第二話 水果
蓮が見たのは、立ち上がり、勢いよくこちらを振り返った月龍の姿だった。蓮の足音なり扉の開く音に、俊敏に反応したのだろう。
「――蓮」
そこに立つ蓮に、月龍は驚いたような顔を向けた。
「早かったな」
期待と不安の入り混じった、複雑な表情。
たしかに蓮は一晩を過ごすはずだった。帰ってくるのは早朝、もしくはもっと遅くなると思っていたのだろう。
けれど、一刻も早く楊闢の元を離れたかった。
あの男も別に、蓮を横で眠らせる必要はなかったのだろう。辞する旨を伝えたら、引き留められることはなかった。
ふと、月龍の背後に目を向ける。蓮の用意した食事が、手もつけられずに並んでいる。
逆に、用意した覚えのない酒器があった。祝杯でもあげていたのだろうか。
「――ご安心、なさってください」
声は、重く長いため息に乗る。
ぱたんと、後ろ手に扉を閉めた。片腕には幾つもの水果を抱えているので、必然的に片手での開閉を余儀なくされたのだ。
月龍が、蓮の腕の中に目を止めて息を飲む。
昔から賄賂を受け取った証として、贈賄側へと水果が贈られる習慣があった。
蓮でさえ知っているのだ。月龍が知らないはずがない。
「蓮――まさか……まさか……」
蓮にも負けぬ蒼白に染まった顔で、月龍がくり返す。
何故まさかなどと言うのだろう。自分で命じておいて。
ゆっくりと歩みを進め、月龍の前で足を止める。抱えていた水果と木簡を彼の胸に押しつけた。
木簡は、楊闢の名によって記された、念書だった。
「――蓮――!」
名を呼ぶというより、叫びに近かった。急に抱き寄せられ、腕からこぼれた水果が床で潰れる。
月龍と蓮の足元を汚すのを、無感動な目で眺めていた。
「これで、信じて頂けましたか」
月龍の体温と力強い腕に、けれどなにも感じられなかった。彼の腕に包まれていたくて苦行にも耐えたはずなのに、望んでいたものを与えられた今、なんの喜びもない。
あるのはただ、胸を締めつける痛みと、目頭を焼き尽くすかのような熱だけだった。
「私の想いが真実だと――これからも、お傍に置いてくださいますか」
いけない。思うのに、涙が落ちていく。
「――すまない」
月龍の腕に、さらに力がこめられた。
きしりと骨が軋む。感じるべき痛みは、何故か訪れない。
一言洩らされた謝罪に、ふっと顔を上げる。
「どうして、謝るの?」
胸が痛いのに、声に感情が乗らない。自分の耳にも、やけに淡々と聞こえた。
「言いつけを守っても、もう傍にはいられない? それとも、足りませんか。もっと上の階級が必要? 楊様の元にもう一度行けと――」
「違う」
悄然と尋ねている途中で、遮られる。
「君の気持ちはわかった。もう、充分だ。もう――たくさんだ」
蓮の肩に額を押しつける月龍の口から、嗚咽が洩れる。蓮にはそれが、不思議でならなかった。




