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第34話 文化祭初日①


 いよいよ文化祭当日である。

 雨こそ降っていないものの、じめりとした空気は汗となって肌にまとわりつく。ギリギリのところで我慢しているような空模様はもう暫く続きそうだった。ただ、明日は一時的に晴れ間が覗く可能性もあるらしい。空が我慢しているのだから俺たち生徒も我慢しないとな。


 早めに学校に到着した俺は展覧会会場の下見を終えると、適当にぷらぷらと校内を見て回る。今日は最低限の用事を終えたら帰る予定のため、今のうちに見ておこうという魂胆である。ただ単に文化祭開始までの時間を持て余しているというのもあるけれど。

 早朝ということもあって生徒の姿はまばら――というかまだほとんど登校していない。実行委員すらまだ来ていないんじゃないだろうか。流石に早すぎたかもしれないな。まぁ見て回る分には人が少ない方がありがたいのだが。なんだこいつ的な視線を送られるとちょっとへこむし。


 もちろん営業開始しているわけではないため、俺は廊下をぐるりと回って外観を嗜んでいく。つい二日前まで通常の授業が行われていたとは思えないほど、色とりどりの装飾で廊下は華やいでいた。まぁそうは言っても準備期間一日にしてはという前置きは付いてしまうが。一ヵ月近く前から設営なり装飾なりを少しずつ進めていくような高校もあるとは聞くけれど、我が校はそこまで文化祭に熱は上げていない。やっていたことと言えば誰も求めていない展覧会の準備くらいなものである。


 一年、二年の出店を粗方チェックした俺は階段を登り三年生のフロアへ向かう。上級生の教室など恐れ多くて普段ならとても足を運べないのだが今日は特別だ。

 廊下の端っこの方を歩いていると受付よろしく設置された机にべったりと伏せる見慣れた明るい髪の女子生徒が目に留まる。顔は見えないが、しかしこれだけ明るい髪色の生徒は我が校には一人を除いて存在しない。

 西園寺御大その人である。

 居眠りしているかのように突っ伏しているためこちらに気付いた様子はない。余談だが会長は突っ伏して寝ることができるタイプの構造をしているらしい。


「……会長?」


 俺がそっと声をかけると、もぞもぞと黄金色の頭が揺れ、髪の毛の奥から眠たげな半眼を覗かせる。


「……あれ、陽太郎じゃん。どしたんこんな早くに」


 これまた完全に余談だが俺のことを陽太郎と呼ぶのは母親と会長だけだ。

 会長マジ母親。


「いやまぁ、展覧会周りの準備やらなにやらでちょっと早く着いちゃって。会長こそ何してるんです?」

「あー、クラスの出し物の準備よぉ」


 会長は短く答えると上体を起こし、そのまま空中の鉄棒を捕まえるかのように腕を突き上げて大きく伸びをする。


「ウチのクラス、三年生にしては珍しくやる気ある感じでさぁ。出し物の準備、朝イチでやんなきゃだったのよ。これ、明日もってなるとホント大変だわ」

「へぇ、何やるんです?」

「エンジェル喫茶」

「……なんすか、それ」

「天使のコスプレしたウェイトレスがサービスしてくれる喫茶店よ。それ以上でもそれ以下でもないわ」


 会長は素っ気なく答える。

 側に置かれた立て看板を見ると確かに『三年B組エンジェル喫茶〜心も体も昇天しませんか?〜』などと書かれている。これだけだといかがわしい店にしか聞こえねぇよ。よくこれを承認したな文化祭実行委員。


