第十二話 疑似
どうしてなのかとため息を落とす蓮に、それこそなにを言っているのだろうという感想を禁じ得なかった。
惚れた女が他の誰かになりきろうとしていれば、それは嫌だろうと思う。
否、その人が望んで変わろうとしたのなら受け入れられるかもしれない。けれど変わりたい理由が誰かに好まれたいからというのならば、必要ないと思うのではないか。
月龍はやはり、蓮を愛しているのだろう。だから蓮のままでいてほしい。見当違いに思いこみ、勝手に変わろうとする彼女を許せないのか。
莫迦な男だ。「そのままの君でいてほしい」。たった一言そう言えばすむ話を、怒りとしてしか発することができないとは。
「蓮――気を悪くせず、聞いてほしい」
だがこれは好機だ。つけ入る隙になる。悲しみに追い打ちをかけ、絶望させ――振り向かせるための、材料になる。
「おれの意見とは違う。ただ、月龍はこう考えているのではないか。殿下は至上の人だから――君がどれだけ真似たとしても、近づけることはできない。近づける、君がそう考えたこと自体が――思い上がりだと」
「思い、上がり……」
ぽつんとおうむ返しに呟く声は、消え入りそうなものだった。軽く伏せた瞳が、左右に動く。動揺よりも強く表れる悲痛に、ちくりと胸になにかが刺さった。
「そう、ですよね」
くすりと笑ったのと同時、涙がこぼれ落ちる。
「どうして、気づかなかったのかしら。私なんて、亮さまの足元にも及ばない。髪は――瞳の色は似ているけれど、それだけですもの。私、本当に鈍くて――これだから、嫌われてしまったのね」
涙を拭いながら、気丈にも笑顔を見せる様がいじらしい。
「泣かないでくれ」
あえて傷つけるために言ったのだ。泣いてくれて策は成功したはずなのに、咄嗟に口から出た言葉に蒼龍自身が一番驚いていた。
決して失策ではない。思いやっていると見せるには、上策のはずだ。
気を引くための、空音。意識せず舌に乗せたのは重畳のはずなのに、何故これほどまでに焦りが心に生じるのか。
「――君に、泣いてほしくない。笑っていてほしい」
「蒼龍……?」
「君が好きだ」
キリ、と胃が痛む。大詰めだと思うからだ。
本来であれば今日は、様子を見るだけのつもりだった。
だがこの好機を逃すわけにはいかない。想定以上の進展に、さすがの蒼龍にも緊張が走る。今までの努力が、水泡に帰す可能性もあるのだから。
見えない拳が胸を叩くような激しい鼓動も、そのせいだ。
「おれと一緒に――逃げてくれないか」
榻から立ち上がる。蓮に近づく歩調は、ゆったりと優しいものを意識した。月龍によって恐怖を植えつけられた蓮を、わずかでも怖がらせないように。
愕然と蒼龍を見上げていた蓮も立ち上がる。おそらくは無意識のうちの反射的行動だったのだろう。
そっと、蓮の肩を掴む。腰をかがめて顔を近づけ――唇が唇と重なる寸前で、顔を背けられた。
決して、腕力に訴えてはいけない。月龍と同じ轍を踏むつもりはなかった。
「けれど、私は――」
「あの人を、好きなままでいい」
宣言に、えっ、と振り向いた。驚きの色を滲ませる蓮に、小さく笑って見せる。
「君はわかるはずだ。たとえ自分自身に目を向けてもらえずとも――誰かの身代わりでもいい、愛する人の傍に居たいという気持ちが」
君が月龍に向けた想いだ、とは口にしなくても伝わるだろう。
そして、自分も同じなのだと。
蒼龍の意図を正しく理解したのは、揺れる瞳が証明している。
まずは、共感したはずだ。自分と同じ想いを抱えていると思えば、苦しみを知る蓮はきっと、無下にはできない。
なにより、蒼龍には強い武器がある。
「それに、おれの顔はこうだから」
蓮の右手を取り、蒼龍の左頬に当てさせる。
「あの人を重ね合わせるのは、容易だと思う」
「でも、月龍とは違います」
だから応じられない。そう続けられるのはわかりきっていた。
口を塞ぐのは簡単だ。ほんの少し、顔を前に出すだけでいい。
触れたのは、一瞬だけ。すぐに顔を背けられ、唇の柔らかな感触は離れた。
けれど充分だった。目的である拒絶の言葉を防ぐことはできたのだから。
「――蒼龍……!」
「月龍、と」
非難だったのだろうか。悲鳴のような声を上げる蓮を、今度は言葉で遮る。
「あの人だと思ってほしい、そう言ったはずだ。だからどうか、月龍と呼んでほしい」
「けれど――」
「今すぐとはいかないかもしれない。重ねられる、代用になる、君がそう確信してからでいい。それまで待つつもりだ」
「そんな――」
「一緒に逃げるつもりが、いつか君に芽生えてくれるまで。――君の気持ちがわずかでも変わるまで、幾度でも会いに来る」
「蒼龍――」
「月龍」
鼻と鼻がつきそうな距離で、その名を口にする。なるべく蓮の目に儚く映る笑顔で、かつての月龍でさえ出さないような優しい声を意識して。
至近距離で見つめる蓮の瞳が揺れていた。じわりと浮いた涙が、きらきらと輝く。
綺麗だった。たとえ悲しみの表れだったとしても、その美しさはまるで宝玉のようだ。
これがもうすぐ、手に入る。自分のものになる。
「――蓮」
「月、龍」
唇を寄せようとしていた動きを止める。
蓮が、蒼龍のことを月龍と呼んだ。
そう呼べと言ったのは、他ならぬ蒼龍自身だった。
計画通りに進んでいる。蓮の気持ちが、多少なりとも動いた証だ。
だから、喜ぶべきなのに。
「――好きだ、蓮」
舌に乗せる甘言が、蓮よりも自分の胸に刺さったような息苦しさを覚えた。
痛みをこらえて、唇を重ねる。
蓮からはもう、抵抗の意思は感じられなかった。




