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01. 特技は90度の謝罪です


ふと目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入る。

固い駅のホームではなくて、柔らかな、肌触りのいい感触。

ほのかに暖かな陽の光の匂いがした。


天井に手を伸ばすと、寝ぼけているせいでぼやけた視界に伸びた腕と手が目に入る。

グーパー。と掌を動かしたり、頬をつねってみたりして、ようやくこれが夢ではないことを自覚する。


(生きてる……。いや、死んで…。

……なんて言ったらいいんだ)


ゆっくりと寝返りを打つと、シェードランプの橙色の光が目に刺さった。

いくら淡いといえど、ずっと眠っていた…というか、気絶…。ともいえない。

ともかく、目を閉じていた状態の自分にはこの光でさえも少し辛かった。

...にしても、先日は大変だった。

突然後ろから押されて、電車に轢かれたのだ。

いくら一度死んでいるとはいえ、また死ぬというのはなかなか堪える。


「...」


上体を起こして部屋全体をぐるりと見渡す。

全体的に小綺麗なつくりではあるものの、ときおり壁や天井に錆色のしみがついているということ以外はさほど気にならなかった。

おいてある家具も必要最低限のものだけおいておけばいい。という感じだった。


慣れてきた視界に何度か瞬きをすると、隣が不自然に膨らんでいるのに気が付く。

しかもその山はゆっくりと上下していた。生き物の呼吸のようだった。

キールはそろそろと布団を捲り、ぎょっと驚くと同時に、慌てて口を噤んだ。


月光を敷き詰めたような黄金色の髪に、濃いクマをよく目立たせる病的なまでに白い肌。

ひっ詰めていた髪を下ろしていたせいで一瞬わからなかったが、すぐに思い出した。


隣に、先日自分を殺した女が寝ている。


冷酷な印象を持たせた険しい表情はどこへやら。

本当に彼女だったのかと疑うほど、穏やかな幼子のような寝顔をしている。


じっと見ていると気配を感じたのか、彼女がもぞ、と動きだした。


「―…あー、おはようございます」


ゆっくりと瞼が開く。


ぼやけた視界はまだキールのことを見つけていないようで、寝起きのおぼつかない手つきで眼鏡を探っている。

ようやく眼鏡をかけると、ぱちぱち。と何度か瞬きを繰り返して、眼鏡をかけたアンリが再度キールを視界に捉えた。

それに合わせてキールは彼女に合わせて体の向きを変える。


「その、なんだ。自分のことを運んでくれた...んですよね?

…ありがとうございます」


しばらくぼうっとしていたアンリだが、自分の前にいるのが、自分が殺した男だと気づいたようだった。


「―!!」


みるみる目が見開かれていく。

琥珀色の瞳が溢れてしまうんじゃないかと思った瞬間、ベッドから飛び降りたアンリは勢いよく床に膝をついた。


床に手を添えて、ゴンッ!! と痛々しい音を立てて全力で床に額を擦り付ける。


「ししししっ…―!」



―失礼いたしましたァッ!!!!



響いた絶叫に片耳を塞ぎながら、キールは冷静に外に漏れ出ないように部屋の窓を閉める。


綺麗な土下座をかましているアンリの頭を上げさせると、真っ青な顔をしていた。

「あー」とか「その」と言葉を詰まらせながら、目を泳がせて何かを口にしようとする前に、キールは言った。


「落ち着いてください。平気ですよ」

「誠に申し訳ございません…多大なるご迷惑をおかけいたしました…!」

「いや、別にかまいませんって。」

「勘違いで殺してしまうなんて…すみません!!

って、謝っても取り返しがつきませんよね…」

「いや、その大丈夫です」

「っ、こうなったらこうするしかありません…!

