第50話 文化祭二日目⑦
俺の言葉を皮切りに、それまで固唾をのんで見守っていた観客席が一斉に沸き立つ。体育館中がそこそこ大きめの拍手と歓声、指笛に満たされていた。
笑いではなく歓声が上がったことで、ようやく俺はほんの少しの冷静さを取り戻した。観客の反応からするにとりあえず格好は取り繕えたらしい。即興で考えたセリフにしては、我ながらまとまったスピーチが出来たような気がする。
しかし俺の手番まだこれで終わりではない。相手役が応答するところまでがシチュエーション対決だ。と言っても大抵の場合は『はい』と答えてそれで終わりらしいけれど。
俺は、観客席に移していた目線を戻す。全てを仕組んだ張本人――氷の女、神楽坂詩。彼女は、俺の言葉を受けて、果たしてどんなリアクションをとるのか。ほんの少し緊張を携え、改めて神楽坂の顔を見据える。
「……っ」
そこにあったのは、俺の予想を大きく上回る光景だった。
神楽坂は薄っすらと頬を紅潮させ、瞳を潤ませている。マイクを胸元に抱きながら唇を開きかけたものの、言葉にならない声のかけらが、小さく零れ落ちていく。
それは絵に描いたような『照れ』の反応。
そして、これが演技でないことを俺は知っている。
なぜなら――神楽坂詩という女は、自分自身に嘘をつかない。
「……ごめんなさい。ちょっと、上手く喋れなくて、その……天ヶ瀬くんの気持ち、とても嬉しい」
神楽坂はらしからぬたどたどしさを見せながら、柔らかく微笑む。その笑顔はあまりにも自然で、美しかった。
まるで俺が本当の告白をして、神楽坂がそれを本当に受け取ったような、そんな錯覚すら覚える。
――いや、待て待て。
さすがにこんな展開は予想外すぎるだろ。
余裕たっぷりに、してやったぜ的に神楽坂が笑ってそれで終わりだと思っていたのに。こんな表情をされたら、こっちも色々と想像してしまいそうになる。
自分の頬が茹だるように上気していくのを感じながら、俺は神楽坂の次の言葉を待った。
「天ヶ瀬くん、あなたはとっくに気付いているかもしれないけれど――私にとっても、あなたはずっと特別な存在だったのよ。あなたを追いかけてこの学校に来て、同じクラスになって、一緒に展覧会の準備を進めることが出来て、私はとても幸せだった」
マイクを通して伝わる神楽坂の独白に観客席がざわつくのがわかる。
これが演技の一部なのかそうでないのか判断がつかないのだろう。その答えを持っているのは神楽坂本人しかいない。
当事者である俺であっても、『追いかけてきた』という神楽坂の発言の真偽すらわからなかった。もちろん、普通に考えればあの時点の神楽坂が俺の進学先なぞ知る由もないのだけれど、それでも神楽坂家ならなんとかして調べ上げてきそうな気もする。
あんな一瞬の出来事で、そこまで人を好きになれるものなのか――正直、俺にはわからない。
けれど、少なくともこの世界にはそれが可能な人間がいるということを、神楽坂の一つ一つの振る舞いがこれ以上ないほどに証明している。。
否定も謙遜も、知らないフリもしない。
神楽坂詩は、俺のことが好きなんだ。
「思えば、ここまでは本当に長い道のりだったわ。5月から――いえ、正確に言えば2年前から、ずっとこの場面だけを思い描いてきたのよ」
神楽坂は感慨深げに目を細め、小さく息を吐き出した。
まるで優勝が決まったようなスピーチに、観客席は困惑しながらもその熱を高めていく。何を言っているのかよくわからないが、なんとなくめでたい感じだしとりあえず盛り上がっとけ的な雰囲気をひしひしと感じる。
対照的に、俺の頭は別の方向に冷静さを取り戻していた。
観客の困惑は御尤もだ。何を言っているかわからない――まさしくその通りだ。
こいつは、神楽坂はいったい何を言っている?
