第三話:決行
俺は今、白川家の家に来ている。忍び込んでいるのでは無い。白川七海の客として、だ。
あれから数ヶ月、白川七海と仲良くなるのは驚くほど上手くいった。恐らく白川七海も大富豪の娘ゆえに周りには媚を売るものしかいなく、孤独を感じていたのだろう。
だが、そのお陰で予定よりも早く白川家の当主を殺せる。今夜、白川家の当主を殺す。いや、それだけじゃない。白川家全てをこの手で......。
玄関先で丁寧に靴を揃えると、白川七海が微笑んだ。
「こっち、こっち。お父様にはちゃんと話してあるから、遠慮しないでね」
彼女の無邪気な声が、妙に胸に突き刺さる。罪悪感……それに似た何かが、俺の中で静かに渦を巻いていた。だが、それでも俺はもう引き返さない。引き返せない。
邸内は静かで、まるで時間そのものが止まっているかのようだった。廊下に敷かれた絨毯、天井に飾られたシャンデリア、贅沢の極みを尽くした空間。こんな世界が、たった一人の男によって築かれ、そして多くの命を犠牲にして成り立っていることを、七海はまだ知らない。
「怜人くん、紅茶でいい? それともコーヒー?」
「……紅茶で」
微笑む彼女の横顔を見つめながら、俺は今夜の計画を練っていた。今夜...全てが終わる、とそう思いながら。
時刻は、深夜一時を過ぎていた。
白川家の屋敷全体は、まるで死んだように静まり返っている。遠くから聞こえるのは、壁掛け時計の針が刻む乾いた音だけ。使用人たちの足音も、七海の気配も、もうどこにもなかった。
すべてが眠っていた。
俺はゆっくりとソファから立ち上がる。胸元の内ポケットに忍ばせたサプレッサー付きの拳銃が、冷たく静かに彼の手の中に収まった。無音で命を奪う、黒く鈍い機械。数えきれないほど分解して組み立ててきた。撃つ感覚も、重みも、指が覚えている。
廊下を歩くたびに、赤い絨毯が足音を吸い込み、何もなかったかのように沈黙が続く。
──行くんだ。終わらせるんだ。
七海の部屋の前を通り過ぎる。扉の下には、光も気配もない。眠っている。俺は、ただ一瞬だけ胸の奥に疼く感情を押し込めて、進んだ。
そしてたどり着いた先──廊下の最奥にある、白川当主の部屋。
重い木製の扉に手をかける。鍵はすでに複製していた。静かにノブを回すと、機械的な音とともに施錠が外れる。
中は、闇。カーテンは閉じられ、外の光すら届かない。
寝息が、かすかに聞こえた。
ベッドには白川当主──七海の父が、眠っている。薄く毛布をかぶり、枕元に置かれたスマートフォンが微かに光を漏らしていた。
俺は、静かに近づいた。
そして、引き金に指をかけた。
ここまで来た。後戻りはない。
「……ッ」
だが、その瞬間。
背後で床がきしむ、わずかな音がした。
俺は振り返る。
そこに白川七海が立っていた──。