第十話 不安
月龍に自分と同等以上の苦しみを与える――そのための、手段だ。蓮を奪ってやるのも、過程にすぎない。
強行突破して押し入って攫うことも考えたけれど、それでは蓮の心を奪えない。蓮が蒼龍に惚れ、月龍を自ら捨てさせることに意味があるのだ。
無駄な時間を過ごした悔しさもあるが、おかげでようやく蓮に会えた。苦労の末の成果だと思えば、気分が高揚するのも当然だった。
蓮を前に胸が高鳴ったのは、そのせいだ。
けれど、蓮の暗い表情を見れば、その高揚も鳴りを潜める。眉が歪むのを自覚した。
「偽造した。――どうしても、君に会いたくて」
そう、会いたかった。
会って、誘惑して、手に入れて――月龍を絶望させたかった。
「やはり来てよかった。君の、その態度――なにより」
そっと、蓮の頬に手を伸ばす。
「この、痣」
うっすらとだけれど、赤紫色に皮膚が変色している。もう治りかけてはいるようだが、それは確かに痣だった。
身を竦ませたのは、気づかれたくなかったせいか。蒼龍を見上げてくる瞳に、じわりと涙が浮く。
「一体、なにがあった」
態度を見れば、月龍とうまくいっていないことはわかる。
だがその原因は? 理由如何によっては、入り込む隙になるかもしれない。
「この痣を作ったのは――暴力を振るったのは、兄上か」
蓮が随分と長い間外出していないのは、監視していたから知っている。門前を兵士に守られ、会える人物は月龍しかいない環境において、他の可能性は考えられない。
蓮は肯定しなかった。ただ目を落とし、うなだれる。俯いた仕草が、頷く行為に見えただけだ。
「話してくれないか。おれになにができるか――なにもできないかもしれないけれど、少しでも蓮の役に立ちたい。君の、力になりたい」
真剣な眼差しを作り、訥々と語った。
弱気になっている女、特に恋人とのいざこざがあるときに優しくしてやれば、案外簡単に靡いてくる。弱気に付け込む卑劣な手段ではあるが、有効だった。
まして蒼龍の顔は月龍とよく似ている。その顔で優しくされれば、心にも染みるだろう。
悪辣な腹積もりなど、純朴な蓮が気づくはずがない。みるみるたまった涙が、滴となって頬に伝った。
ぎり、と胸が痛む。
泣かせてやるつもりで言ったのに、実際そうなると何故か焦りが生じた。
優し気に語る言葉に、真実はない。
なのに胸が痛むとは、本気で蓮を心配でもしているかのようではないか。
まさか。
思いつきを、慌てて否定する。蓮は復讐のために使う、便利な道具だ。
――そうでなければ、ならない。
「ごめんなさい」
蒼龍の無言を、戸惑いの表れだとでも思ったのだろうか。手の甲で涙を拭い、蓮が小さく笑う。
「ともかく、かけて下さいな。お酒、用意します」
柔らかな声音が、寂しそうだった。
異変はこの、悲し気な笑みだけではない。偽造した懐剣を見れば、蓮は驚くと思っていた。そのようなことはいけない、早く帰ってと言われる覚悟で来たのだ。
それをおしても君に会いたかったと口説くつもりでいた。すんなりと受け入れられ、話をできる状況になったのは、予想外の僥倖だったはずだ。
だというのに、愁いに満ちた微笑が胸に重い。
おれは一体、どうしてしまったというのか。
言い知れぬ不安の正体を、見つけることはできなかった。




