 横に流した目線の先には、亮の従者が在らぬところを向いて立っている。傍を離れる訳にはいかぬ、かといって貴人の会話――それも痴話――を興味津々と聞くわけにもいかぬ。

 耳に入ってはいても聞かぬ振りをしなければならないのだから、ご苦労なことだ。


 ぎゅっ、と胸元に重みを感じた。蓮が、月龍の衣服に縋ったのか。反射的に視点を落として――

 蓮の大きな瞳がやけに輝いて見えるのは、涙のせいか。


 瞬間、背中を冷たい物が駆け上る。


「月龍、私」

「申し訳ないが、中で客人を待たせてあるので失礼する」


 蓮の言葉が終わるまでなど、待てなかった。縋りついてきた手を払い、踵を返す。

 莫迦なことをした。

 すでに後悔に襲われる。今すぐに振り返って駆け寄り、非礼を詫びるべきだ。

 そして昨夜のことも謝罪する。それで決着は着くはずだ。


 ――蓮の笑顔か、蔑みの目か。


 二つに一つ。けれど確率は五分ではない。恐らく結果は後者だ。月龍にはそうとしか思えない。

 だとしたらできることは、逃げの一手だけだ。


 この阿呆、お前は一生逃げ続けるつもりか。胸の内で聞こえたのは自分の声ではなく、亮のものだった。

 実際、月龍の態度を知ればきっとそう言うだろう。


 ――そう考えることが、すでに現実からの逃避に他ならない。

 分析する冷めた自分を頭の片隅に感じながら、本能的な恐れに突き動かされて、門扉を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