「会長はコスプレしないんすか?」


 会長はいつも通りの制服姿だった。天使のコスプレとやらがどんなもんかは知らないが、なんとなく会長の容姿とは似合いそうな気もする。天使といえば金髪ってイメージだし。

 しかし会長は頭を振り、頬杖をつく。


「ウチは今回裏方なのよ。一応は料理同好会所属だからね。キッチン担当なわけよ。だからコスプレはしない」

「そっすか……あぁ、なるほど、道理で今日のメイクはちょっと薄めなんですね」

「……アンタ、そういうとこは気づくのね」


 会長は眉を顰める。

 どうやら女性にメイクをことを言及するのはタブーだったらしい。

 ちなみに女性料理人は、衛生面の心配や汗をかきやすいことを理由に薄化粧にするにする人が多いらしい。


「そりゃあ……見てりゃ誰だって気づきますって。それに今日のナチュラルなメイクも、えぇと、いつもとは別のベクトルで、いい感じ、だと思います」

「…………普通にキモい」


 俺の渾身のフォローもむなしく、長めの沈黙の末に返されたのは冷たい言葉だけだった。

 バッドコミュニケーション! と脳内でアナウンスが叫ばれる。


 会長はジト目でこちらを睨みつけていた。適当なこと言いやがってとでも考えているのだろうか。別におべっかを使ったつもりもないのだけれど、やはりコミュニケーションは難しい。

 分が悪い話題は切り替えるに限る。三十六計逃げるに如かずだ。


「で、でも料理と言ったって大したものは作れないですよね。教室は火気厳禁でしょう?」

「……調理だけ家庭科室でやんのよ。家庭科室はこの教室からも近いしね。監督役の先生もつけるし、届出も出してるからなんの問題もないわ。オムライスもハンバーグも作り放題よ。久々に腕がなるわね」

「えぇ、なんかズルくないですかそれ」

「ズルくないってーの。会長特権よ。アンタも来年使っていいのよ?」


 そう言って会長は悪戯っぽく笑った。使えるものなら使ってみなさいと言わんばかりの笑顔だった。俺がそんなことをクラスに提言するような人間でないと見抜かれているような気分だ。しかしそれは紛れもない事実だし、その言葉に天邪鬼的に反抗して、来年の文化祭で一念発起するようなタイプではないと自認している。そもそも、会長がいなくなったら料理研究会に残り続ける意味もないような気もする。まぁ、かと言って今さら辞める理由もないと言えばないのだが。


「ふぅん、でもちょっと残念です。会長の天使コスプレ見たかったなぁ」

「ざーんねん、百年早いわよ。まっ、暇だったら遊びに来なさいな。裏方特権でこっそり大盛りにしたげるからさ」


 会長は腰に手を当て、ふふんと胸を張る。なんだか可愛らしい。誘い文句がアネゴ的なのはご愛嬌という感じだ。いやしかし、今日は午前のうちに帰る予定なので残念ながら行けそうにない。


「……は? なに、なんか予定あんの?」


 会長が先ほどまでとはまた違うジト目を向けてくる。


「いえ、どっちかと言うと予定がないから帰るというか。それに今日は土曜日なんで家でゆっくりしようかなと。だから今のうちにお店を見て回ってるんですよ」

「……明日は?」

「日曜日なのでさっさと帰ってテスト勉強でもしようかなと」


 俺の言葉を聞いた会長は苦虫を嚙み潰したように顔をしかめ、小さなため息とともに額に手を当てる。


「……なんか哀しくなっちゃった」


 そのガチな感じやめてくれませんか。こっちが悪いことしたような気分になってきてしまう。


 会長は床に視線を走らせながら「うぅん、シフトがなー……」となにやら独り言ちたのち、キッと睨みつけるように顔を上げ、おもむろに腕を組んだ。


「――陽太郎、今日でも明日でもどっちでもいいからウチのクラスに来なさい。これは会長命令よ。文化祭に来て何もせずにさっさと帰るなんて、そんなのどう考えてもおかしいわ。せめてエンジェルの一人でも拝んでから帰りなさい!」

「……いや、エンジェル喫茶に男子一人で行く方がよっぽどおかしいような気がするんですけど」

「じゃあ、誰でもいいから誘ってきなさいよ。それこそ、こないだ話してた例の女の子たちのどちらかでもいいじゃない。とにかく、ウチの会員が寂しい文化祭を過ごすだなんて会長のウチが認めないわ。お祭りなんだから盛り上がってなんぼでしょ?」

