第壱話 錬金術師
青い雨が降る夜だった。
とある王国に第二皇女が誕生する。
喜びもつかの間、それは人の心臓を持ち合わせていなかった。
「これは―――青の心臓」
王国専属魔術師が冷や汗を流しながらつぶやいた。その顔は顔面蒼白であってはならないものを見ている顔だ。
「なんだそれは」
国王は我が娘を見つめながら魔術師に問う。
魔術師は迷う。これを口にしてもいいのだろうか。自分の勘違いだと言った方がいいのではないだろうか。国王の機嫌を損ねれば自分の頚が飛ぶかもしれない。しかし、今更ごまかせるとは到底思えなかった。なので真実を伝える。
「……魔の心臓です。魔の者の心臓です。人間に宿るなど………聞いたことがございません」
ありえない現象が起きている。それはその場にいた誰もが理解した。そしてその魔術師の表情や口調からもその次が容易に想像ができた。
「ならん。我が子を殺すなど―――ならん」
「ですが、この国が亡ぶやもしれませんぞ。この青の心臓を取り込めば力を得る。第二皇女のこの青の心臓を狙って魔の者が押し寄せてくるでしょう」
沈黙が降り立つ。青の心臓は魔の世界では有名だ。魔の者が持っていたとしても狙ってくる輩は大勢いる。しかし、当たり前だがそんな心臓の持ち主の戦闘力はズバ抜けている。しかし、相手が人間なら? 人間が魔の心臓を使いこなせるわけがない。普通のただの人間だ。容易に奪えるだろう。
「何か、解決策はないのでしょうか?」
母は尋ねる。魔術師はある訳がないと思いながら、用意していた水晶玉をのぞき込む。
「いや……そんな馬鹿な」
「どうした? 何が見えたのだ」
魔術師は重く口を開く。
「現実的ではない。しかし、視えたのは獣神……」
「獣神だと? 古くからあの森にいる奴か」
「はい。地獄の番犬ケロべロス。かつて魔の世界で暴れまわり、人の世で隠居した化け物です。それが―――」
「それが我が娘とどう繋がる!?」
「獣神に護ってもらえればあるいは―――」
話が通じるとはとても思えなかった。しかし、王は可能性があるならばと決意を固める。
「今すぐ森へ行く。準備を」
早い方がいい。きっとこの子の心臓を狙って魔の者たちが押し寄せてくるだろう。部屋を出て行こうとした時だった。
「お待ちください!」
魔術師が水晶玉を見ながら声をあげた。
「もう一人、もう一人視えます」
「なに?」
最初はぼんやりとしか視えなかったが徐々にそれは鮮明になっていく。
「赤髪の……運命を捻じ曲げる事ができる……錬金術師?」
「錬金術師だと?」
「そうです。おそらく獣神だけでは護ることしかできない。皇女様の運命を変える事が出来るのは彼女しかいません」
「その者の名は!?」
魔術師は王にその者の名を告げ、水晶玉を見せた。そこには一人の少女が映し出されている。
「この者が――、運命の錬金術ファル・リュミーナ」
ヴァンガル王国。
広大な森の中にそびえ立つ一つの王国があった。約二百年前にこの地に町を造り、急速に発展し現在の大きさになった。この国は他の国に行く途中の通過点としてよく利用される。ここを経由し、東西南北にそれぞれ他の国がある。その中間地点としてヴァンガル王国はなくてはならない国となった。
「おい、聞いたか? またあの錬金術師が捕まったらしいぞ」
そんな中心部の国でぶっそうな話題が話されていた。
「今度はどんな罪だ?」
「前と一緒さ。また彼氏を錬成しようとしたらしい」
その理由に呆れてものも言えないでいる。
「なんであんな奴が王国お抱えの錬金術師なんだ」
「第二皇女様と仲がいいからだろ」
「それで死刑を免れるとか、卑怯じゃないか? 俺だって皇女様とお友達になりてー」
そんな会話をしながら深い呆れたため息をつく。
この国では有名な頭のおかしい王国お抱えの錬金術師。他人には理解されない事ばかりをして、話題にされて国からお叱りを受ける事がよくある。それでも言う事を聞かずに同じ事ばかりを繰り返して国民の不安を煽る。国民の間では役に立たないし言う事は聞かない仕事もしない実験の金だけ浪費するろくでなしの錬金術師――。
「って噂されてるで、アルさん」
手際よくお茶を淹れる。それを机に頬杖をついて頬をふくらまし、いかにもご立腹という顔をしている客に差し出した。
ここはヴァンガル王国の外周にある森の中にひっそりとたたずむ和風喫茶だ。
出されたお茶をズズッとすすってまたため息を吐く。
「庶民はわかってない! この重要さを!」
「はいはい」
店主、狗飼ナクは適当に相槌をうつ。
「なぜ理解できないんだ! 私が! 幸せになるかどうかが! 掛かっているのにっ!」
「そら他人の幸せなんてどうでもいいんちゃうの? 人間てそんなもんやろ」
正論を喰らっても尚も不満げにお茶を飲む。
「で? 成功しそうなん?」
「ぜーんぜん。何が悪いのかもわからない。あとちょっとだと思うんだけどなぁ。その一つがわかれば後は一気にいきそうな気がする」
まったく根拠がないが、その眼は冗談を言っているようには見えなかった。
そこまでして彼氏とやらを錬成したいのかと理解に苦しむ狗飼だが、否定はしなかった。
「ま、がんばり」
「成功したら一番最初に紹介してあげよう」
「ィアちゃんに先にどうぞ」
冷たい言葉を向けられるが、これは日常茶飯事なので何も気にすることはない。
しばらく食器の音だけが空間を揺らした。時間の流れが遅い。この場所だけゆっくりと時間が歩いているような錯覚に陥る。
人間とは違う時を生きる魔。その感覚に引っ張られているのかもしれない。そしてそれが心地よいと思える。それは相手が狗飼だからだろうか。きっとそうなのだろうと、ファルはお茶と一緒に想いを飲み込んだ。
「そういえばィアちゃんもうすぐ十七歳の誕生日やろ? なんかプレゼントすんの?」
「もちろん!」
自信満々に応えるファルに狗飼は一抹の不安を覚え、それをぶつけてみた。
「なにあげんの?」
「いやだから錬成した彼氏をだな―――」
「―――あんたは国を滅ぼしたいんか」
最後まで言わせることなく言葉をかぶせたのだった。