「このシチュエーションをセッティングしてくれた彼にも少しばかり感謝してあげないとね」
神楽坂は観客がいることを忘れたように、独り言めいた調子で続ける。明らかにおかしな流れになりつつあるが、それを止められる人間はいない。立場上、その権利を有しているはずの司会の生徒も対応に迷っているようだった。話し手が神楽坂だというのも大きいだろう。
未だ神楽坂の真意の全貌を量りかねていたが、神楽坂の言葉を脳内で反芻するうち、着実にバラバラになっていたピースの一つ一つが繋がっていくのを感じていた。
浮かび上がる仮説。
それはやがて確信に近いものへと変わっていく。
「……まさか、お前は最初からここで戦っていたのか」
「最初――というのをどのように定義するかに拠るわね」
これは、マイクに乗らない応酬。だが、仮に乗っていたとしても、その内容を理解できるものは観客席には一人として存在しないだろう。
しかし俺にとっては、神楽坂の言葉はこれ以上ないほどに答えを指し示していた。俺の仮説は、まさしく真実へと羽化したのである。
神楽坂は――俺とともにこのミスコンの舞台に立つことだけを考えていたのだ。神楽坂が表向きの願いに固執しなかった理由はこれで説明がつく。
思い返してみれば、昨日までの神楽坂はあまりにも自然過ぎた。
彼女の依頼に対して明確な回答を出さない俺に対して焦れることもなければ、一条をハメる為に都合よく呼び出した時も素直にそれに応じてくれた。
それはすべて杠葉の利に繋がる行為だ。どう考えても、杠葉に対する復讐を目的とする人間の振る舞いではない。
つまり神楽坂にとって、杠葉の復讐の裏――即ち、杠葉に内緒で俺と友だちになるなどという願いは最初からどうでもよかったのだろう。
むしろ一条をハメることでこのミスコンを欠席させ、代役である俺を引き摺り出すという作戦がようやく成立するのだから、協力的になるのも当然である。それに、俺と杠葉が一条に対して仕掛けるなら夏休みに入る直前のこの文化祭――それもミスコンが開催される前しかないというのも読み切っていたに違いない。
「そうか……一条に俺を代役登録させるよう仕向けたのもお前か」
「ふふ」
神楽坂は俺の問いかけに答えることなく軽やかに笑った。
考えてみればそもそも一条が俺を代役に選ぶのはやはりおかしい。あいつからしてみればミスコンを欠席する気などサラサラないのだから、代役なんて最低限背格好さえ近ければ誰でもよかったはずだ。全く接点のなかった俺を選んだことこそが、その最たる証拠である。肩幅や腰回りまではわからないが、少なくとも身長や体格が似ている生徒など五万といる。だからこそ、その中からあえて俺を選ぶなんてことをするはずがない。
ならばそうするように促した人間がいるというのはもはや自明の理だった。
神楽坂ならば、お得意のネットワークを活かしてクラスの男子生徒のプロフィールを入手したとでも言って、その中から俺が選ばれるようにうまく誘導することもできただろう。なにせ一条の浮気相手なのだ。「一条くんと天ヶ瀬くんはほとんどすべてのプロフィールが一緒みたいね。どうせ出るつもりなのだし、代役登録が誰でもいいのなら、何かあったときのために天ヶ瀬くんにしておいたら? そうすれば坂井くんも助かるでしょう?」とでも言っておけばいい。そう言われて別の生徒を選ぶような人間はいないだろう。それが本当のプロフィールでなくとも、神楽坂の「情報網」という表現だけで十分な説得力が生まれる。
そして神楽坂は、一条がミスコンを欠席することまで読み切っていた。
察するに、これは一条から俺に対する意趣返し――嫌がらせのつもりなのだろう。
俺を慣れない舞台に送り出し恥をかかせようとする一条にとっての復讐というわけだ。
もちろん、俺が断る可能性もあったわけだが、一条からしてみればそんなことはどうでもよかったのだろう。そうなった場合には病欠してしまったという結果だけが残るわけだ。どう転ぼうと裏側の意図が明らかになることはないのだから、一条からしてみれば特にリスクはない。
そして、神楽坂はそんな一条の行動さえ計算に入れたうえで、俺が性格上、出場を断らないことも確信していたのだ。
ここまで周到に準備されていれば、もはや運など介在する余地はない。
「……マジかよ」
つい先ほど、ここが待ったなしの土俵だ、なんて表現をしたが、それは間違いだったと認めよう。
全ては必然――ここはただの狩場だ。
獲物を追い詰め、仕留めるための狩場。
冷たい雫が頬を伝う。先ほどまで感じていたプレッシャーとは全く異質の、重く鋭い緊張感が心に突き刺さる。
