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第36話 文化祭初日③

「――けん、や」


 誰が聞いてもわかるほどの狼狽を声色で表す杠葉。

 震える声で呟かれたその名の主は、眼光鋭く俺たちを――より正確に言うなら杠葉の方を睨んでいる。


「……どうしてここに?」


 俺が二の句を失った杠葉の心の声を代弁すると、一条はジロリと視線をこちらに滑らせる。


「どうしたもこうしたも、お前らが揃ってコソコソとどこかに向かってるのが見えたから後を尾けたんだよ――お前らが俺に対してやったようにな」


 その言葉に、心臓がドキリと跳ねる。隣の杠葉も表情を強張らせていた。

 見透かされたような鋭い視線が突き刺さり、背筋がぞくりと冷える。緊張が一気に高まり、口の中が乾くのを感じる。下手に言い返せば墓穴を掘る可能性もあるが、黙っているわけにもいかないだろう。動揺しっぱなしの杠葉にまともな受け答えは期待できそうになかった。

 握りしめた拳に力が入る。


「……気づいてたのか」

「あの日ちとせが腕につけてた髪ゴムと背格好見りゃ大体わかんだよ。まぁ――確信したのはこれを見てからだけどな」


 そう言って一条はブレザーの内ポケットからポストカードのようなものを取り出し、俺たちの目の前の机に叩きつける。

 このスマートフォン全盛、大デジタル時代には珍しくプリントアウトされた写真の束だった。それを見た瞬間、杠葉の表情が凍り付く。


 そこに写っているのは、並んでカートを押す俺と杠葉の姿や、杠葉の自宅に入っていく俺のバックショットであった。もちろん、俺と杠葉の遠目の写真を俺たち自身で撮ることなど叶わないわけで、当然ながら誰か別の人間が撮った写真ということになる。

 つまりは――盗撮だ。


「……これ、は」

「今朝、俺の下駄箱に入ってたんだよ。誰がやったのかもどんな目的があるのかも知らねーが、これを見て俺はどーすりゃいいってんだ。なぁ、俺はその誰かさんに感謝すりゃいいのか? ははっ、なんだこれ、どういうことなんだよマジで」


 手のひらを額に押し当て乾いた笑いを浮かべる一条は、若干芝居がかった仕草ではあったがとても様になっていた。しかしその眼はとても笑っているように見えない。怒気の籠った一条の言葉に、杠葉は伏し目がちで身体を震わす。


 何も事情を知らない人からしてみれば、その写真はカップルの日常に見えることだろう。

 では事情を――杠葉と一条が付き合っているという事実を知っている人間からするとどう映るか。

 そんなことは一々問い質す必要もないことだろう。


「お前が昨日、どうして俺に()()()()()を聞いてきたのかは知らねぇ。()()()()()()()()()なら、お前の嘘には何の意味もないだろ。なんだよ天ヶ瀬、お前、俺を挑発でもしたかったのか?」


 朝の点呼の時点で、一条はこの写真を()()()()()()()()()いたはずだ。けれど昨日の俺の質問で、俺が程なくして杠葉を呼び出して二人きりになることがわかっていたのだろう。


 だから一条は――この状況を待っていた。


「――っ」


 杠葉が小さく息を呑む音が聞こえた。

 この状況はきっと彼女の想定を大きく超えている。


 杠葉の計画通りならば、一条を浮気で弾劾したうえで俺との交際を宣言し、一条に悔しい思いをさせるというのがシナリオだった。

 けれど、これでは順番が逆だ。

 一条を糾弾することは出来ず、ただ杠葉が悪者扱いされてしまっている。


 緊張で喉がカラカラに乾く。このまま一条の好きに喋らせておくわけにはいかないだろう。

 けれど、次の言葉を紡ぐのは俺ではない。

 それはきっと、俺の役目じゃない。

 俺の役目は――それじゃない。


 一条の瞳が再び杠葉を捉える。


「なぁ、ちとせ、教えてくれ。どうしてお前がそいつと二人きりで買い物をした挙句、自分の家に招き入れてんだ? この場所に来てお前らは一体何をしようとしてたんだ? お前とそいつは――どういう関係なんだよ」

