第45話 文化祭二日目②
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「やっほ! 従順可憐な陽ちゃん専用妹奴、月子ちゃんが来たよっ!」
「誰に向けて大声でバカみてぇな自己紹介してんだお前は。冥土に送られたいのか」
俺は月子のマシュマロのような頬をむぎゅっと鷲掴みにして煩い口を黙らせる。タコのような唇から「ふぁ、ふぁいふぁるふぁふぃふふぁほひれふぁいふぁらふぇんふぇいふぉ」などと意味不明な言語が漏れ出したが、解読するのも面倒そうなので俺はスルーを決め込む。
昼前である。
昨日は土曜授業のため来ることが出来なかった我が愚妹がとうとう降臨した。到着を知らせるチャットが月子から届き、初めのうちは無視していたもののチャットが鳴り止まず、未読が百件を超えたところで仕方なしに昇降口まで迎えに行くと、月子はスカートを揺らしながらこちらに飛びついてきた。
半袖のセーラー服は月子の中学のものだ。いつも元気いっぱいの月子も流石に蒸し暑さが堪えているらしく、長い髪の毛をポニーテールで纏めていて、それがまたより活発な印象を与えていた。身長や顔だけ見れば高校生と勘違いされてもおかしくはないのだけれど、全体的な雰囲気にはまだどこかあどけなさを感じる。まぁそれを感じさせる要因の大部分は月子の言動なのかもしれないけれど。要はガキなんだよな。
「ほんとは昨日も来たかったんだけどなぁ。陽ちゃんの勇姿を見届けられなくてごめんね」
「勇姿もクソも何もしてねーよ昨日は」
「でも、この月子が来たからにはもう大丈夫、文化祭をきっかけに陽ちゃんに引っ付いてくる悪い虫はあたしが薙ぎ払っていくからね!」
そう言って俺の腕を抱え込み、身体を寄せてくる月子。文字通り引っ付いている格好で、悪い虫はどちらかというとこいつの方だろう。
月子には協力をお願いした手前、杠葉とのあれこれとその顛末については、昨日の夜に最低限説明済みだ。裏を返せば本当に最低限以外のことは話していない。杠葉が付き合っている男と別れるために俺を代役に立てるので、その隠し撮りをしてほしいとしか伝えていないのである。
事情を知らなければ、わざわざ隠し撮りをしてまで二人が付き合っていることをアピールするというのは正味理解不能だろう。一般的な感覚からすれば、二人のツーショットを送りつけてやればいいだけじゃんという反応でも返ってきそうなところだが、しかしそこは流石の月子、特に疑問を抱くこともなく任務を遂行してくれた。純粋なところはこいつの良いところでもあるんだが、将来、変な騙され方をしないか兄としては極めて不安になる感じだった。しかしまぁこいつのそんな反応を予期してお願いした身からすれば、期待通り動いてくれてありがとうとしか言えねぇや。うん、今度ロイヤルホスト連れて行ってやるからな。
そんな事情はともかく、一条に対しては俺と杠葉が付き合っていると説明していることもあり、あまり校内で他の女子と引っ付いているところを見られるのは避けたかった。俺と杠葉の関係は一条と神楽坂しか知らないので、そっちの方が皆に知れ渡ることはおそらくないとは思うが、文化祭で天ヶ瀬が他校の女子(側からはそう見えることだろう)と密着していたなどという噂が広まってしまうと一条に変な疑惑を抱かせかねない。誰もこいつが俺の妹だなんて知らないしな。この件をこの文化祭限りで落着させるためにも余計な火種は潰しておくに限る。
そんなわけで俺は半ば強引に月子を引っ剥がしていく。
「何しにきたのお前、帰れよ」
「ちょっと冷たすぎない!? 流石のあたしも傷つくんですけど!」
月子はショックを受けたような表情を浮かべたかと思うと、およよとわざとらしく泣き真似する。多くの人々が行き交う昇降口ということもあって、わざわざ立ち止まってミニコントを繰り広げる二人組というのはそろそろ目立ち始めていた。
仕方ない。これ以上ここにとどまるのも不味かろう。
