第十話 後悔
大きな背中が扉の向こうに消えたのを見届けた瞬間、貼り付いていた笑みも消える。
「――くそっ」
吐き捨てるのは、らしくもない下品な毒突きだった。
何故、気づかなかった。
自身への叱咤が、杭となって胸を貫く。
蓮を大事に思う自覚はあった。妹のように育った従姉妹、肉親に愛情を傾けるのは当然のことだと。
だからこそ月龍との話を蓮に勧めもしたのだ。
今にして思う。あのとき、蓮に断ってほしかったのではないか。
蓮が亮を慕ってくれているのは知っていた。けれど、幼い頃から妻になれと言い聞かされてきたから、ただ漠然とそう思っているだけではないかと不安でもあったのだ。
そこに月龍という第三者が現れれば、蓮も自身の感情について考えるだろう。
その上で、蓮の意志で亮を選んでほしかったのかもしれない。
親切面して仲を取り持つようなことをしたのも、無意識の内ながら月龍をあて馬に使うつもりだったのではないか。
思うほどに、自分の姑息さに吐き気すらもよおす。
まして、あて馬にしたつもりの男に想い人をもっていかれるとは、なんと間抜けなことか。
今朝から続く倦怠感も、喜び勇んで話す月龍の顔を見られなかったのも、無理はなかった。
自覚のないままとはいえ、十数年も想い続けた恋しい女を、自分の手で他の男に渡してしまったのだから。
散々月龍の鈍さを罵ってきた亮が、さらにその上をいく鈍感だったのだから笑える。
今更気づいてどうすると言うのか。
月龍から蓮を取り返す?
できない。仮に蓮の気持ちを振り向かせることができても、月龍と亮の関係は破綻するだろう。
自分にとって亮と月龍は弟のようなものだから、いがみ合ってほしくない――そう言ったのは、嬋玉だった。
お前を失いたくない――月龍の言葉だ。
嬋玉に言われるまでもない。月龍といがみ合うなど、想像したくもなかった。
月龍に言われるまでもない。亮の方こそ、月龍を失いたくなどないのだから。
けれど、蓮への想いも断ち切れない。
相反する気持ちに、胸が裂かれる。
月龍も同じだったのだろう。理解はしていたつもりだったのに、あまりの痛みに呼吸さえままならない。
視界の端に、月龍が置いて行った花束が映る。
蓮と二人で摘んだもの――二人を結び付けた要因が。
乱暴に腕で薙ぎ払ったのは、発作的な衝動だった。
月龍にも、まして蓮にも向けられぬ、苛立ちの発露。
払われた花が、舞い散りながら散乱した。周囲に花の香りが広がる。
――その香りがまた、蓮を思い出させた。
一生、想いは隠し通さなければならない。他の誰でもない、亮自身のために。
二人と共に過ごす甘美な苦痛を、自らに課す。
亮が月龍の立場にもなれたはずだった。ただ、自分の気持ちに気づいてさえいれば。
この苦しみは亮ではなく、月龍のものだったのに。
それを望む自分の醜さに辟易する。
けれど今だけは、利己的な思考を許してほしかった。明日になったらよき兄、よき友に戻る。
だから、今だけは。
顔を覆った両手の隙間から、小さな嗚咽が洩れた。




