表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/148

第四話 不安


 思えば、昨夜は初めから月龍の様子がおかしかった。

 蓮の前ではいつも「私」と呼称する。だが昨日は「おれ」と言っていたし、言葉遣いもぞんざいだった。


 体調不良のせいで機嫌が悪いのだろう。思うから、さして気にもしなかった。

 むしろ、常に遠慮気味に接してくる態度に寂しさを覚えていたから、嬉しいとすら感じられた。

 亮と一緒にいるときの月龍みたいで――蓮のことも、亮と同じくらい親しんでくれているように思えて。


 それがまさか、あのようなことになるとは。


 蓮は幼いと、亮によく言われる。そうだろう、とは自分でも思う。だから月龍に言われるまで、夜を共にすることの意味など考えもしなかった。

 言われて見ればその通りである。蓮の幼さ故に今まで躊躇していたのだとしたら、申し訳なかったと思う。

 自然の成り行きならば受け入れよう、そう覚悟はしたのだけれど。


 ――怖かった。

 押さえつけられたときの力の強さ、蓮を見る月龍の目付き。耳元に吐きかけられる荒い息と、そして。


 想像を絶する、痛み。


 激痛などという言葉だけで、表現できるものではない。抱きしめられて、月龍が体を揺する度に身を引き裂くような痛みに襲われる。


 耐え切れなくて、蓮は泣いた。許して、助けてと幾度懇願したか知れない。

 けれど、月龍は解放してくれなかった。繰り返される激痛の波に、意識は次第に遠のいていき――

 本当に、気を失ってしまったのだろう。蓮が意識を取り戻したとき、もう辺りは明るくなっていた。


 体がだるい。節々も痛んだ。なにより、下腹部に残る鈍痛が、昨夜のことが夢ではないことを証明している。

 臥牀の上に、月龍の姿はなかった。

 無理もない。もう昼を過ぎている。蓮が目覚めるまで待っていては、仕事に遅れると判断したのだろう。

 蓮を無理に起こさなかったのは、優しさなのだと思う。だから、寂しいなどと感じるのは筋違いだ。


 ――わかっているのに、心細く思ってしまうのはやはり、わがままなのだろうか。


 ため息を飲み込んで移した視線の先に、きちんと畳んで置かれた蓮の衣服があった。意外に几帳面なところのある月龍らしい。

 蓮はそれを羽織り、身なりを整えてから表に出る。

 誰もいないと思っていたから、おはようございますと声をかけられて、驚いた。

 見ると数人の男性がいて、馬車が準備されている。邸に送るようにと月龍が手配してくれたようだった。


 少し、安堵した。

 仕方がないとわかっていても、一人にされたことに対しての不安は拭えなかったのだ。

 けれどこうやって、蓮を気遣ってくれる。意味もなく放置されたのではないと、思うことができる。


 だから蓮は、行き先を変えた。

 月龍が指定したという蓮の邸ではなく、宮殿へ――今、月龍がいるはずの所へ。


 いつものように、亮の部屋で待とうかとも思った。けれどなんとなく、顔を合わせ辛くてやめる。

 それに、昨日、一昨日と月龍は亮の元へ来なかった。今日も必ず来るとは限らない。

 確実に会いたかったから、月龍がいる練兵場へと向かった。


 兵士の訓練を見るのは、本来は衛尉の仕事ではない。だが月龍は技量を買われて、武術指南の役回りをしている。

 遠くからでも、月龍の姿を見つけるのは容易だった。

 立派な体格の兵士達の中にあってさえ、月龍は長身である。また、一挙手一投足、すべてが美しい。

 武芸などまるで知らぬ蓮が見ても、月龍の実力が抜きん出ていることくらいはわかった。

 今日は少し、動きに精彩を欠いている気もするけれど――それでもやはり、綺麗だった。


 見つめる蓮の視線に気づいたのか、ふと月龍が振り返る。

 目が、合った。

 確かにそう思ったのに、月龍は表情を緩めることなく、すぐに目をそらした。


 気づかなかったはずがない。蓮の顔を素通りしたのならば、その可能性もあるだろう。

 けれど、月龍の目は一度、蓮の上に止まった。それから、慌てたように元の方向へと戻したのだ。

 それも、頬には強い緊張の影を貼りつけて。


 まるで、蓮の顔など見たくないとでも言いたげな所作だった。


 きっと、気のせいだ。月龍が蓮を避ける理由はない。――ないはずだ。

 けれど、一人で目覚めたときから感じていた、漠然とした不安に襲われる。


 昨夜の月龍は確かに不機嫌だった。その理由が、蓮にあるのか。

 だから、契りとも呼べぬ乱暴な行為に走り、素直に受け入れることができなかった蓮に対して、さらに憤っているのかもしれない。

