4 アリスと宝石
第四話
アリスは普段通りアトリエ商店本店に薬を売りに街へやってきていた。
背中には重そうな薬棚が背負われ、だが彼女はそんなことなどお構いなしにスキップを踏みながら街を進んでいく。
そのとき、ふとアリスは立ち止まる。そして、思わずその店のショーウィンドウを覗いてしまった。
そこには綺麗なネックレスが下げられていた。
大きなスタールビーを中心に、プラチナ細工が散りばめられた美しいネックレスだった。
アリスは店の看板を見上げる。看板にはクロック宝飾店と書かれてあった。
「綺麗……」
アリスは自分の胸元を見つめる。そこには飾り気のない質素な白のリボンが結ばれてあるだけだった。
「いくらするんでしょうか……」
彼女は値札を見てうつむく。100ゴールド、とそこには書かれてあった。一番の稼ぎ手であるマリスの仕事の報酬の半分だ。とても彼女の手の届く品ではない。
「はぁ……」
アリスは小さなため息をつく。昔から質素な暮らししかしたことのない彼女にとって、お洒落をすることは憧れだった。
いつも白いブラウスに青のスカート、そして白のエプロンドレスを着ているアリスは、いつか綺麗なワンピースのドレスを着てみたいと思っていた。
そして、首には美しいネックレス。指にはダイヤの指輪。ヒールの高い靴を履いて、少しだけお化粧をして……。
そんな自分になるのが彼女の夢の一つであった。
「そろそろ行かないといけません……」
アリスはショーウィンドウから離れるのは辛かったが、後ろ髪を引かれる思いで店から離れていった。
アリスは大きなアトリエ商店の隅っこに店を構える。
アトリエ商店はとても大きな店だ。客足が途絶えることはないし、アリスの店にもたくさんの客が訪れていた。
「お嬢ちゃん、腰痛に効く薬はないかえ?」
「お姉ちゃん風邪薬ちょうだい!」
ただし、時には困ったお客も訪れる。
「あの……その、惚れ薬ってありませんか……?」
「ちょっとシメたい奴がいるんだけど、ちょびっといい感じに効く毒薬ない?」
「あの、当店では人に呪いをかけたり、心を奪ったり、苦しめたりする薬は扱っていないんです……」
彼女は純粋に人のためになる薬しか作らなかった。だから、人を陥れるような薬を作ったことがなかった。もちろん、彼女の実力と才能ならばそれくらいわけないだろう。だが、アリスは強い信念をもって人を助けるための薬しか調合しないと決めていた。
「おーい、嬢ちゃん。そろそろリューマチの薬もらってもいいかい?」
「あ、はい、ちょっと待ってくださいね」
薬棚から琥珀色のビンを取り出すと、アリスは薬棚から離れる。魔術のかけられた薬棚で、アリスしか開けることはできないし、アリスしか持ち運ぶことができない仕組みになっているので離れても問題なかった。
「今日の分はこれです。あと一カ月ほど定期的にお薬を飲んでいればよくなると思います」
「おお、そうか!」
アトリエ商店店主は大きな声で笑う。
「これであと十年はこの店も安泰だな。がっはっは!」
店主はアリスの小柄な体をバンバンと叩く。
「セクハラしてんじゃねーよ、エロ親父」
「てめぇもいっちょ前に言うようになったな? ちゃんと配達は終わってるんだろうな?」
「ったりめーだろ? 三丁目のクロック宝飾店に測量器届けてきたぜ」
そう言ってガストは小袋に入ったお金を父親に渡す。
「あ、そうそう、アリス。仕事もらってきてやったぜ?」
「お仕事……ですか?」
「クロック宝飾店の店主なんだけどよ。最近目が霞んで時計の修理ができないんだってさ。いい薬師がいるって紹介したらぜひとも薬を調合してくれだってよ」
「わかりました。宝飾店さんに行っている間、お店を空けてもいいですか?」
「おう、構わねーぜ」
アリスは薬棚のところへ戻ると、薬棚を背負った。
そして混雑しているアトリエ商店を出ると、クロック商店へと向かった。
クロック宝飾店に到着してまず目に入ったのはあのネックレスだった。
「はぁ……やっぱり綺麗です……」
視線がついいってしまうがなんとか振り払うと、アリスは店の扉を押した。
店の中にはきらびやかな宝石が施された時計やネックレス、指輪などが所狭しと並べられていた。
「凄い……」
「おやおや、お客さんかな?」
店の奥から老人がやってくる。狭いケースの間を薬棚をケースにぶつけないようにアリスは進む。
「えっと、アトリエ商店の紹介で来た薬師です」
「おお、名うての魔女だと噂の子か!」
アリスはにっこり笑う。クロック商店店主は椅子を用意した。
「最近目が霞むようになってのう。やっぱり歳には勝てんわい」
「大丈夫ですよ。私がちょちょいと治しちゃいますからね」
アリスは老店主から症状を聞き出す。いつ頃からか、どんな症状か、他に何か症状がないか……。
