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トリリスの娘  作者: ほーらい
始まりの街、序章
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6 イリスの魔法

第六話


 イリスは正直焦っていた。

 高等な精霊魔術師でさえ大変だと感じる高等魔術、交渉を専門外のハズの妹がこなしてしまったこと、そしてそればかりか使い魔まで手に入れてみせたことが驚きだった。

 精霊魔術師ならば、使い魔を従えているのはよくあることだ。だが、彼女には交渉はもちろん、降霊すらこなせるか怪しいものだった。

「私、ホントにダメだな……。マリスに精霊魔術、抜かれちゃった……」

 イリスはぼそりと呟く。だが、彼女のそんな声を聞いてくれる者は誰もいなかった。

 イリスは立ち上がり、外套を羽織ると部屋を出る。そして誰に言うでもなく、小さな小屋の外に出た。



 イリスはぶらぶらと街を歩いていた。

 特に目的もなく、目指す場所もない。

 持っていたカバンの中にはわずかばかりのお金が入っている。だが、これも妹達が稼いできたお金だ。

 イリスにはマリスの持っているような高価な魔具も、アリスのように薬を精製する技術もない。どこにでもいる、ただの魔女だった。

「私、ダメね。出来損ないのダメ魔女ね」

 そのとき、きゅーと彼女のお腹が鳴る。時間はほぼ正午、そろそろお昼時だった。

「どうしよう……マリスには何も言わないで出てきちゃったし、かといってアリスのところに行くのも……」

 今ならばアリスが街に薬を売りに来ているハズだった。だが、アトリエ商店へ向かう気にはなれなかった。

「これは……?」

 ふと、イリスは一枚の紙を見つける。それは極彩色で目立っていて、道に落ちていてもすぐに目を引くものだった。

 イリスはその紙を拾い上げる。

「どんな人でもすぐに魔法が使えるようになります。魔法が使いたいあなたはすぐにこちらへ。通信教育シールート魔法学校……?」

 それは怪しげな学校のチラシだった。その紙そのものには魔法はかかっていないが、不思議と魅力があった。

「これに通えば私も魔術……いや、魔法が使えるようになるのかしら……?」

 連絡先を見てみる。コーヒーショップ、ナルビクの海の店主に連絡せよ、と書いてあった。

 イリスはチラシを胸に抱き、力強く歩き始めた。



 ナルビクの海は裏通りにあるコーヒーショップだった。

 裏通りにはいかがわしい店がいくつも並んでいる。危険な薬品の材料や、正規ルートでは出せない闇商品などだ。

「そこのおねーさん、ちょっと寄っていかない?」

 怪しげな背の低い男が声をかけてくる。

「いえ、先を急いでいるので……」

 イリスは小走りで通りを駆け抜ける。

「あった!」

 小汚い看板にナルビクの海、と書かれた看板を見つけてようやくほっとする。

 イリスは黒くすすけたドアに手をかける。

「こんにちは……」

 店の中は陰鬱とした空気に包まれていた。黒ずんだローブを羽織った男や女が何やらぶつぶつと話している。

「嬢ちゃん、ここはあんたが来るような店じゃないよ」

「その、通信教育シールート魔法学校のチラシを見たんだけど……」

「嬢ちゃん魔女の血を引いてるのか? それとも魔術師か?」

「ま、魔女よ!」

「……かけな」

 店主は窓際の空いている椅子を指差す。イリスはそこに腰かけた。

「ちょっと待ってろ。今“先生”を呼んでくるからな……」

 そう言って店主は店の奥に消えていく。

「あんな小娘が魔女……?」

「妬ましいったらありゃしない……」

 周囲からイリスを侮蔑する言葉が呟かれる。

 魔女の血はそれだけで魔術を使いこなせる、という特典がついている。普通の人間が魔術師になるのはとても難しいことなのだ。

 イリスは逃げ出したい気持ちをこらえて、店主が戻ってくるのを待つ。

「二、三十分で来るそうだ。何か注文するか?」

「あ、じゃあフレンチトーストとコーヒーを……」

「……」

 店主は店の奥に消えていく。

 しばらく待っていると、やがてフレンチトーストとコーヒーが現れる。

「“先生”のお客さんだろ? タダにしてやんよ」

「え、いいの……?」

「いいから黙って食って待ってろ」

 店主はすぐにカウンターに戻ると、グラス磨きをはじめる。

 イリスはそっとフレンチトーストへと目をやった。

 パンの端が少しカビているのが目につく。

 イリスはその部分をちぎって皿の端に置くと、トーストをかじった。

(う、不味い……)