思わずため息を漏らしながら、俺は月子の手を取り校内に足を踏み入れた。
「あはっ、陽ちゃんは素直じゃないなぁ。特別に美少女との文化祭デートを体験させてあ・げ・る・ん・ば!」
「そのルンバどこから来たんだよ」
バカみたいなことを口走りながら、月子はニコニコと楽しそうに笑みを浮かべ俺の後に続く。
妹と連れ立って文化祭を練り歩くなんて憤死モノ以外の何者でもないのだけれど、強引に帰らせようとして帰るタイプの人間じゃないので仕方ない。まぁどうせ誰も俺のことなど気づかないだろうし、大丈夫だろう。
「おいアホ月子、悪いけどこっちも色々と立て込んでんだ、珍しいことにな。ちょっとだけ付き合ってやるからそれが済んだらさっさと帰れよ」
「はぁーい」
月子をさっさと帰らせたいのにはもう一つ理由があった。
言うまでもなく、ミスコンの件である。
結局俺は杠葉に後押しされる形で代理出場を承諾したのだった。
もちろん、他の候補者を見繕うというのも考えたが、知り合いのいない俺にはそもそも打診先すら思い当たらない。唯一頼ることのできる杠葉は「時間いっぱい粘ってみるね!」と言ってくれたものの、未だ吉報は届かない。文化祭はどのクラスも基本的に各人が仕事を割り振られているわけで、そう簡単にシフトに穴を開けるのは難しいという事情もあるのだろう。しかし、やはり校内ナンバーワンのイケメンの代打というのが、足を遠のかせる最大の要因なのではないかとも思う。
実際俺も非常に足が重い。
そこらのイケメンならともかく、俺のような何の特徴もない人間が舞台に立っても恥をかくのは目に見えている。杠葉は俺を励ますために色々と言葉をかけてくれたが、正直あまりピンとは来てはいなかった。無為に他人の厚意を無碍にしたいわけではないが、彼女の誉め言葉――特に容姿は問題ないという言葉をそのまま真に受けるほど愚かではない。
それでも代理出場を承諾したのは、ひとえに服飾部の努力を無駄にしてしまうのが忍びないと考えた、ただそれだけの話だ。なんでも彼らは文化祭に向けて五月頃から衣装準備を進めてきたらしい。約二ヶ月に及ぶ努力の結晶を披露できないというのは流石に気の毒に思えた。
それに、俺が断ったせいで彼らの発表が不完全に終わってしてしまうというのも、どうにも寝覚めが悪いしな。
そんなわけで、三時頃から始まるミスコンへの出場がほぼほぼ固まりつつある中、せめてもの抵抗として自分の知人や家族にはそれを見せたくないという思いがあった。杠葉はもちろん、クラスメートである神楽坂は避けられないだろうが、月子や会長にはなるべくなら知られたくないところだ。
……『知人や家族』の合計人数が四人ぽっちというのはさすがにどうかと思うが、とにかく、月子には色々知られる前に帰ってもらわなければならない状況にあるのだった。
「んで、お前なんか見たいものあるか?」
「んーん。陽ちゃんと一緒ならどこでもいいよ」
「そーか。んじゃ、適当に回るぞ」
半歩後ろをついて回る月子をちらりと見やりながら、俺は校舎を歩み進める。
自分のクラスに立ち寄るのは色々と不味いというか、さすがの俺でもハードルが高すぎるため、クラスの喫茶店を上手く回避しつつ、見かけた適当な店舗を冷やかしながら校内をぐるりと回っていく。タロット占いの館、脱出ゲーム、演劇等々、手あたり次第で入ってみたが、これが存外楽しい。一ヵ月やそこらで準備したとは思えないほど、どのクラスも趣向が凝らされた出し物を展開しており、うちのクラスと随分温度差を感じるようだった。まぁ熱意はそれぞれなので仕方ない。他所は他所、うちはうち。
「やーん、陽ちゃんとあたしは運命で結ばれてるって! 十年後も二十年後もお互い傍にいるってさぁ! えへへ、嬉しいなぁ」
「兄妹なんだからそりゃそうだろうよ」
十年後はともかく、二十年後あたりにはさすがに独り立ちしていてほしいところである。お兄ちゃんは心配です。
