7 アリスと虚脱
第七話
今日もアリスは薬を売りに街へとやってきていた。
だが、今日はいつもと彼女の様子が少し違った。
彼女自身も気付いているのだろうが、無理を押して来たようだった。
「おいアリス、大丈夫か? 顔赤いぞ?」
「えへへ、これくらい大丈夫ですよ……」
なんとか店を広げたが、通りがかったガストに心配されるほど、彼女の容態はおかしかった。
息は乱れ、頬は赤い。アリスは薬棚からいくつかの薬を取り出すと、それを一気飲みする。
「これで……大丈夫な……は……ず……」
だが、彼女の視線は定まらなかった。頭はくらくらして、体は重い。あの霧の深い森をここまでやって来れたのが奇跡だったといえよう。
「おい、アリス! おい!」
そのままアリスは自分の体が傾くのを感じた。ガストの声が徐々に遠くなっていくのを感じる。
(私、どうしちゃったんでしょうか……)
そんな疑問さえ白濁した波に飲まれて消えていく。やがて彼女の意識も波に飲み込まれ、消えていった。
その部屋にはマリスとイリスと雛女、そしてガストとガストの父親が集まっていた。そして、ベッドには頬を赤らめて息を荒げるアリス。
「今日来てからこんなんなんだよ。なんか心当たりないか?」
「おかしいわね……。家出る前はこんなんじゃなかったのに……。マリス、呪いとかそういうのの類は?」
「うーん……。見た感じはそういうのはないけどねぇー……。むしろ虚脱の状態の方が近いかもねぇー」
「虚脱って何だ?」
ガストが聞き慣れない言葉にマリスへ尋ねた。
「虚脱ってのはねぇー、魔力を自分のキャパシティ以上に使いすぎたときに起きる、一種の発作みたいなものかなぁー? 普通、魔力をたくさん使うと疲労みたいな状態になって倒れちゃうんだけどぉー、虚脱の状態に陥るほど魔力を使うと正常に眠ることすらできなくなるのぉー。そうなると魔力を補給するために体が強制的に休ませてぇーってなってぇー、こんな状態になるんだよぉー」
「でも、虚脱の状態に陥るほど魔力を使うって何をしたのかしら……? 普通の薬を調合する程度じゃこんな状態になるとは考えられないけど……」
一同はうなって考える。
「たとえばぁー、ここに来る途中、何か必要があって大規模な魔術を使ったとかぁー?」
「大規模な魔術って……アリスは錬金術師よ? あなたのように何でも屋さんってわけじゃないのよ? 錬金術にそんなたくさんの魔術を消耗するものなんて聞いたことないわ」
「んー……考えられるのは賢者の石の精製くらいかなぁー」
「その、賢者の石ってなんだ?」
またしてもガストが質問する。
「賢者の石ってのは別名、哲学者の石とも呼ばれる錬金術の結晶だよぉー。卑金属の病を治し、貴金属へと変える奇跡の物質であり、人間に生命の水を与える霊薬であるともいえるのぉー。生命の水ってのは早い話が不老不死の薬かなぁー? ま、それは伝説上での話であって、再現されたモノはそんな便利なものじゃないんだけどねぇー」
「あれ、そういえばこの前禁書模造品を預かったとき、持ってるとか言ってなかったか?」
「うん、持ってるよぉー。でも、私が持ってるのは賢者の石模造品だからねぇー。卑金属を黄金に“似た”物質へと変え、病気の人を健康に“似た”状態に持っていく、気休めにしかならないモノなんだよぉー」
「“似た”状態……?」
「そ、実際には病気は治ってないから、元気に過ごしてたと思ってたらある日突然ポックリ。ま、詐欺に使われるのがせいぜいだねぇー。でも、もし本物の賢者の石を精製するとしたら……虚脱に陥いるどころの魔力じゃ済まないだろうけどねぇー」
「でも、アリスは賢者の石は作らない、って言ってたじゃない」
「それもそうだよねぇー」
「え、そんな便利な薬なら作るべきじゃないのか?」
「そんなこともわからないんですか、このアホ人間は?」
雛女が口を挟む。
「あ、アホ人間とはなんだ、このバカ人形!」
「ふふん、今からマリス様が説明してくださるわ」
マリスはごほん、と咳払いしてから語り始める。
賢者の石、それは人間が一度は夢見る理想の結晶。
苦しみに喜びを、戦に勝利を、暗黒に光明を、死人に命を与える奇跡の物質。
全ての錬金術師がその理想を目指して突き進んだ。
究極の万能薬の精製、それは不完全な存在である人間を完全な存在へと昇華させる手段の模索でもあった。
そして、一人の魔術師が賢者の石の精製に成功する。
彼は賢者の石を使って自己の神化をもくろんだ。
だが、神に近付きすぎた人間は翼をもがれて地へと落ちる。
彼が作り出した賢者の石は完全な存在を生み出すどころか、彼の魔術師としての生涯に終止符を打つ結果となった。彼は地獄に住まうという魔王へと変化した。