彼女は一つ一つ頷きながら話を聞いて手帳にメモしていく。
「ずばり、これは病気ですね。まだまだ歳のせいじゃないですよ!」
「おお! じゃあ治るのかい?」
「ちょっと貴重な材料が必要ですね……。今すぐは調合できませんが、家に帰ればまだストックがあったはずなので大丈夫です。ただ、かなりお値段の張る材料なのですが……50ゴールドくらいかかりますね」
「ああ、構わんよ。目が治るなら安いもんじゃ」
アリスは頭の中で老店主の病気を治すための薬の調合方法を考える。
今回の調合は高級素材と高級魔術を用いたかなりレベルの高い調合になる。失敗すれば材料は全て無駄になってしまう。失敗は許されなかった。
「じゃあ、また明日薬を調合したら来ますね」
アリスはまた狭いケースの間の道を歩き難そうに歩いていく。
店を出ると、またあのネックレスが目に映った。
「欲しいけど……マリス姉さまに頼んでみようかしら……」
一度はそんな思いがよぎったが、アリスは首を横に振る。
「ダメです……。ウチにそんな余裕はありませんね……」
アリスはしょんぼりとしながらアトリエ商店へと戻っていった。
その夜、アリスは薬の調合の準備をしていた。
高級な素材を複数扱う高等な調合だ。準備は慎重に行わなければならない。
「アーリースぅー。今大丈夫ぅー?」
「ああ、マリスお姉さま。どんなご要件でしょうか?」
部屋の入り口にマリスが立っていた。アリスは一度薬の調合の準備を止めてマリスの方に向き直る。
「ちょっと黒魔術の実験にマナの結晶が欲しいんだけど、余ってるぅー? 急ぎじゃないからなければどっかで買って来るからいいんだけどさぁー」
「ああ、それなら……」
今まさに彼女が使おうとしていた高級素材だった。だが、もう余りはない。今回の調合でちょうどなくなるところだった
だが、そこでアリスは考える。
マナの結晶を出す代わりにあのネックレスを買ってもらうのはどうだろうか、と。
マナの結晶は採取するのが難しい素材だ。市場に出回れば数十ゴールドは下らない。それに出回る数が少ないので、入手するのも難しい。きっとまた入手できるようになるのは数カ月後になるだろう。
そんな貴重な材料なのだから、対価を出してもらうのは当然だ。
多少釣り合わないが、あのネックレスを買ってもらうのを引き換えに頼んだらどうだろうか。
だがそのとき、悲しそうな老店主の顔がアリスのまぶたの裏に浮かんだ。
「すみません、これから調合に使うところなんです」
「ああ、それならいいよぉー。趣味の実験だからねぇー」
そう言ってマリスは背中を向ける。これでよかったのだ、とアリスは思った。
アリスは再び薬の調合へと戻ることにした。
「はい、どうぞ。これを目にさしてもらえばすぐ治りますよ」
「おお、本当か!」
老店主は嬉しそうに薬を手に取る。
「毎日一回、一週間続ければ綺麗さっぱり治ります」
彼は嬉しそうな笑顔を浮かべた。
老店主のそんな笑顔を見ることができて、アリスは本当に良かったと思った。
もし昨日、マリスにマナの結晶を渡してネックレスを買うよう頼んでいたら、きっと後悔しただろう。きっと彼の悲しそうな表情を見ることになるに違いない。
「おおお……もやが晴れるようだ……」
老店主はあまりの効果に驚く。
「たしか50ゴールドだったかな?」
老店主は懐から金貨がずっしりと入った袋を取り出す。
「お買い上げ、ありがとうございます」
「それと、これはお嬢ちゃんに似合うと思って用意したんじゃ。餞別代わりに受け取ってもらえないかのう?」
そう言って彼が差し出してきたのは……オパールのネックレスだった。
それは中くらい大きさのオパールに銀細工が施された、あの店頭にある物に比べれば貧相なものだったが、きっと普通に買えばそこそこ値の張るものに違いない。
アリスはオパールのネックレスにゆっくり指を伸ばす。
冷たい感触が少し気持ちいいくらいだった。
「本当にいいんですか……?」
「感謝の気持ちじゃよ。持っていってくれんかの?」
アリスはゆっくりとネックレスを首に付ける。質素な服装をしている分、店頭の派手なネックレスと比べてそのネックレスの方が彼女には似合っているように感じられた。
「ぴったりじゃな」
「あ、ありがとうございます!」
アリスは深々と頭を下げる。
店を出て、アトリエ商店へと戻る彼女の足は、昨日よりも軽いステップを踏んでいた。
ある日、マリスの元へと依頼が舞い込んできた。
それはとある人形の鑑定及び、呪いの解呪だった。
マリスはゆっくりと人形を調べ、そして首を振る。
「んー、呪い、とはまた違うねぇー」
マリスは一同に説明を始めた。その人形に宿る高位の精霊の話を……。
次話、5 マリスと人形