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冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第十四章

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第二話 堕胎


 僥倖を前にしたにしては、浮かぬ蓮の顔が不思議だった。疑問を、率直に口にする。


「どうした。嬉しくないのか。おれ達の子が、生まれるのだぞ」


 その可能性を聞かされたとき、月龍は喜びよりも驚きの方が強かった。蓮もそれと同じで、まだ実感が湧いていないのかもしれない。

 否、妊婦には身体の具合が悪くなる者も多いと聞く。実際、蓮はずっと臥せっていた。

 元々小柄で、年齢も若い。体が妊娠という変調に耐えられず、より強く負担となっているのではないか。

 それで喜びを表すにも表せず、身体の辛さの方が前面に見えているのかもしれない。


 だがそれにしても、憔悴の色が濃い。これではまるで、悲嘆に暮れているようではないか。


 何気なく浮かんだ考えに、はっと息を飲む。

 何故、今まで気づかなかった。信じられぬ幸福のために、我を失っていたせいだろうか。


 簡単な可能性だ。月龍にとっては至上の喜びではあっても、蓮にとっては違うかもしれない。

 今現在、月龍は蓮から見て「愛しい男」ではなかった。むしろ憎悪の対象ではないのか。

 そのような男の子供を孕まされて、嬉しいはずがない。


 昨夜のことを思い出す。そして今、蓮が口にしようとしていた盃にも目を落とした。

 水でも飲もうとしていたのかと思っていたけれど、違った。盃の中身は、なにやらどす黒く、濁った色合いが見て取れた。


 ――月龍の、予想通りに。


「まさか――堕ろすつもりだったのか」


 ぎりっと食いしばった歯の間から、呻きにも似た低い声が洩れる。

 そのようなことはないと、否定してほしかった。

 水浴びも言葉通り体を洗うためで、杯の液体も体調を整えるための薬だと言ってほしい。

 祈りを込めて見つめる先で、蓮の頬が凍りつく。


 無言のままの、肯定だった。


 心を失いながら、蓮は何故こうも素直なのだろう。

 胸を震わせていた感動は一瞬で消え、代わりに訪れたのは激しい絶望だった。


「だから真夜中に冷水を浴び、そして今、そのような怪しげな薬を口にしようと――」


 返事を求めた問いかけではない。確かめたくもなかった。


 何故そこまで、と思う。

 子供を、どれほど小さな命でも愛せる蓮。その蓮が、自らの身に宿った命を消し去ろうとするとは。


 そもそも、確実な堕胎などはない。公主の身に危険を及ぼすようなことを、まともな医師が引き受けるとは思えなかった。

 ならば薬を授けたのは、闇医者の類いだろう。そのような連中は、人の生死になど構わない。


 月龍はそれを、身をもって知っている。

 初めに例の薬を処方した医師は、多量のそれを求めた月龍を諫めた。

 同じ物を他の医師に頼めば、金を積んだだけで渡してくれた。

 どちらが月龍の体を慮っていたのかは、考えるまでもない。


 蓮が頼ったのは、おそらく後者だ。


 俯く蓮を、これ以上直視できなかった。顔を覗きこむために曲げていた腰を伸ばす。

 ぎゅっと顔をしかめ、肩に顎をつける月龍のずっと下の方、両の拳が太腿の横で震えていた。


「おれの子を産むのが、それほど嫌か。その命すら厭わないほどに」


 考えなければ。衝撃に胸を痛めながらも、必死で頭を巡らせる。

 このまま放っておいては、いつ月龍の目を盗んで堕胎しようとするかわからない。なんとしても阻止しなければならなかった。


 蓮との子供がほしいというだけではない。不確かな堕胎を試みて、蓮の命、そのものが失われてしまったら。

 考えるだけでもぞっとする。それでなくとも出産に危険はつきものなのだから、その確率を蓮自らに上げさせるわけにはいかなかった。


 一層のこと、産んでくれと素直に頼んでみようか。いつかのように蓮の足に縋りつき、泣きながら懇願すれば同情を買えるかもしれない。


 否、無理だ。いくら蓮が優しかろうと、今更月龍に憐れみをかけてくれるとは思えない。あなたの頼みなど聞きたくないと、むしろ意地にさせてしまうのではないか。


 では、今蓮が抱いている月龍への不信を利用した方が可能性はある。


「お前の命など知ったことではないが、子供まで道連れにされてはたまらない」


 発する言葉に傷つけられたのは蓮か、それとも月龍自身か。

 胸が痛い。引き裂かれそうだ。

 蓮のために別れようと決意した、あのときと同じだった。

 ふっと顔を上げた蓮から、視線をそらす。


「せっかくの好機を、無にしてもらっては困る」

「好機、ですか」

「公主を孕ませるなど、成り上がりのおれとしては上出来だ。もう出世がどうのと、悠長なことは元譲(ゲンジョウ)様も言うまい。おれは晴れて、外戚入りできる」


 そのようなことが目的では、決してないけれど。


「軍の要職にある身としても、跡継ぎができるのは好ましい。それを、お前の一存で殺すと?」


 なんという酷い言葉か。

 口から吐く毒気に当てられでもしているのか、胃のあたりに不快な熱がたまっていた。

 だが、君を愛しているから産んでくれ、などと縋るよりはよほど信憑性がある。たとえそれが掛け値なしの本音だったとしても、「蓮の中の月龍像」を演じる方が肝要だ。


 表情は消えたまま、それでも探る鋭さを持った蓮の目が向けられているのを、頬に感じる。

 あえて横を向き、冷たい顔を見せなければならない。

 もし目を見てしまえば、想いをこめてしまう。信じてはくれなくとも、真意を見抜かれる可能性は出来得る限り排しておきたかった。


 どれくらいの間、蓮の凝視は続いたのだろうか。ふぅ、と吐き出された細い息に、小さな声が乗る。


「――畏まりました」


 そうしろと命じられるかと思ったのか、蓮は月龍の目前で盃に入った薬を捨てた。

 完全ではないけれど、差し当たっての危機は免れた。ため息を飲みこみながらも、月龍は安堵せざるを得なかった。

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