 心配を裏付けるように、月龍は鍛錬が終わるまで、一度も蓮に目を向けなかった。


 否、終わるまでではない。終わってからも、だ。蓮がここにいると知っているはずなのに、一瞥も向けない。

 兵士達への挨拶などもほぼなく、蓮に背を向ける形で真っ直ぐに歩き出した。

 向かう方角が亮の部屋であれば、安心したかもしれない。だが月龍の足が向かったのは、厩の方向だった。


 帰宅するつもりなのだ。


「待って」


 蓮は遠くから声をかける。

 月龍は振り向かない。足も止まらない。むしろ速度は上がったように見える。

 蓮も、懸命に追いかけた。けれど足の長さも、速さも違う。

 蓮が小走りに追っても、月龍が早めた歩きにすら追いつけない。


「月龍!」


 今度は名を呼んだ。ただ言葉をかけるより、気づいてくれる可能性は高い。

 それでも、月龍は止まらなかった。


 だからこそ、蓮も止まれない。

 亮のように、護身術くらいは身につけておけばよかった。そうしたらまだ少しは体を動かすことに慣れていただろうし、もっと速く走れて、月龍にも追いつけたかもしれないのに。

 悔やんでも仕方がない。今はただ、懸命に走るだけだ。


「あっ」


 走ろうと、力を入れて床を蹴ったせいだろうか。不意に深奥部がずきりと痛む。

 ――月龍が残した、痛みの痕が。


 踏み出した足から力が抜ける。均衡を失った体は、がくんと前のめりに倒れた。

 速度がなかったのと体重の軽さのせいか、転んでも大きな音はしなかった。

 だというのに、月龍の足が一瞬止まる。


 そう、ほんの僅かな間だったけれど、月龍は確実に立ち止まった。

 蓮が追っていること、倒れたことを承知したはずだ。

 戻ってくれると思った。甘えているのかもしれないけれど、きっと助け起こしてくれると期待した。


 まさかそのまま歩みを進めるとは――蓮から遠ざかって行くとは、思ってもみなかった。


「大丈夫ですか」


 月龍の背中が、段々と小さくなっていく。

 もう、後を追うこともできなかった。床に座り込んだまま、愕然と月龍の後ろ姿を見送る。

 すっと手が差し伸べられたのはそのときだった。蓮の目は自然と、手の主へと向く。

 見覚えのある顔だった。どなたかしらとしばし考え、ようやく思い出す。


「あなたは――」

紫玉(シギョク)と申します、公主」


 いつだったか、蓮にぶつかってきて憎しみを露にしていた、あの女官。

 蓮は彼女の手を借りて立ち上がる。


「ありがとうございます、紫玉さま」


 足の痛みと、月龍に避けられたことによる混乱が、蓮の笑みをぎこちないものにする。

 紫玉が刻んだ微笑は、冷たいものだった。


「私が申し上げた通りでしょう? 本当に、酷い男」


 紫玉が以前言った事柄――月龍に関する、悪い噂。

 女癖の悪さと非道ぶり、そして亮との爛れた関係。


 亮とのことに関しては、信じる価値など見出せなかった。思わず、まぁ本当に、と笑い出してしまったくらいだ。

 亮と月龍は、確かに仲が良い。誤解されるのも肯けた。

 女癖については、むしろ否定できる材料を見つけられなかった。紫玉だけでなく、他者からも聞かされた話である。

 月龍ほど容貌と武術に秀でた男性を、女性が放っておくとも思えない。誰とも経験がないと言われた方が嘘だ。


 だがそれらは、蓮と知り合う前のこと。以前の女性関係について文句を言ったところで、過去が変わるわけではない。

 大事なのは、現在だと思う。

 月龍はぶっきらぼうではあるけれど、蓮にはいつも優しかった。だから気にせずにいられたのだ。


 ――自分に対しては違う、大切にしてくれている。

 亮の仲介なのだからと、どこかで特別視を期待し、高を括っていた可能性を否定できなかった。

 けれど、違ったのではないか。ただの自惚れに過ぎなかったのかもしれない。


「先程の態度を見れば一目瞭然。あなたも私と同じ、結局は弄ばれたに過ぎないということです。あとはもう、捨てられるだけですね」


 お可哀相に。

 くすくすと笑い声が続く。


 月龍と蓮の間になにがあったのかなど、紫玉にわかるはずがない。偶然通りがかっただけの紫玉が見てもはっきりとわかるほど、月龍があからさまに蓮を避けた。

 それが、事実だ。


 蓮が感じたのは、単なる不安ではなかった。きりきりと胸を締め付けるのは、恐怖に近い。

 鼓動が鳴る度に走る痛みに、眩暈さえ覚えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