第四話 無力
狙ってのことだったのだろうか。瞬きもせずに注視していた蒼龍の目が、きらめいた白刃の眩さにくらむ。
時間はほんの半瞬。だが隙を見逃す月龍ではなかった。
距離は一気に詰められる。蒼龍の目が戻ったときにはすでに、月龍の姿は臥牀の上にあった。
自失のために硬直していた蓮を掴まえるのは、容易かっただろう。後ろから羽交い締めるように抱いた蓮の白い喉元には、刀が突きつけられていた。
「もう一度言う。帰れ。さもなくばこの女を殺す」
できるわけがない。
愛した女を斬るなどあり得ない、そのような希望的な考えではなかった。蓮は公主である。それを手にかけて、無事でいられるはずがない。
そもそも刃を向ける行為だけでも充分、斬首に値する。今まで振るった暴力だけで死罪となってもおかしくない。
それを平然と行った男なのだ。今更ためらいなどないかもしれない。
月龍の瞳の奥深く、宿る怪しい光は――狂気。
近づこうとすれば、月龍は蓮の肌に切っ先を滑り込ませるだろう。
「――大丈夫よ、蒼龍」
今、なにができるのか。
幾度もの逡巡をくり返し、回答も得られず立ち尽くす蒼龍に向けて蓮が微笑みかける。自分は未だ刀を突きつけられたままだというのに――恐怖を覚えているはずなのに。
「心配しないで。私なら大丈夫だから、お帰りになってください」
腕の中の蓮に向けられていた月龍の眦が、丸くなる。次に緩み、最後にはまたつり上がった。
感情が動いたことだけはわかったが、どのようなものだったかは判然としない。
ただこの状況であってさえ、自分の身より蒼龍を心配する蓮の微笑みが、胸に痛い。
「けれど、蓮――」
「まだ見せつける気か」
月龍の声は、硬くて低い。
「これ以上留まる気なら、仕方がない。斬る」
「――っ!」
おそらく、ただの脅し文句ではないだろう。
ここに残れば、蓮は殺される。
では、去れば助かるのか?
斬られはしないかもしれない。だがまず間違いなく殴られる。
それでも、殺されないだけましなのか。
一旦立ち去るふりをして、油断したところに刀を持って戻ってくれば――否、月龍が蓮から離れるとは思えない。蒼龍が月龍に斬りかかるより先に、蓮が殺される。
蓮を救えなくては、意味がない。
「大丈夫、ですから」
月龍の神経を逆なでするかもしれないと思えば口を開くこともできず、唇をかみしめる蒼龍に蓮が念を押す。
優しげに、儚げに笑う蓮に、答える術はない。このまま立ち去るのは蓮を見捨てるに等しいとわかっているのに、残れば彼女の死を招く。
蓮のために、なにができるのか。散々考えて出せた答えは――なにもできない、ということだった。
なんと惨めな気分か。
出口に向かって、足を踏み出す。無力感に背中を押され、振り返ることもできなかった。