 くちゃ、くちゃと何度か噛んで、パンを飲み込む。

 イリスには一口が限度だった。諦めてトーストを皿の上に置くと、コーヒーを口にする。

 そちらはなんとか飲めそうで、少しずつコーヒーを口に含む。

 そうして待つこと四十分、ようやくその男は現れた。

「いやぁ、お待たせして申し訳ない」

 びしり、とした背広を着込んだその男は重そうなトランクケースを持って現れた。一目見た感じでは、悪そうな男ではなかった。

「魔法を学びたいんだってね? いやぁ、君ツイてるよ。なんせ私に出会えたのだからね」

 トランクケースを開くと、重そうな本を何冊も取り出す。

「私に任せれば魔術師どころか、魔法使いまで一気にステップアップだよ」

「その、ダメな魔女見習いでも大丈夫……かしら……?」

 男は一瞬ポカンとしたが、やがて大きな声で笑い始める。

「はははは、そういう人のために私がいるんですよ」

 彼は平積みした本の一冊を開く。

「これは魔術概論。体系化された魔術を紐解くのに必須の魔術書だよ」

「そ、そうなの?」

 彼女や妹達、母の本棚でも見かけたことのない本だった。イリスはそーっと指を伸ばし、ぺらぺらとめくる。

「それからこっちは基礎魔術概論。基礎的な魔術について学べる本だ」

 またしても見たことのない本が現れる。そこにはイリスの知識とはかけ離れた魔術についての知識が書き記されていた。

「この辺のテキストを完璧にこなしたら……いよいよ魔法さ。これは魔法読本。魔法についての解説書だよ」

「これが……魔法……」

 やはり彼女の全く知らない知識で本のページが埋め尽くされていた。書いてあることはほとんど理解できなかったが、おそらくここまでのレッスンをこなせば理解できるようになるのだろうとイリスは納得した。

「さぁさぁ、これで全部合わせて120ゴールド! 安いもんだよ!」

 そう言われてイリスはハッとする。そう、彼女にはお金がない。とてもじゃないが、こんなたくさんの本を買うことができるわけがなかった。

「ごめんなさい……、私、お金を少ししか持ってないの……」

「ノンノン、心配ご無用。そんなアナタのために教育ローン! 低金利、長期返済も可のステキなローン!」

「ローン……って、借金ですか?」

「大丈夫、大丈夫、これらの魔法を完璧に学べばお金儲けなんてし放題、一瞬で返済できること間違いなし! あ、こっちが契約書ね。はい、インクとペン」

 そう言って男は二枚の契約書を取り出す。片方はローンの、もう片方は通信教育の契約書だった。

 イリスはごくりと生唾を飲み込む。これにサインすれば魔術はおろか、魔法すらも操れるようになる。彼女はそう信じていた。

 筆ペンを取り、インクに浸す。そして、そーっと契約書に――

「させないです!」

 その瞬間、黒い何かが彼女の手にぶつかり、インクボトルをひっくり返した。インクが契約書に広がり、真っ黒に染めていく。

「誰ですか! 邪魔したのは!」

 男はすくっと立ち上がり、辺りを見回す。

「黙って聞いてればインチキ魔術書ばっかり並べて、更には魔法ぅー? 寝言は寝て言ってほしいなぁー」

 隣の席に座っていた茶髪の少女が立ち上がる。

「え……?」

「ふぅー……。危険探知機コーションスコープが壊れたから、何かと思えばこんな詐欺に引っ掛かるなんてぇー……。姉さまもまだまだ未熟だねぇー」

「マリス!? どうしてここに!?」

 マリスはぱちんと指を鳴らす。すると、雛女が袋をひっくり返した。中から砕けた水晶が落ちてきて、テーブルの上に転がった。

「これは……」

「危険探知機。姉さまに危機が迫ったとき、砕けるように魔術をかけておいたものだよぉー。あ、こっちはアリスの分ー」

 そういって、革の袋を指先からぶら下げる。

「誰だか知らないけど、商売の邪魔をしないでほしいですね」

「こっちこそ誰だか知らないけど、姉さまを誘惑しないでほしいねぇー」

 男は手を翻す。すると、店の影からおびただしい数の大きな人形が現れた。

「魔法の力、見せてやる!」

 人形達の額に魔法陣が浮かび上がる。その瞬間、人形達は手に様々な凶器を持ち上げた。

「人形操り(マリオネット)かぁー。一昔前の流行だねぇー」

 人形操りは高位の魔術師ともなれば同時に複数体の人形を操ることができる強力な魔術だ。簡単に兵を作り出し、術者の実力次第では一個小隊にも届きかねない人数の兵を作り出す。強力なその魔術は乱用され、盗賊まがいのことをして金を稼ぐものまで現れるほどだった。

