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冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第二章

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第五話 違和感


「公主」


 起こさぬようにひっそりと、足音すら殺して亮の部屋を辞した後、歩き出した蓮を止めたのは月龍だった。


「そちらではなく」


 こちらへ、と手で指されたのは、表の方向だった。

 普段は、宮殿内の厩へと向かう。最初の頃は、馬を引いてくるまで表で待ってほしいと言われていたし、本来ならそうすべきなのもわかっていたが、一緒にいられる時間は少ないのだからと強硬について行った。

 今は諦めたのか、注意もされなくなっていたのだけれど。


「でも」

「馬はもう、表に停めてあります」


 平然とした返答に驚く。今までの習慣を変えるだけの理由は思いつかなかった。

 見上げる先に、月龍の憮然とした横顔が見える。


「実を申し上げると、一度、邸に戻ったのです」


 視線に気づいたのだろうか。答える月龍の語調は、言い訳するような早口だった。

 確かに邸から宮殿に向かったのなら、すぐに蓮を連れ帰るのに、わざわざ宮中の厩まで行く必要はない。


 問題は何故、一旦は帰った月龍が訪ねて来たのかということだ。


 急用で、遣いも出さずに慌てて邸に戻ることはあるだろう。

 用事を済ませて、ふと蓮を思い出した可能性もある。待ちぼうけを食らわせるわけにはいかないと、思ったのかもしれない。

 遣いを出すにも、月龍の邸には従者もいないと聞く。遣いを頼むには宮中に来なければならず、どうせ宮殿に来るなら自分が行った方が早い。

 そう考えたとすると、おかしな言動ではなかった。


 けれど、月龍はそのような気の回し方をする性格だっただろうか。


 月龍の眉間に、また皺が寄っている。ちらりと落とされた目と、月龍の視線が絡んだのも一瞬、再びそらされた。

 怒っているというよりは、困っているように見える。


 そこまで考えて、ようやく気づいた。

 亮の部屋に入って来た時から、月龍の様子はおかしかった。それは睦まじそうな亮と蓮に起因する。

 もしかしたら部屋に入ってくる前にも、その姿を見ていたのかもしれない。

 声をかけきれず、一度は帰った。だがやはり気になって話しをしに来たのではないか。

 だとすると、蓮に事情を説明しにくいのにも頷ける。


 自分よりも年上で、体も随分と大きな男性に対する感想としてはおかしいけれど、可愛いと思ってしまった。


「公主?」


 突然、くすくすと笑い出した蓮を訝しく思ったのだろう。呼びかけてくる月龍に笑みを向けて、腕に腕を絡ませる。


「いえ、なんでも。参りましょうか」


 月龍が見せた驚きの表情は、長くは続かなかった。すぐに微笑が浮かぶ。

 渋面が多い月龍が見せてくれた優しい顔に、しばし見惚れる。

 自分がこのような表情を引き出したのだと思うと、やはり嬉しかった。


 案内された先に停められていたのは、いつもとは違う馬だった。

 さして不思議ではない。月龍が数頭の馬を所持しているのは知っている。邸に戻ったのなら、直後に往復させる負担を嫌って替えてきたのだろう。

 一人では馬に乗れない蓮のために、手を貸してくれる。

 共に乗馬した時の、後ろから抱かれる形になるのが好きだった。背中に感じる体温と、手綱を持つために回された両手に、包みこまれるような安心感を覚える。


 ずっとこの時間が続けばいい――そう願う間もなく、蓮の邸に着いてしまう。実際よりも随分と短く感じられる、半刻だった。

 昨日までと同じ場所で、馬を止める。先に下りて、蓮が下りるのを手伝ってくれるのもいつもと変わらない。

 違うのは何処か、柔和さを纏った月龍の立ち居振る舞いだった。


 蓮に対するとき、月龍には緊張が見えていた。それを寂しく思っていたから、この変化は嬉しい。

 思わず、月龍の胸に飛び込む。

 今まで親しく接してきたのが、兄や亮といった身内ばかりだったせいか、すぐに甘えてしまう蓮の悪い癖だ。月龍にも同じ感覚で飛びついて、何度も困らせた。


 また、困らせてしまう。

 我に返った蓮が身を離すよりも早く、やんわりと抱きとめられた。


 驚くというよりは、嬉しい。単純に蓮の甘え癖に慣れただけかもしれない。それでも、ずっと感じていた月龍との距離が縮んだ気がする。

 目を上げた蓮の頬に、月龍の手が当てられた。優しい目が、蓮を見つめている。

 自然の流れに沿うような動きで、唇が寄せられた。


 ――その自然さこそが、不自然だった。


 思い返してみれば、違和感は初めからあった。

 亮の部屋に入って来たときの挙動不審、雰囲気の違い――馬そのものや、停められていた場所も違う。

 ただそれらには、納得できるだけの理由があった。だからさして、気にしていなかったのだけれど。

 蓮は身を捩る。


「やめてください」


 唇が、触れる寸前だった。

 無理強いをするつもりはないのか、軽く胸を押しただけで放してくれる。口元に、微苦笑が滲んでいた。


「失礼した。少し、性急に過ぎたようで」

「違う」


 言い訳を遮る声が、硬くなる。目付きが鋭くなるのを自覚した。


「月龍は、このようなことはしない」


 はっと息を飲む音。

 驚愕のためか、それとも他に理由があるのか。眉根を寄せての謝罪が続く。


「申し訳ない。公主に対するご無礼、お詫び申し上げる。けれど決して、軽い気持ちではなく――」

「違います」


 蓮と出会う以前、月龍の女性関係が褒められたものではなかったことは、知っている。

 先程の行為も、遊び慣れた男が本性を見せたのかと思えば、不思議ではない。そもそも付き合い初めて数ヶ月、触れられるのは当然ですらある。

 遠慮を取り払ったからこその言動かもしれない。

 けれど、どうしても腑に落ちなかった。


「あなたは、月龍ではない」


 小さな違和感の積み重ねが導き出した答えは、それだった。

 はっと、ため息にも似た短い笑声が吐き出される。


「公主はなにを仰っているのか。私が月龍ではないなどと――昨日の今日で、この顔をお忘れになったか」


 笑みを刻もうとした唇の端が、引きつっている。

 ――まるで、いつもの月龍のように。


 同じ顔と、同じ声。

 けれど、月龍ではない。

 焦ったように言葉を繋げる姿に、確信が深まる。

 ――少なくとも、蓮が知っている月龍とは、違っていた。


「――あなたは、誰?」


 月龍の――否、月龍によく似た男の否定を無視して、問いかける。

 瞬間、男の顔から無理に浮かべられていた笑みが消えた。

 優しげな色を湛えていた瞳には、鋭い眼光が宿る。――このような表情をすると、月龍そのものだった。


 男が、すぅっと目を細める。

 二人の間を、冬の到来を感じさせる冷たい風が、吹き抜けて行った。

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