「……わ、わたしと天ヶ瀬くんは――っ」


 状況を咀嚼し、なんとか我を取り戻したらしい杠葉が意を決して口を開く。


「――うん、付き合ってるよ」


 告解を聞き遂げた一条はピクリと眉を動かすも、依然として冷静さを失うことなく静かに嘆息した。


「……そういうことで、いいんだな。つまりお前は、俺を裏切ったと」

「それは――健矢には言われたくないよ……!」


 少しずつではあるが、杠葉の瞳に炎を灯りつつあるのが見て取れる。

 ここまで攻勢を保ってきた一条の端正な顔に僅かに緊張が走る。


「元を正せば、健矢が先に神楽坂さんと浮気をしたんでしょう? わたし、全部知ってるんだよ。あんたが神楽坂と抱き合っていたのも、二人きりでデートしていたことも。それであんたに愛想尽かして、天ヶ瀬くんに色々と相談に乗ってもらって、それで――っ!」

「……そういうことかよ。ようやく合点いったぜ。それで()()()()()と付き合って、二人して俺に仕返しする機会を伺ってたってわけか。感情に任せて動く性分はどこまでいっても変わんねぇな、ちとせ」

「……それも、健矢には言われたくないよ」


 杠葉の追及をさらりと受け止めた一条は意外なほどに冷静な様子であった。もう少し感情的に言い返してくることも想定していたが、予想に反して理性的である。それの理性の一部分でも性欲を抑えることに使えればこんなことにはならなかったのに、と思わざるを得ない。

 しかしまぁ、なにはともあれ杠葉と俺が付き合っているという部分については疑いを持っていないようだった。やはり意図せずリークされた盗撮写真の存在は大きいらしい。そこは一つ、杠葉的には作戦成功と言えよう。

 尤も、肝になるのはここから先の部分である。


 一条はふぅと一息つくと、どこか弛緩したようにそれまでの怒り肩を鎮めた。


「熱くなってるとこ悪いが、俺は神楽坂と浮気をした覚えはねぇな」

「……嘘だよ。じゃあ放課後に二人きりの教室で抱き合ってたのはなんなの!? わたし、見たんだから。写真だって撮ってる」

「それは……向こうが俺に告白して勝手に抱きついてきただけだ。女子相手に無理に突き放すなんてこと、俺はしない」

「……それが本当だとしても神楽坂さんの背中に手を回す必要がどこにあるのよ」

「俺としては回したつもりもねぇよ。()()()()そう見えただけだろ。誤解させちまったなら謝るが、別に俺はそれ以上のことはしちゃいねぇ」


 なるほど、そういう言い訳できたか。だいぶ無理がある言い分だと思うが、抱きつく以外のシーンを目撃していないこちらにとっては、この場においてこれ以上追及しても水掛け論にしかならないだろう。少なくとも当の神楽坂がいなければ真偽の決着はつかない。その場凌ぎでしかないのは一条も理解しているだろうが、今この場さえ凌げれば十分とでも考えているのかもしれない。

 杠葉も埒が明かないと判断したか、次の言葉を探すようにして僅かに視線を左右に散らばらせたのち、再び口を開いた。


「……じゃあ、あの日直の日のデートはなに? 健矢の言い分通りなら、自分に告白してきた女の子とわたしに黙って二人きりで遊んだことになるんだけれど、それは浮気でもなんでもないと言うの?」

「……あぁ、そうだ。言っただろ、神楽坂にはちとせへのプレゼント選びに付き合ってもらっただけだって。お前にそれを言っちまったらサプライズになんねぇだろうが。それに、選んでもらったお礼として()()()に飯を奢ることの何が悪いって言うんだよ。言っておくが俺は神楽坂と手すら繋いじゃいねぇ。それは俺たちを尾行していたお前らが一番よく知ってんだろ」

「……っ、それはっ」

「それともなにか? 俺が本当に神楽坂と浮気してたっつー確固たる証拠でもあるってのか?」


 拠り所を失った杠葉は返答に窮する。

 それはまさしくキラーワードであった。あの日以降も杠葉はちょくちょく一条の様子を気にしていたが、当の神楽坂は一条とのリアル接触を展覧会準備を理由にシャットアウトしていたわけで、これ以上の証拠なぞあるわけもない。神楽坂とのSNSのやり取りのスクリーンショットでもあれば話は別だろうが流石にそれは望めないだろう。


 懸念していた通り、杠葉の見立ては甘かったと言わざるを得ない。盗撮をネタに機先を制されたというイレギュラーはあれど、彼女なら一条がこうして反論してくることは予期してしかるべきだろう。