異常なまでの魔力を持つその物質に、人間の体は耐えることができないのだ。
多くの魔術師や戦士によって彼は倒され、この史実は歴史の闇へと葬り去られた。
それ以降も伝説上の賢者の石を作り出そうという模索は続いたが、その史実を知る数少ない魔術師や魔女によってそれは防がれ続けている、といわれている。
「と、いうわけで賢者の石は危険な物質なんだよぉー。普通の魔術師や魔女にはとても扱えない……私が仮に本物に出会ったとしたら、破壊することを選ぶねぇー」
呟くように語るマリスの声は冷たかった。
「トリリス家は数少ない史実を知る家系。この家で錬金術を学ぶ者は必ずこの伝承を聞かされるわ」
イリスも畏敬の念を込めて言う。それほどまでに彼女達は賢者の石を恐れているのだろう。
「錬金術を学んでいない私達でさえそんなんなんだからぁー、錬金術を学んでいるアリスは絶対作らないよぉー」
「そうね。でも、なんでアリスは虚脱に陥ったのかしら……」
「家出る前はそんな素振りもなかったからぁー、家出てから街までの間だよねぇー……。錬金術で大容量の魔力を消費する魔術って他にあったっけぇー?」
「すぐに思いつくのはマナ・ポーションの精製かしら? あれは魔力を大量に使うってアリスが言ってたから……」
「マナ・ポーションくらいだったら、アリスの場合、百本は作らないと虚脱には陥らないよぉー。アリスはトリリス家の娘だよぉー? 魔力量はそんじゃそこらの魔術師じゃ比べモノにならないくらいあるからねぇー。姉さまも魔力だけは他の魔術師よりも抜きん出てるからねぇー」
「ま、魔術の方はからっきしダメですけど」
「雛女、あんたには言われたくないわ、このオンボロ人形!」
「ふん、私はマリス様に召喚された高位の精霊ですよ? 魔術の腕に関してはあなたよりも上だと思いますが」
雛女はそう偉そうに言った。それを聞いてイリスは思わず構える。
「なんならここで勝負付けようじゃない」
「望むところです」
二人はにらみ合って魔術を行使――しようとしたが、マリスの分厚い本の角によって鎮圧される。
「うう……マリス様、痛いです」
「マリスぅ……何するのよ……?」
マリスはやれやれ、と呆れたようにため息をつく。
「アリスがこんな状態なんだからぁー、ふざけてる場合じゃないよぉー?」
「それもそうだったわね……」
「ごめんなさい、マリス様……」
二人はショボくれた様子でうつむく。
マリスはしばらくの間、持ってきていたカバンの中身を探っていたが、ようやく目当てのモノを見つけてそれを高々と掲げる。
「虚脱にはコレだよねぇー」
それは空のフラスコにチューブがついたものだった。
「それは……?」
「魔力蓄積アイテムの一つ、魔力の倉庫番だよぉー。これに私達の魔力を注入して、それをアリスに移せば虚脱からも即座に回復できるねぇー」
「ああ、なるほど、そういう方法があったわね。私はてっきりマナ・ポーションでも精製するのかと思ったわ」
「にしし、作ってもアリスがこんな状態じゃあ飲めないだろうしねぇー」
フラスコから伸びるチューブをマリスはくわえると、ふーっと息を吹き込んだ。すると、フラスコの中にぽうっと光がこぼれる。
「姉さまのやってくれるぅー? あたし一人じゃ限界あるからねぇー」
「わかったわ」
イリスはマリスと同じようにチューブをくわえると、思いっきり息を吹き込んだ。その瞬間、フラスコが強く輝く。
「おおーう、さっすが姉さま、魔力量だけは一流だねぇー」
「ま、魔力だけあっても魔術を行使できる実力がなければ宝の持ち腐れ、ってヤツですけどねぇー」
マリスとイリスは交代で息を吹き込む作業を続ける。その度にフラスコの中に光が溜まっていき、徐々に輝きを増していく。
その作業をどれだけ続けただろうか。三十分ほど経過した頃、ついにマリスが膝をつく。
「ね、姉さまぁ……あたしもうリタイアぁ……」
「え、もう?」
汗を額に浮かべながら苦しそうに息をするマリスに対して、イリスはけろっとした表情で尋ねる。
「イリス姉さまは本当に魔力はたくさんあるんだねぇー。こりゃ、将来化けるよぉー?」
「魔力だけあっても魔術の才能がからっきしじゃあ意味ないですよ」
その後はイリスが一人で息を吹き込む。フラスコの中身は今やまばゆいほどに光が満ちていた。
「おっけーおっけーストーップ! これ以上やったら魔力を蓄えきれなくて割れちゃうよぉー。これ結構上級の魔具なんだけどなぁー。二人がかりとはいえ、限界まで魔力を溜めこめるとは思わなかったよぉー」
相変わらずイリスはなんでもないような表情をしている。マリスは額に汗を浮かべながら、チューブの先にマスクを取り付ける。それをアリスの顔にかけてやると、フラスコのコックを回した。