失礼致します!!」


何度もキールの言葉を遮るように話し続けたアンリは、突然キールが閉めた部屋の窓を勢いよく開けた。


「な、なにして………って、おいおいおおおいっ!!」


勢いよく上体を倒して窓から消えかけたアンリを、キールは間一髪でシャツを掴んでなんとか引き留める。

目をぐるぐると回して泣き出したアンリに、キールは小さく呟いた。


「泣きたいのはこっちですけど…」

「!…ゔ、そうですよね。すみません…」

「おお、泣き止んだ…」


顔をひきつらせたキールに詰め寄るようにアンリは謝罪の言葉を繰り返した。


「もももも、申し訳ありませんでした...!!

どうぞ、わたくしのことは煮るなり焼くなり何なりと...」

「いや、別に気にしてないんで大丈夫ですよ。…というか。ほぼ初対面の人にどうこうできる度胸は俺にはありませんから」

「ゔっ」

「今の言葉は聞かなかったことにしてください」


自分のやったことを思い出したのか、アンリは心臓を抑えて倒れ込む。


殺されても別に気にしない。

それはそれでどうかとは思うが、キールは殺された時の衝撃も怒りも、先ほど目の前の女が飛び降りようとしたことですべて吹き飛んでしまったのだ。

当たり前だが、彼女も納得いっていないようでどうにか「償わせてくれ」と懇願してきていた。


(どうしたものか...)


本当に気にしていないのだが。というか、もう死んでいるのに何をそんなに焦っているのか。あとはこの死後の世界を悠々自適に過ごすだけではないのか?


「あ、あの。その…本当にごめんなさい...! こんな〝大変な時期〟に...私の本日分の〝レート〟はなかったことにさせてもらいます。何なら、あなたのほうに追加されるように...」

「えっと、何のことか俺にはさっぱりなんですけど。というか、レートって何ですか」


話についていけないキールが、静止の声を上げる。

頭を下げていたアンリが、顔だけを上げて首を小さく傾げた。


「?? なんの事って、それはもちろん今日から開始される...」


―ザザ...ッ


言いかけたところで、部屋に置いてあったブラウン管テレビが突然つき始めたのに、キールは思わず勢いよくテレビのほうを向いた。

つかないと思っていたのに、と目を丸めながら目の前で明るく点ったテレビに釘付けになっていると、再度ザザ、と音が鳴って画面が切り替わる。


「―ハローストリート。ご機嫌よう、地獄都市に住まうすべての死者の皆さま。

キャスターのジュール・ヌヴェルです」


ニュースキャスターが画面に映し出される。

液晶に映る映像は白黒のままだったが、次第に絵の具を垂らしたように液晶に色が広がっていく。


色付いても尚、鉛のように冷たい目でじっと前を見据えている彼女と目が合っている気がして、キールは人知れず息を呑んだ。


「本日24:00から〝黄泉がえり〟がスタートいたしました。

例年通りであれば…。たとえ新規様がいようとも詳細は省かせていただくはずでしたが、昨年ほどから規則違反が増加傾向にありましたので、再度ルール説明をこちらからさせていただきます」