恐らくこれを思い立ったのは、杠葉とともに俺が例のシーンを目撃した放課後以降のことだろう。それまでは純粋に、俺と仲良くする(神楽坂基準)杠葉に対する嫌がらせのつもりだったのかもしれない。しかし、そこに俺が絡んできたことで、神楽坂の計画は軌道修正されたのだ。
もしかしたら、神楽坂と一緒にラーメンを食べに行った帰りに、一条と藤澤の姿を目撃したのも神楽坂の差し金だったのかもしれない。確実に一条を潰すために、俺にきっかけを与えたかったのだと考えれば辻褄があってしまう。なぜ一条たちのスケジュールを知っているのか、なんてのはもはや考える必要もないだろう。そんなことに頭を悩ませるのは一年後の天気を予想するのと同じくらい意味がない。
一条と神楽坂が付き合っていないという話を聞いたときに抱いた感想を、俺はいま再び覚える。
俺は――俺たちは、最初から最後まで神楽坂に踊らされていたのだ。
「――あぁ、ごめんなさい。天ヶ瀬くんの告白に対する返事がまだだったわね」
随分とわざとらしいセリフではあったが、内容はともかく神楽坂が再びマイクに声を乗せたことで、客席に張り詰めた重苦しい空気が弛緩していく。長かった神楽坂のターンがようやく終わりに向かい始めたのだと皆が感じ取ったのだろう。
俺の抱いた感想はそれと正反対であった。
神楽坂の真の目的は、きっとここからだ。
まだわかっていないことはある。
なぜ神楽坂はあえてこのステージ上で俺に気づかせるようなやり方をとったのか。
そもそもこのミスコンという舞台を選んだ理由はどこにあるのか。
ヒントはきっと神楽坂の言葉の中にあるはずだ。
俺は神経を研ぎ澄ます。
「あぁ、その前に。そう言えば、まだあなたにお返しをしていなかったわね」
今度は俺にだけ聞こえるような声量だった。
お返し――。
その言葉の意味は広い。文字通り受け取ったものを返すのだと考えれば、そこには無限の可能性が存在する。もちろん、純粋なお礼という意味で取ることもできるだろう。
だか、もしそれが正反対の意味なのだとしたら。
さっき、神楽坂は長かったと言っていた。
もしその二年間に対して――より正確に言えば、二年前の女の子と神楽坂が同一人物であることに俺が気付かなかった一年間に対して神楽坂が腹を立てていたとするならば。
この場所――多くの生徒が一部始終を目撃するこのステージ上に俺を立たせること、そしてそのステージの上で愛のセリフを叫ばせることこそが。
――俺に対する復讐だったんだ。
「あら、忘れてしまったの? 私の復讐に付き合ってくれたらお礼をしてあげると言ったでしょう?」
神楽坂は小首を傾げ、不思議そうにこちらを見つめてくる。
それは全身を舐めてもいいといかいう例の約束のことだろう。もちろんその言葉を忘れたわけではない。ではないけれど、それを本気にするほど愚かでもない。というか舞台上でそんなことしたら退学になるわ。
神楽坂の真意を確かめようと目を凝らしていると、その透き通った瞳に吸い込まれそうになる。耐えきれず視線を彷徨わせた俺の視界の端――舞台袖の暗がりに人影が映りこんだ。
それは紛れもなく、杠葉の姿だった。
杠葉は焦るでもなく怒るでもなく、ただ感情の失せた瞳でじっとこちらを見つめている。
彼女はいったい――いつからそこにいたのだろう。
しかしそれも束の間。神楽坂が一歩、また一歩と俺に近づくにつれ、杠葉の姿はその影に飲み込まれ、見えなくなる。
「ねぇ、天ヶ瀬くん」
眼前に迫る神楽坂。
神楽坂の目的がこの場所に俺を立たせて終わり――などと、そんなはずはなかった。
だとするならば。
「何、を」
不穏な空気を察し、思わず後ずさりしかけるが、しかし音よりも早く、光よりも軽やかな足取りで接近した神楽坂がそれを許さない。川魚を捕まえるかのごとく自然な動きで神楽坂の両腕がするりと俺の首元に差し込まれた。ひんやりとした神楽坂の腕に後頭部と首筋を抱えられるような格好になり、俺は逃げ場を失う。
神楽坂の瞳が、俺を捉えて逃がさない。
「お返し」
その小さなささやきと同時に、俺の視界が肌色で埋まる。
ふわりと甘い香り。
唇に触れる柔らかな感触。
永遠にも似た空間の中で、遥か彼方から悲鳴と歓声が聞こえたような気がした。
「――愛しているわ、天ヶ瀬くん」
【第一章、完】
こちらで第一部完です!キリよく50話で締められてよかったです。ここまでお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました!
第二部以降もプロットが完成次第、鋭意更新していきたいと思います!
また、もしかしたら息抜き的な別作品の更新もあるかもしれません。
ここまで読んでいただいて、少しでも続きが気になると思っていただいた方は、是非とも評価ポイント、いいね、ブックマークをよろしくお願いいたします!




