第九話 予想外
「断るはずはあるまいな。君はおれのためと言って、亮に身を委ねた」
口にしたのは、蓮を追いつめるための言葉だった。
息を飲んで上げた蓮の顔が、悲愴に歪む。
「ならばよりおれの利益となる今回の話を、断るはずがない。――それとも認めるか? 亮に抱かれたのが私情だと――おれのためだなどとは、口実にすぎなかったと」
別に首肯させたいわけではない。楊闢の件も、承知してほしいはずもなかった。
なのにあえて亮の名など出したのは、蓮を泣かせたかったからだ。
亮の件が、月龍のためと思いこんで行われたことはわかっている。けれど、裏切り行為であることも事実だった。
蓮は謝罪したが、それは「不貞を働いたこと」ではなく、「月龍を出し抜く形になってしまったこと」に対してだ。
亮に触れられた蓮への嫉妬ではない、蓮に触れた亮への憤りなのだと、まったく理解していなかった。
そのことを、わかってほしい。
わかった上で、謝ってほしかった。泣きながら、あなたを愛している私にそのようなことはさせないでと縋って欲しかった。
――そう、怯えた顔で無理に笑うだけで、頼みごとすらしなくなった蓮に甘えてもらいたい。
極限まで追いつめれば弱音を吐き、月龍に縋りついてくるはずだ。
さぁ、もうすぐだ。泣きながら抱きついてくる蓮を想像するだけで、口元が緩む。
月龍を見つめていた蓮が、目をそらす。俯いた頬に、長い睫毛の影がかかっていた。
この睫毛が、今から涙に濡れる。月龍を想って、泣いてくれる。
「――わかりました」
握りしめられた小さな拳が、白くなるほどに力が入っている。
ぽつんと洩らされた声に、自分の顔から笑みが引くのを感じていた。
「なに……?」
「仰るとおりにいたします。私はいつ、どのようにしたらよろしいのですか」
「どう、とは――色よい返事であれば、明日にでも邸へ来いと言っていたが……」
「明日、ですね」
わかりました、と重ねる蓮に、頷き返すことはできなかった。
ありえない。
次第に、心臓が高く、早く鳴ってくる。息苦しさを覚え、こくんと喉を鳴らして空気を飲みこんだ。
「まさか――行くか」
何故まさかなどと言うのか、お前が命令したのではないか――不思議そうな蓮の眼差しに、無言の責めを聞く。
「あなたの有益となるのなら、断る理由はありません」
理由はある。君の気持ちはどうなる? 嫌いな男に身を委ねるのだぞ。
言いかけた言葉を口にする資格がないのは、自覚済みだった。
「嫌ならば、無理をする必要はない。認めるだけでいい。亮が嫌いではなかったから我慢できたと」
認める内容が緩和されたことに、蓮は気づかない。やめてくれと言外に叫ぶ言葉も届かなかった。
「大丈夫です。私は――あなたのものです」
だけど、あなたは私のものではない。一旦区切られた台詞に込められた意味が、胸を締めつける。
「心配なさらないで。きっと、うまく振る舞って参ります」
「我慢は必要ない。おれは強制したわけではなくて――行かなければならないわけではない」
たった今まで、皮肉を滲ませて蓮を追いつめていた男の態度ではなかった。
目が泳ぐ。狼狽のままに両肩を掴もうと伸ばした月龍の手を、蓮はするりと躱した。
「では、お食事の支度をして参りますね」
半身で振り返った蓮の顔には、いつもと同じ作り笑顔が刻まれていた。