「はぁ……」


 俺は曖昧な反応でお茶を濁す。

 正直、あまり気乗りしなかった。気乗りしないというか、どうしようもないというか。相手が杠葉だろうと神楽坂だろうと、公の場で彼女たちを誘って文化祭デートよろしく喫茶巡りをするというのは現実的ではない。かといってそれ以外に誘えるような人間はいない。それどころかまともに会話を交わせる人間すらいない有様である。

 しかしまぁこの場で断るというのもなんとなく決まりの悪さを感じる。


「まぁ……善処します」

「……来なかったら切り刻んで食べさせるから」

「何をですか!?」

「アンタが善処しますって言うのはやる気ない時だって知ってんのよ。先輩からの指示を無視した報いは受けないと」

「切り刻まれる理由の方を聞いてるわけじゃないんですけど?」

「あぁ、例の子といえば、あの話ってその後どうなってんのよ。解決したわけ?」


 会長は会話をドリフトさせる。随分と乱暴な運転である。


「……ま、そこそこって感じですかね。文化祭が終わるまでには決着つくんじゃないですか?」

「なんだか他人事みたいに言うわね」

「そりゃ他人事ですから」

「ふぅん、じゃあアンタは他人事にあそこまで悩んでたってわけね。相変わらずお人好しねぇ」


 会長はクスクスと笑う。口元に手を当てながら、肩を小さく揺らして微笑んだ。その所作にはどことなく気品が漂う。廊下の窓から差し込んだ朝陽に照らされて、美しい金色の髪がキラリと光った。


「まぁでも、吹っ切れたようで何よりじゃない。自分がどうしたいか決まったんでしょう?」

「……まぁ、決まってないと言えば嘘になります」

「あっそ。ま、精々頑張りなさい。取りこぼした青春は、後からはどう足掻いても拾いに来れないんだから、せめて後悔しないようにね」

「会長に言われるとなんだか真に迫る感じがしますね」

「会長なんだから、当然よ」


 そう言って笑った会長はジッと俺を見つめたかと思うと、すぐさま俺の胸元あたりに視線を移す。


「……ん、それとさ、同好会のことなんだけど」

「琴音ぇー? いつまで惰眠を……およ?」


 会長の言葉を遮る形で近くの扉が開かれた。

 中から顔を出したのは泣き黒子が特徴的な女生徒だった。会長のクラスメートなのだろう。教室の入り口で向かい合う会長と俺を見比べるように数度視線を反復横跳びさせると、「ほうぅ」と興味深いものを見つけたような声を上げる。


「琴音と楽しそうに談笑しているそこの君ぃ……さては君が例の後輩クンかなぁ?」

「……はぁ、例の――かどうかは知りませんけど、えぇと、会長と同じ料理研究会で二年の天ヶ瀬です」


 語尾を伸ばす特徴ある喋り方をする会長のクラスメートは、俺の答えを聞くと、にんまりと笑みを浮かべた。


「ははぁん、そうか君が天ヶ瀬くんかぁ。噂は琴音から聞いてるよぉ」

「……どんな噂かは聞かないでおきます」

「あはー、なんだか想像してた通りの子だぁ。琴音が気に入るのもわかる気がするなぁー」

「ちょっと優里(ゆり)、やめてくんないそのしたり顔。めっちゃムカつくんだけど」


 会長は立ち上がり抗議の声をあげるが、優里と呼ばれたその女性はにこにこと笑って怒気を受け流す。

 二人のいちゃつきを後目に周囲へ視線を移すと、あたりには少しずつ人も増えてきた。三年生は自由参加ではあるのだが、どうやらそれなりの人数が登校しているようだった。粗方回り終わったわけだし、このあたりが撤退の頃合いだろう。


「じゃあ会長、俺そろそろ行きますんで」

「あっ――陽太郎、さっき言ったこと忘れるんじゃないわよ。折角の機会なんだからウチの手料理食べに来なさい!」

「……会長が天使のコスプレで接客してくれるなら考えときます」

「あはぁ、だってさ琴音ぇ。どうするぅ?」

「うぅ、どうもしないっ!」


 その後もワーワーと楽しそうにやり取りする二人の声を背中に受けながら、俺は自分の教室へと向かう。

 ……会長が本当にコスプレしてくれるなら、マジで学校に残ろうかな。

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