第53話 あまおうパフェチョコチップアーモンドトッピング
「あらら、お気に召さなかったかな」
「お気に召す人類は存在しねぇよ」
「じゃあ男らしくないって言葉に言い換えておくよ」
「この場合の男らしさって何かね?」
「んー、いやさ、あそこまで迫られたんだから、いっそのこと腹を決めて受け入れた方がまだ潔かったのになぁって。それに、せっかくの初キスを中途半端に済ますってのはどーなんだろーねー?」
杠葉は片眉をわずかに上げ、煽るように言った。
さっきまで散々っぱら嫌味を言ってきていたくせになんなんだよこいつ。
「あのなぁ、杠葉。そもそもの前提条件としてお前は俺がキスをしたことがないものと決めつけているけれど、どうだろう。俺が経験者である可能性だって考慮すべきじゃないのか?」
「その言い方をする時点でどう考えても経験者じゃないよね」
「そうじゃない、あくまで俺は可能性を追求しろと言っているんだ。世の中、何があるかわかんねぇだろ?」
「なんだか何もなさそうな言い方だけれど。ふぅん、まぁいいよ。じゃあ追求してみよっか。では天ヶ瀬選手、ズバリ初キスはいつでしたか?」
「プライバシーに関わる質問のため回答を差し控えさせていただきます」
「その逃げ方が一番男らしくないよ」
「何度も言うが、奪われたのはあくまで唇の半分なんだから初キスも100%完了してるわけじゃない。つまり、初キスが完了していないのだから、中途半端に済ませたことにはならない。おわかり?」
「結局、初キスだって認めちゃってるし」
「ま、わかりやすく言えば1/2成人式みたいなものだよ」
「んーと、つまりお子様ってこと?」
「うるせぇ」
杠葉はそんなやり取りに飽きたのか視線をこちらから外すと、所在なさげにグラスの縁を指でなぞる。
「……でもさ、神楽坂さんはホントの本気で天ヶ瀬くんのことが好きなんだね」
「それは――俺の立場から首肯するのは、なんとなく憚られるものがあるけれど」
しかし目の前で見せつけられた神楽坂の感情を、表情を、嘘や欺瞞であると否定することは到底できなかった。
神楽坂詩は天ヶ瀬陽太郎に好意を抱いている。
それは一つの事実として受け止めるべきなのだろう。
「それで、どうするの? 付き合ったりするの?」
「いや、どうだろう……別にあいつから付き合ってほしいと言われたわけじゃないからな」
「や、直接言葉にはしなくたって、あそこまでしたってことは、つまりそういうことでしょ」
「それはそうかもしれないけれど……でも、少なくとも今の段階ではやっぱり考えられないというか。ほら、一条には杠葉と俺が付き合っているってテイで通したわけだろ? ここで神楽坂と付き合いでもしたら絶対ややこしいことになるし」
今、最も避けるべきは、杠葉と俺の関係性を周囲に知られてしまうことだろう。
それを知る数少ない人物の1人である一条に関しては、俺たちがヤツの浮気歴を公言しない代わりに、ヤツも俺と杠葉が付き合っているということを周囲に吹聴できないという、暗黙のトレードオフ関係が成り立っている。一条の性格からして自分に火の粉が降りかかる可能性があるような真似はしないはず――というのが元カノ談だ。
仮に一条が俺と杠葉の関係を暴露したとしても、それはすなわちヤツが三股をかけていたという事実を他ならぬ一条自身で明かしてしまうことと同義である。
一条は損得勘定が出来る人間だ。差引ゼロならば、一条の方からそれを積極的に暴露することはないだろうというのが俺と杠葉の共通認識だった。
しかしここで俺と神楽坂が付き合ってしまった場合、やや話は変わってくる。
