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序章. HELLO! 地獄都市


 

磨り硝子を通して、臙脂(えんじ)の鈍い光がレーテ駅に降り注ぐ。 飴色のレンガ造りの古びた壁に囲われ、鉄製のアーチがゆったりと天井を支えているレーテ駅は、まるで絵画のような美しい静観をいつまでも保っていた。

都市では最大級の駅だというのに、人影は一つも見当たらなかった。ホームに滑り込んでくる墨色の列車の中にも、乗客は誰一人としていない。

…いや、噓をついた。

客ならいた。一人だけ。いつも変わらずいる。

「彼」はあまりにも長くここにいすぎたせいで、もはや置物のような扱いになっている。

草臥(くたび)れたスーツに身を包んだ瘦身の男で、良く言えば穏やかな。正直に言ってしまえば、何の特徴もない。

平々凡々な顔立ちをしていた。


キール・ギャレット。

しがない死者である。享年は三十三。

彼自身、なぜ自分が死んだのかを全く覚えていなかった。

本人は、きっととんでもなく間抜けな死に方をしたから、頭が思い出させないようにしているのだろう。と思っていた。


〘エー。続きましては、――となっております。

線路には、エー。近づきすぎず、白線の内側まで下がってお待ちください〙


ねっとりとしたあの独特の声で、どこからともなくアナウンスがホームに響いた。

目の前を通り過ぎる車体を横目に見送って、キールは煙草を咥える。

彼だけではない。今日のレーテ駅は珍しく、客人がもう一人いるようだ。

キールと同じようにスーツを着た女が、二、三歩ほど歩幅を開けて、隣に立っていた。

琥珀色をした鋭い目つきと、端正な顔立ちが軍人のような凍てつく空気を纏っているように思わせる。

襟元までしっかり閉じたボタンと、刈り上げた側頭部とピアスが正反対の印象を持たせた。


無意識にぼうっと彼女のほうを見ていると、向こうも見られていることに気が付いたのか、バチンと視線がかち合う。どちらからともなく小さく会釈をして、また同時に正面に視線を戻した。


磨り硝子の向こうは、変わらず赤い空が広がっていた。


しばらくして、再び列車が線路に擦り切れる音が近づいてきた。

隣に立っていた彼女は、乗るつもりなようで小さく一歩だけ前に踏み出すのが見えた。

歯軋りのような音を立てて、ゆっくりとため息を吐いて列車が止まる。

女は無言で足早に列車に乗り込んだが、キールはそのままいつものように突っ立ったままだった。

もうずいぶんと短くなってしまった煙草をホームの地面に落とし、踏みつけるようにして火を消す。


とっくの昔に死んでしまった自分には、空腹という概念が存在しない。眠気も、性欲も何もない。

ただひたすらに退屈を凌ぐため、駅でこうして過ごしていた。

日の出と共に起きて、沈むのと共に駅の固く冷たい床で眠る。

働いていた頃にこの生活ができたら。と何度望んでいたことか。

何も気にせずに、ただただダラダラと過ごすことを。


キールは何本目がわからない煙草を咥えて、深く息を吐き出した。

燻らせた紫煙が空気に混じって溶けるように消えていく。


発車を知らせる笛が鳴る。

車窓に目を向けると、先ほど隣に立っていた彼女がちょうど自分の真正面にいた。

煙草をもう一度床に落として火を消す。

足元から再度、車窓に目線を向けると、女の手の向きが変わっていた。つり革を掴んでいた左手が、こちらにまっすぐ伸ばされていた。

黒光りする物体がこちらに向けられている。


あれは―――。


―パンッ


乾いた、弾けるような音が聞こえてくると同時に、肩に熱が籠り、痛みへと変わる。

間髪入れずにまた同じような音が鳴り、今度は視界がゆったりと右に流れていった。


あぁ、首が飛んだのか。


初めてなのにえらく冷静に分析できてしまう自分がいた。

次第に傾く景色に、鮮血が飛び散っているのが見えて、キールは場違いにも思った。

以外にも、いい色をしている。

こうして間近に大量の自分の血を見るのは、初めてだった。

鈍い音を立てて地面に倒れたころには、すでにキールの視界はぼやけ始めていた。

線路と列車の車体の境目はとっくにわからない。

白みだす視界は役には立たず、聴覚だけが頼りになっていた。


コツ、コツ。


乾いた音が迫ってくる。

後ろから鳴っている音は、キールの後ろから正面へと迂回しているように頭上を通り、再び耳元で鳴る。


コツン。


視界に目いっぱいエナメル質のような光りが見えた瞬間、目の前が完全に暗くなった。

一切の光も感じられない。「闇」であった。


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