第一話:ターゲット
目覚ましが鳴る三秒前に目を開けた。
体内時計の正確さには、少しだけ自信がある。『殺し屋』に必要なのは、時間の感覚と“選択”の速さ。——そのふたつは、日常にも十分通用する。
台所でトーストを焼きながら、ポケットの中で昨夜の“依頼”のデータをスマホから削除した。
「さて、普通の高校生に戻りますか」
独り言のように呟いて、制服に袖を通す。鏡の中には、どこにでもいるような黒髪の少年が映っていた。
今日から新学期。春は“始まり”の季節。
けれど俺にとっては、平穏な日々への“潜入任務”が再開するというだけの話だった。
新しい任務は世界でも有名な大富豪、“白川家”の当主を殺すことだ。そこで俺は白川家の一人娘の通う霧ヶ峰高校に通うことになった。
上からは一応仲良くなって情報を色々聞き出してから殺せと言われているが、そんなのは勝手にさせてもらおう。
一応俺も年齢的には高校生なので高校に通うこと自体はなんら問題はないがやっぱり...
「めんどくせぇなぁ」
そう思ってしまう。ただ、引き受けたことはしょうがない。それに今更断ってしまうと殺し屋としての信頼度が下がってしまう。
「仕方ねぇか」
と、そう言葉を零しながら俺は家の扉を開けるのだった。
「ここが霧ヶ峰高校...」
“霧ヶ峰高校”それは全国のエリートが集まる国内最難関高校である。一応俺も潜入任務などがあった時のために殺し屋としての学習で勉学もしたため大丈夫だとは思うが...。
と、そんなことを考えていたその瞬間、校門前の空気が明らかに変わった。
ざわめき、目線、そして…どこか張りつめたような静けさ。
俺もつられるように視線を向ける。
黒塗りの高級車がゆっくりと停まり、後部座席のドアが静かに開いた。
現れたのは、一人の少女だった。
——白川七海。
白川財閥の一人娘にして、“国内最難関校”のトップに君臨する存在。
その名前は表の世界でも裏の世界でも、知らぬ者はいない。
大富豪の娘という肩書き以上に、その完璧すぎる容姿と頭脳、振る舞いが“特別”を作っていた。
黒髪は真っ直ぐに背中まで伸び、制服のリボンすら計算され尽くしたかのように整っている。
周囲の生徒たちが彼女を目で追い、誰一人として言葉をかけようとしない。
それは憧れでも、畏怖でも、ない。
“絶対的な格差”という空気が、そこにあった。
(……あれが、ターゲットの娘か)
俺の中の“仕事”が顔を出す。
殺すべきは彼女の父親。しかし、ターゲットに近づくにはまず彼女の懐に入り込むのが一番手っ取り早い。
上からの指示はそれだ。
けれど。
彼女の瞳と、ほんの一瞬だけ交差したそのとき——
「…………」
……不思議と、胸の奥がざわついた。
この感覚は、なんだ?
緊張でもない。恐怖でもない。
ましてや、恋愛感情なんてあり得ない。
俺はただの“殺し屋”だ。仕事以外に感情を持ち込むことは、命取りになる。
(……面倒くせぇ)
今日、俺はもう何度この言葉を頭の中で繰り返しただろうか。
白川七海は、目もくれず校舎へと歩いていく。
その背中を、俺はただ黙って見送った。
けれどこの瞬間、潜入任務は正式に始まった。
彼女に近づき、情報を引き出し、そして——
殺すべき標的に導く。
たとえ、どんな感情がこの先に待っていたとしても。