杠葉と俺が付き合っているというのが方便であることには流石に気づきはするだろうが、一条からしてみればそれが真実だろうがどうだろうがもはや関係ないだろう。
ヤツの手元に未だ存在する杠葉と俺のツーショット写真。
それをばらまいてしまえば、杠葉と神楽坂、ついでに俺にもダメージを与えることができる。もちろん俺に対するダメージなど気にするものではないのだけれど、杠葉と神楽坂は違う。
仮に神楽坂と俺が文化祭のあとから付き合いだしたとしよう。それは杠葉と一条が別れたタイミングとまさしく重複する。その場合、当然ながら俺と杠葉が二人きりで仲睦まじく杠葉宅を訪れる機会などあるはずもなく、したがって杠葉には不貞の疑惑が付いて回ることになる。
また神楽坂についても同じようなロクなことにならない。一条とのあれこれが露呈するほか、俺ごときに二股をされてしまったという不名誉を負うことになってしまう。
つまり杠葉と神楽坂の二人に復讐が果たせるというわけだ。
仮にヤツの悪事が露呈したとして、2から1を引いてもまだ1が残る。
もちろんそんな単純な引き算で済む話ではないのだけれども。
あくまで蓋然性の話だ。
結局のところ一条からしてみれば、神楽坂が杠葉を敵視して自分と付き合ったフリをした理由もわからないままだ。挙句、言い逃れし得ない証拠をよりによって神楽坂から突きつけられてしまったのだから、一条にとってはさぞや屈辱的な出来事だったに違いない。
杠葉と神楽坂に対して復讐ができるのであればと、自らの悪評が広まることも厭わず一条がすべてを打ち明けてしまう――その可能性は必ずしも否めるものではない。
俺が長々とそのことを説明すると杠葉は、
「ふぅん、そ」
と、納得した風な、それでいて釈然としていないようにも聞こえる口調でそっと呟いた。
「なんだよ。なんか変な話したか?」
「別にぃ。天ヶ瀬くんの言う通りだなぁって感心しただけだよ」
それっきり、杠葉は神楽坂の話題も、一条の話題も出すことはなかった。
運ばれてきた山盛りのポテトフライをつつきながら、俺たちは取り留めのない会話を交わす。
そう言えば、杠葉のチャットにあった『言いたかったこと』というのは何だったのだろう。
『聞きたいこと』が何であったかはなんとなく想像は付くのだけれど。
会話の傍らで俺が思案を巡らせていると、スマホで時間を確認した杠葉が焦ったように立ち上がる。
「いけない、お母さんと買い物の約束してるんだった。ごめん、もう行かないと! お代、置いていくね」
そう言って、杠葉はいそいそと財布から千円札を取り出す。
「これくらい別にいいのに」
「そういうわけにもいかないよ。わたし、友だちどうしで奢ったり奢られたりするのってあまり好きじゃないんだ」
「しっかりしてるな、相変わらず」
「ん、じゃあ先に行くね。天ヶ瀬くん、また明日ね」
「おう、また明日」
「天ヶ瀬くん大変だろうけれど、頑張ってね」
「杠葉ほどじゃないよ」
一条との破局スキャンダルが待ち受ける杠葉に比べれば、俺が一時的に注目されることなど大した苦労ではない。
杠葉は僅かに苦笑すると、小走りで店内を後にしていった。
さて、独りぼっちになってしまった。
ここからはいつも通りの天ヶ瀬陽太郎だ。
もちろん帰って勉強をするのもいいけれど、しかしこの俺は試験前だからといって焦って詰め込むほど勉強に困っていない。
そもそも試験というものはあくまで日常の勉強からの延長であるべきだというのが俺の持論であり、今回の期末試験の試験範囲についても普段の勉強から全てカバー済みで何ら心配はない。十代の黄金ともいえる時間を勉学に費やしているのだから、そこで得た学びは未来に持ち越せるようにしなければもったいないだろう?