淡々とした口調でジュールは原稿を読み上げていく。


「〝黄泉がえり〟とは、本日からスタートした49日間の間に「善行」を積み重ね、来世への道を掴もう。

という地獄都市が毎年行う...まァ、平たく言えばイベントでございます。

そして......。……ぁー。ねぇ? 私これ本当に全部言う必要ある?」


画面の外にいるであろう誰かに話しかけて、ジュールはうんざりしたような顔をする。

中継の途中ではあるまじき行動だが、画面の向こうの人物も咎めていないあたり、これが普通なのだろう。

そこからしばらく愚痴を言い続けて、ジュールはようやく正面を向いた。


「えー、やっぱり面倒なので、解説はやめまぁす。

以上、今日のハローストリートニュースでした。皆様。よい冥界ライフを〜」


ーブツッ


何事もなかったように古びたブラウン管の電源が切れた。


「―...なるほど。黄泉がえりのチャンスを得られるのが今日からなのか...。そしてその初日に俺を殺したと」

「本当にすみませんでした。死にます」

「いや、遠慮します」

「そうですか…」


また飛び降りようと窓に足をかけるアンリをそっと制する。


「で、でも。死後からかなり経っているのに〝黄泉がえり〟のことを知らないのも珍しいですけどね」

「…そんなに前でしたっけ」

「キールさんの死亡年数は確か4年前ですね」

「4年前」

「はい...」


初めて見たかもしれません。と呆れるどころか尊敬されているようなまなざしを向けられて、キールは思わず苦笑して肩をすくめた。


「...その、あなたは、これからどうするんです?」

「わ、私は上に今回のことを報告してきます。クビになるのは免れられないと思いますが…」


憂鬱な表情をしてアンリは溜息を吐いた。


「……まぁ、頑張ってください。せいぜい首になるくらいですよ」

「.....……どうかな」

「?」

「い、いや。こっちの話です...あはは...。

あぁそれと、お部屋のことは心配しなくても平気ですから。都市のこういった建物は勝手に住むものですし」


よろよろと力なく立ち上がり、ドアノブに手をかけようとした彼女に、思い出したかのように声をかけて引き止める。


「?」

「名前、伺ってもいいですか」

「ぁえ、な、名前…? い、いいですよ...。少し待ってください...」


確か、こっちに…。と、もたもたとした手つきでベストの裏やズボンのポケットを探った後、アンリは両手で小さな紙を差し出す。

出された紙は名刺だった。


「自己紹介が遅れましたね。わたくし、こういうものでございます」


〚地獄都市警察 安全保持機関ーアンリ・ヴェッカー(Henri Wecker)〛


「また、会えたらいいですね」


受け取った名刺をしまい、キールが握手を求めようと差し出した手をアンリが控えめに握り返す。


「...運が良ければ。ですけどね」

「はは。確かに」


眉を下げて穏やかに笑った彼女に、キールもふ、と笑って肩をすくめた。



後日のある日、いつものようにキールは部屋で目を覚ました。


アンリが譲ってくれた部屋にもすっかり慣れたようで、キールは寝ぼけた目を擦りながら手探りで煙草を探して火をつける。

窓の外には相変わらず赤い空が広がっているが、少し明るく見えるから、おそらく今は朝なのだろう。

窓際にもたれかかり、煙草をくわえながら街並みを見下ろすと、光に反射して瞬くようにきらめく石畳が目に入った。


「……うわ」


昨晩寝ている間に雨でも降ったのかと思ったが、まったく違った。鮮血だった。


少し身を乗り出してあたりを見回してみると、ヨーロッパの街並みを彷彿とさせる建物は、乾いた血の跡がいくつかついていた。

生臭い香りは自然としない。

いや。もう、無意識のうちに嗅覚がマヒしているのだろう。

昨日部屋にいたときはそんなことは気にならなかったし。


「…げっ」


見たくないものも見えてしまう。

そっと窓を閉めて、吐き気ごと紫煙を吐き出した。


次第にやることがなくなってきたからとブラウン管テレビの電源をつけてもコマーシャルばかりと特にこれといって面白い番組はやっていない。

すると、部屋の扉がノックされた。

来客の用事はもちろんだが、あるはずもない。


〝黄泉がえり〟のことを思い出す。


まさか、誰かが自分のことを…?


居留守を決め込むことにして、ノックを無視する。

それでもなお、しつこく繰り返されるノック音に眉を顰めた。

その辺に落ちていたガラスの破片を握って用心しながら扉を開けると、見慣れた姿が目の前にいたため、キールは目を見開く。

俯いているせいで表情は分からない。


「―ヴェッカー...さん? どうしたんですか」

「ど、どうも…昨日ぶりですね…はは」


扉の陰に隠れるようにして立っていたアンリは、昨日と同じような…いや、それ以上に顔色を悪くし、おまけに冷や汗まで垂らしてキールの前にいた。

ただならぬ様子にアンリを部屋に招き入れると、震えた声で彼女は言ったのだった。


「た、助けてください…わた、私っ、殺される…!!」

 

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