「けれども甘いねぇー……」

 ぱん、とマリスは手を叩く。その瞬間、彼女の足元から大きな魔法陣が広がった。

「人形操りは決定的な弱点があるんだよねぇー」

 乱用された魔術は国によって鎮圧の対象となる。王立魔術研究所が研究に研究を重ね、この強力な魔術を封じ込めることに成功した。

「な……ッ!」

 マリスは呪文を唱える。ルーンが紡がれる度に人形は糸が切れた操り人形のように崩れていく。

「ば、馬鹿な……!」

 これこそが王立魔術研究所の出した答えだった。糸切り(ワイヤーカット)。人形操りを無力化する専用魔術である。

「にしし、チミが魔法使いならあたしは大魔法使いだねぇー。さて、ウチの姉さまにパチモン売りつけようとした代償、どう払ってもらおうかねぇー」

 マリスは凶悪な笑みを浮かべながら印を切る。そしてルーンを紡ぎ、魔術を組み立てていった。

「同じ魔術で攻撃されるのはどんな気分かなぁー?」

「ひ、ひぃ!?」

 崩れ落ちていた人形達が再び立ち上がる。しかし、今度の人形達の視線は男へと集まっていた。

 人形達はわっと男を取り囲む。それぞれ恐ろしげな凶器を持って男を威嚇する。

「コレに懲りたら二度と詐欺なんて働くんじゃないよぉー?」

「す、すみませんでしたッ!」

 男は素早くトランクケースへ本を片付けると、一目散に店を飛び出していく。

 マリスがぱちんと指を鳴らすと、人形はサササ、と店の影へと消えていく。

「姉さま、こんな詐欺に引っ掛かっちゃダメだよぉー?」

 イリスは茫然としていたが、その言葉を聞いて手を思い切り握りしめる。

「……マリスはズルいよ。いつも私より先に行っちゃって……。この前の人形のときだって、今回の詐欺だって……! 才能のあるあなたはいいじゃない! こうやって人を守ることができるし、お金だって稼げるし……! それにそれにそれに……!?」

 マリスはそっとイリスの体を抱きしめた。イリスのふわふわの銀髪に指を通し、そして愛しそうに髪をすく。

「姉さまだってズルいよぉー。こんなにふわふわで綺麗な髪の毛持っててぇー……。顔だってとっても綺麗だしぃ、声なんて鈴みたいだよぉー?」

「でも、そんなのちっとも役に立たないじゃない!」

「あたし、姉さまとアリスが羨しかったのぉー。アリスもぴかぴかの金髪だし、姉さまも輝くような銀髪だしぃ……。どうしてあたしだけこんなまっ茶っ茶なのっていつも泣いてたんだよぉー? 魔術で髪を染めることはできるけど、そんなの意味ないしねぇー。持たざる者、持っている者は人によって千差万別。問題はそのために努力をするかってことなんだよぉー?」

「努力……?」

 マリスは抱擁を解いてイリスの目許に溜まっている涙を拭う。

「アリスもあたしも、努力したから魔術があるんだよぉー? そりゃ、才能も大事かもしれないけどさぁー……。アリスがあれだけの薬の知識を身に付けるのにどれだけの本を読んだか、姉さまだって知ってるでしょぉー?」

「私は……努力が足りないってこと?」

「なんでもやる前から諦めるのは姉さまの悪い癖だよぉ? そして近道しようとするのもねぇー。まっすぐな道しかないんだよぉー。じゃなきゃ、今頃世界は秀才で溢れかえっているよぉー」

「でも、私にはあんなものしか頼るものが……」

 マリスはそっと目を瞑り、イリスの手を優しく包み込む。

「あたし達がいるでしょぉー? 姉さまがわからないなら、皆で考えようよぉー。三人寄れば文殊の知恵、姉さまの魔術だってきっと進歩するよぉー」

「そうよね……。あなた達に相談しない私が馬鹿だったわ」

 イリスは服の袖でごしごしと目許を拭いた。

「マリス、私に魔術を教えてちょうだい! 私、頑張るから!」

「それでいいんだよぉー」

 マリスはにっこりと笑った。

「これにて一軒落着ですね!」

 雛女もそんな中睦まじい姉妹の姿を見て、嬉しそうに言う。

「まー、ダメダメ魔女はたとえマリス様が師についても、ダメなのは変わらないでしょうけど」

「な、雛女あんたねぇ!」

 雛女はきゃはは、と笑いながら狭い店の中を逃げまどう。それをイリスが必死に追いかけていた。

 そんな姉の様子を見て、マリスはふーっと息を吐いた。

「さ、これにて一軒落着、かなぁー?」

 マリスはぱんぱんと服の埃を払うと、服の内側から金貨を数枚取り出した。

「これ、迷惑料としてもらっておいてよぉー」

「……」

 店主は黙って金貨を受け取る。

「じゃ、またねぇ~」

 マリスはぷらぷらと手を振ると、相変わらず駆け回っている二人の元へと向かっていった。



アリスはいつも通り薬を売りに街へやってきていた。

だが、今日の彼女の様子は少しおかしい。

「おいアリス、大丈夫か? 顔赤いぞ?」

「えへへ、これくらい大丈夫ですよ……」

そうは言っていたが、店を広げた直後、すぐに彼女は目を回して倒れてしまった。


次話、7 アリスと虚脱


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