「一気に魔力を突っ込んだら魔力中毒になるからねぇー。こうやって呼吸に合わせて少しずつ魔力を入れていくんだよぉー」
「なるほどね。……って、じゃあマナ・ポーションとかって危険なんじゃない?」
「そうだねぇー。マナ・ポーションは便利だけどぉー、魔力中毒の副作用があるからホントはよくないんだよねぇー」
「で、でもマリス様! マリス様が私の命を人形に定着するとき、一気飲みしてたような……」
「にしし、見られてたのかぁー、恥ずかしいなぁー」
マリスは照れ笑いを浮かべる。
「マリス様ったら私のことをそんなに想って……」
雛女は頬を赤く染めながら、キャー恥ずかしいなどとのたうちまっている。
「この主人至上主義のバカ人形は……」
そんな様子を冷静に見つめるイリス。
「ま、ともかく後はアリスが目を覚ますのを待つだけかなぁー……。マズイ、魔力使ったら眠くなって……きた……」
「とと、マリス様、こちらの椅子へ……」
雛女はマリスの手を取ると、椅子に座らせる。すると、マリスはまるで糸が切れた人形のようにこんこんと眠り始める。
「あの、イリスさんは平気なんか? さっきマリスさんが言ってたけど、魔力をあのフラスコに詰めるのって相当疲れるんじゃ……」
「私? 全然大丈夫よ?」
ぐるんぐるんと腕を振るってみせる。
「あのダメ魔女……魔力量だけは常人離れしてるんですから……」
そうしてしばらく時間が経過した。
相変わらず静かに光り輝くフラスコは、時折明滅しながら少しずつ魔力をアリスへ供給している。
ガストと彼の父親は仕事ができたので部屋を出ていってしまった。
部屋には魔力を使い果たして眠るマリスと、マリスの膝枕をしているイリス、暇そうに辺りを漂っている雛女、そして頬を上気させながらベッドに横たわるアリスだけが残されている。
イリスは膝の上で眠るマリスの頭を撫でながら、アリスが虚脱に陥った原因を考えていた。
アリスは街に来るまでの間に、どこで魔力を消耗したのだろうか。虚脱に陥るほどの魔力の消耗量だ。並大抵の魔術を行使した程度ならばこんな状態にはならない。
ガストに呼び出されて、イリス達がアリスの元へ駆け付ける間、森では特に変わった様子はなかった。アリスが魔術を使うような場面が見当たらない。
ならば街だろうか。優しいアリスのことだから、人助けのために魔術を行使した可能性はある。だが、それでも自分の身を省みないような馬鹿な子ではない。
「ん……」
ふと、アリスはベッドからアリスの声が聞こえたので顔を上げる。アリスはうっすらと目を開いていた。
「アリス! 意識が戻ったの!?」
「ここは……? 私は……どうしちゃったんですか……? なんでお姉さま達がいるんですか……?」
イリスは慌てて立ち上がる。その瞬間、マリスの頭が床へと落ち、派手な音を立てて床とぶつかる。
「あいたぁ~……。何、何があったのぉー?」
マリスは両目に涙を溜めながら起き上がる。
「あ、ごめん、マリス。アリス起きたからびっくりして立ち上がっちゃった……」
「いたたぁ……。アリス起きたのぉー?」
マリスはアリスにそのままにしているように言う。虚脱から抜けたとしても、体が圧倒的な魔力不足状態にあることに変わりない。
「あの、私、どうしちゃったんでしょう……?」
「それはこっちが聞きたいわ。いきなりガストからアリスが倒れたって連絡が入ったし、行ってみれば虚脱状態になってるし……」
「で、あたしと姉さまの魔力を魔力の倉庫番でアリスに供給してたわけー」
「そうですか……。私、虚脱状態になっちゃってたんですね……」
アリスはマスクを付けたまま、ぼんやりと視線を泳がせる。
「アリス、何があったの?」
「大丈夫、なんでもないですよ」
アリスは精いっぱいにっこりと笑おうとする。だが、明らかに表情は疲弊していて、大丈夫には見えない。
「あたしとアリスの仲でしょぉー? 何かあったら話すのが姉妹ってものだよぉー?」
「ホントに……なんでもないんです」
だが、アリスは黙して語らない。マリスとイリスは追及することを諦める。こうなったときのアリスは強情だ。
「ふぅ……なんでもないんなら仕方ないねぇー……」
「そうね。仕方ないわ」
アリスはただ困ったような微笑みを浮かべたまま、ベッドの上で困り果てた姉達を見つめていた。
翌日、イリスとマリスはアリスの後をつけて歩いていた。
気付かれないよう、少しずつ、少しずつ、魔具を使って気配を悟られないように見守る。
彼女は森の奥にある洞窟へと向かっていた。
そこで、アリスは何を作っているのだろうか。
次話、8 アリスの秘密