今日は糖分補給といこう。脳のエネルギー源はブドウ糖だ。血糖値を上げ過ぎない程度に甘いものを摂ることは集中力や記憶力を底上げするうえでは重要だからな。
「――私のおススメはあまおうパフェですかね~。チョコチップとアーモンドトッピングが美味しいんですよ~」
俺がメニュー表を吟味していると、そんな言葉が頭上から降ってきた。
聞き覚えのない女性の声音だった。
あまりにもクリアに聞こえ過ぎて一瞬自分が話しかけられたのかと勘違いしそうになったが、しかし冷静に考えてみると俺に街中で話しかけてくるような知人は存在しない。唯一の友だちは今さっき帰っていったところだし声色も全く違う。
人から話しかけられることの少ない俺だからこその勘違いなのだろう
危ない危ない。反応していたら恥をかくところだった。友だちが少なくてよかった。
「あ、でも、チョコバナナサンデーも捨てがたいな~。こんな風にキレイに写真を撮って並べられちゃうとどれも美味しそうに見えて困っちゃいますよねぇ。デザートにも食べ比べセットみたいなのがあればいいのにな~。そう思いませんか、天ヶ瀬せんぱい?」
同意を求める天の声が続けざまに降ってくる。
名前まで呼ばれてしまってはさすがに勘違いだと切り捨てることはいよいよ難しくなってくる。都合よく天ヶ瀬という名の先輩が隣のテーブルに腰かけているなどという天文学的確率を妄信するほど頑迷ではない。
「もぅ、スルーしないでくださいよ~。とりあえずここ、失礼しますね」
俺の了承を得ることなく、先ほどまで杠葉が腰かけていた席にストンと腰を落としたのは小柄な女の子。
顔立ちはかなり整っているが見覚えはない。小麦色に日焼けした特徴的な可愛らしい女の子だ。雰囲気から察するに年齢は俺と同じくらいだろうが、その体格と丸みを帯びた輪郭が相まってか年齢よりもやや幼く見える。
「……どちらさま?」
俺が紳士風に問いかけると、その女の子は意外そうな顔を返してくる。
「えー、私のこと覚えてないんですか~?」
「覚えてるもなにも、初対面だと思うんだけれど。え、どこかで会ったことあったっけ」
「ひどぉい。あんなに熱心に口説いてくれたじゃないですか~」
「そんな記憶はないが」
「世界中のどんな宝石より、君の瞳のほうがずっと美しいよって言ってくれたのに」
「記憶にないを通り越して誰だよそれ」
解釈違いにも程がある。
確かに目の前の女子は綺麗な瞳をしているが、そんな歯の浮くようなクサいセリフを宣うような人間を俺は天ヶ瀬陽太郎とは呼ばない。
神楽坂のことがあったから最近は記憶力に自信がなかったのだけれど、この分ならマジで知り合いだったというわけでもなさそうだ。
「あはは、ごめんなさい、冗談です。安心してください。私と先輩は正真正銘、初対面ですよ。私、加賀崎佳乃って言います。せんぱいと同じ高校の一個下です」
「加賀崎さんって、陸上部の?」
「ですです~」
加賀崎は微笑んだ。
顔に見覚えはなくとも、その名前には聞き覚えがあった。
陸上部に全国レベルの女の子が入部したという噂を小耳に挟んだことがある。種目までは知らないがとにかく過去に全中で上位入賞したことがあるエリートで、しかもそれでいて顔もかなり可愛い――と。
天は二物を与えずなんて言葉を世に広めたの誰だよ。凡人に期待を抱かせるなんて罪深いぜ。
「はぁん、そりゃ有名人だ。で、どうして俺のことを知っているわけ?」
「そりゃ知ってますよ~。私、ミスコン見てましたから。知ってます? 昨日のアレのおかげで、せんぱいの方こそちょっとした有名人なんですよ。なんせミスコンでキスまでした歴史上初のカップルですし、その相手も負けず劣らずの有名人ですからね~」
「マジかよ」
同級生ならまだしも下級生の間でも話題になっているなんてのは冗談でも笑えない。
逆に冗談じゃない方がまだ笑えそうな気がする。
いや、嘘。やっぱ笑えない。
俺は軽く意気消沈しながら尋ねる。
「……で、その加賀崎さんが俺に何の用?」
「んー、そうですねぇ」
加賀崎はほんの少し逡巡したのち、キラリと笑った。
「とりあえず――パフェ、食べません?」