タロット占いの精度はともかく全体としてそれなりに楽しんだ俺たちに、ボチボチ腹の虫が空腹を伝えてくる。時刻はとっくに正午を回っていた。
そう言えば呼び出しを喰らっていた会長の喫茶、顔を出してみるか。この時間にもなれば多少喫茶店も空いてくる頃だろう。
俺は一応、会長に確認のチャットを送る。
『今から妹を連れて行ってもいいですか?』
するとすぐに返信が届く。
『いいよぉ~、妹でも弟でも何人でも連れておいでぇ~。私も着替えて待ってるねぇ~』
……どうにもチャットの文面に違和感を拭えない。会長はああ見えてSNS上だと硬派――というか普通に素っ気ないので、普段なら『許可』の二文字だけで返信を済ませてきそうなものなのだが、なんだろうこのよくわからないテンション。お祭りで浮かれているのだろうか。
などと考えていると続けざまにピコンと通知音が手のひらを揺らす。
『ごめん、今の優里が勝手に送った』
『ウチはコスプレはし』
と、今度はそんな中途半端なメッセージが届いていた。どうやら書きかけの状態で送られてきたらしい。するのかしないのか非常に気になる感じだったが、少し経っても別のメッセージが届くことはなかった。何かあったのだろうか。
まぁいい。確認の意味合いも込めて顔を出すことにしよう。妹を紹介するのは少し恥ずかしいが、月子自体は奇行を除けば誰に紹介しても恥ずかしくない妹ではある、と言ってしまうのは少しシスコンみたいになってしまうが、偽りなき本心でもある。当の月子は、相変わらず俺の後ろで間の抜けた顔をしているのだけれど、俺の知人の前ではちゃんとよそ行きの顔をしてくれることだろう。
俺は月子を連れて三年生のフロアへと足を進めた。
エンジェル喫茶の教室前には順番待ち用の椅子が並べられているがいずれも空席状態だった。予想通りピークは避けられたらしい。
「ウェルカムエンジェルー!」
「エンジェルー!」
教室の扉を開けた瞬間、そんな独特な挨拶が飛んでくる。明るく元気な声に一瞬たじろぐが、どうやらこれが歓迎の掛け声らしい。語感の良さだけで選んだような感じもする。おそらく、誰かがノリで決めたのがそのまま定着してしまったのだろう。
「……陽ちゃん、なかなか凄いね」
「……だな」
俺と月子は同時に頷いた。
エンジェル喫茶の店内は青空と白い雲で天国でも表現しているのか、透明感のある内装に仕上がっていた。昨日の朝は内装までは見えなかったが、コスチュームと併せて随分手が込んでいるらしかった。
店員の生徒には、男女を問わず背中に羽が生え、頭の上には輪っかがついている。量販店などに売っていそうなあれだ。全員が白、あるいはクリーム色の衣服に身を包み、天使っぽさを醸し出そうとしている。少なくとも、これまでに回ったどのクラスよりも気合は伝わってきて、俺と月子は感嘆の声を上げた。
「お二人ですか?」
「あっ、はい。そっす」
「ではこちらへどうぞエンジェルー!」
店員の女子生徒がスマイルを浮かべて俺たちを席へと誘導する。語尾にエンジェルを付けて話すことに最早抵抗はないらしい。二日目の昼過ぎともなるとさすがに慣れてくるのだろう。
雲をイメージしているような白いふわふわが取り付けられた椅子に腰かけ、俺は会長に到着を知らせるチャットを送信する。時間を置かずに返信が届く。お腹が減っているなら、自信のあるメニューをこっちで選んで作って、そちらに持っていくとのこと。願ってもない話だ。俺はYESと即答した。
二人分のお茶を注文し、月子と駄弁りながら待っていると、廊下の外から聞きなれた声が聞こえてくる。
「……ねぇ、マジでこれで入んなきゃいけないの? フツーに恥ずかしいんだけど」
「ここまで来といて何言ってるのよぉ。だいたい、廊下でそのカッコしてる方が恥ずかしくない? ほらぁ、早いとこ入った入った」
「ちょっと、料理持ってるんだから押すなっての」
そんなやり取りとともに教室前方の扉――店員専用と思われる扉が引き開けられる。
「…………恥ずっ」
恥じらいの表情を浮かべる金髪の天使が、そこにはいた。