 しかしこの作戦における杠葉は悪い意味での適当とでも言うべきか、何事にも全力で取り組む彼女らしくもない詰めの甘さを露呈している。一体どうしたというのだろう。


 それでも、クラス替えの直後から一条が神楽坂にアプローチしていたという事実を知っていれば、まだ追及する余地もあったかもしれない。

 しかし俺は神楽坂から聞いた話を杠葉には伝えていない。

 俺は俺なりに熟考に熟考を重ね、杠葉には()()()伝えないことに決めた。


 まだ大丈夫。俺は自分に言い聞かせるように拳を硬く握りしめる。

 この状況、杠葉のこの窮地は。

 まだ()()()()()()()()だ。


 自分を落ち着かせるように小さく息を吐き出していると、一条がこちらに向き直る。


「天ヶ瀬、さっきからダンマリこいたまんまだがお前はどうなんだよ。それとも自分には関係ないってか? はっ、こんな時までそのスタンスかよ」


 一条は吐き捨てるようにそう言った。

 隣の杠葉は不安そうな表情でこちらを見つめている。


 俺はどのように応えたものかと逡巡した上で、


「……いや、そんなことは考えていないよ」


 そう短く返す。

 二人からの反応はない。俺の次の言葉を待つように、静かに耳を傾けているようだった。


 しかし、二人の期待に反し、そう言ったきり俺は口を噤む。

 こういう状況になってしまった以上、()()()()()()に説得力を持たせるためには、俺は余計なことを喋るべきではない。


 杠葉は相変わらず俺に視線を送っている。

 表情には不安や焦燥がありありと見て取れる。

 今の状況に対する不安、そして何も話さない俺に対する不安。


「……チッ」


 何も話さない俺に対して焦れたように舌打ちした一条は、苛立たしげに上履きの先で地面を数度蹴りつけた。フローリングとゴムが擦れ合い、ギュッギュッと嫌な音を立てる。

 しかし尚も杠葉や俺が口を噤んでいる様子から、これ以上反論の言葉が出てこないであろうことを確信したらしい一条の表情から強張りは失せていく。ほんの少し顎を上げ、狼のように鋭く細められた瞳で杠葉と俺を見下ろす。

 

「お前らの言い分はこれで終いか? まぁなんでもいい。俺はお前と違って寛大だからな、お前らの思い込みも、ちとせ、()()()()()も何もかも()()()()()

「――っ」

「望み通りお前とは別れてやるよ。もうお前に興味はねぇ。あとは天ヶ瀬(そいつ)と好きにすりゃいい。その代わり、もう二度と俺に絡んでくるな」


 投げかけられる辛辣な言葉の数々に、杠葉は歯を軋ませる。その言葉の一つ一つが彼女にとっては屈辱に違いなかった。側で聞いている俺ですら悔しいのだ。杠葉の心情は計り知れない。

 一条は勝ち誇ったように続ける。


「はっ、こうなった以上は神楽坂と付き合っちまうのもアリかもしれねーな。まぁ正直あいつもあいつで何を考えているかよくわからない女だがお前よりはマシだろうよ」


 神楽坂の性格もあまり褒められたものではないと思うがそれはともかく、事情を知る身からすれば一条の態度は随分と強気すぎるように思える。俺たちが後で神楽坂に聞きに行くとは思わないのだろうか。もしくは神楽坂を口止めする自信でもあるのか。いや、どちらかといえばこれは一条本人が神楽坂と浮気していると認識しているからこそ、のちのち正式に付き合うことになったとしてもいちゃもんをつけられないようにするための伏線か。

 まぁ、今のところ神楽坂が一条に味方をするような未来は訪れそうにないのだが、それにしたって怖いもの知らずだなとも思う。そもそも思い返してみればここで冷静にリスクヘッジできるような人間ならこんな状況には至っていないだろう。こうして虚栄を張り、強気にベットし続けるのが一条健矢という人間の本質なのかもしれない。

 きっとこれまではそのやり方でもなんとかなっていたのだろう。


 ()()()を予感して、俺は小さく嘆息する。

 そして、その予感はすぐに訪れることになる。


「――楽しそうな会話をしているわね」


 そんな一条の思惑を全て吹き飛ばすかのように、開け放たれた扉の向こうから、凛とした声音が教室に響き渡る。


「私も加えてもらえるかしら?」


 神楽坂詩は歌うようにそう言った。

第一章終盤につき更新頻度少し落ちており申し訳ありません(5000文字ペースで週3更新はきついです……)。

この後予定している第二章に入ったらある程度更新頻度上げられると思います。


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