2 マリスと夢魔
第二話
マリスは黒魔術師。
黒魔術といっても色々ある。
対黒魔術用魔術も黒魔術の範疇である。
更には今では占星術や白魔術などの一部も黒魔術に含まれている。黒魔術、と一口に言ってもその魔術の範囲は広いのである。
アリスが薬を売って生計を立てているように、彼女も自分の研究成果を売って生計を立てている。
「マリス・トリリス様、よくいらっしゃいました」
「にゃははー、邪魔するよぉー」
彼女が通されたのは巨大な邸宅の居間。この街の中でも特に大きな豪邸の一つであるその邸宅に、彼女はどんな用事があって訪れたのだろうか。
「マリス・トリリス殿、黒魔術師としての名声は王都にも届いているな」
「にゃはは、それほどでもないよぉー」
豪華な椅子に座るその男はいやらしそうな笑みを浮かべてマリスの全身を舐めるように見る。
「で、依頼ってのはなぁにぃー?」
「いやはや、まずはこちらのお食事でもいかがかな?」
男がパチン、と指を弾くと豪華な食事が運ばれてくる。
「まずはエサで釣ろうってことかにゃー?」
「まあまあ、まずは食事でも共にしましょう」
二人は昼餐会を始める。
牛肉のワイン煮込み、魚のムニエル、それからフランスパンに高級ワイン。
「それじゃあ遠慮なくいただくよぉー」
黒魔術、などという魔術を研究しているとこういった類の依頼はいくらでも舞い込んでくるものだ。
要人の呪殺、運勢の占い、特殊な病の治療……その手の依頼はたくさんある。
「それにしても豪勢だねぇー。あまりにも豪勢すぎて手を付ける気すら起こらないよぉー」
「ほう、我が家の昼餐はお気に召さなかったかな?」
「……これはトリカブトのスープかなぁー? それにこっちはベラドンナのサラダ、このキノコのステーキはドクツルタケだねぇー。おっと、こっちはフグの肝臓を煮込んだものじゃないのぉー? 先にそっちが食べる、っていうなら食べてもいいよぉー」
「はははは、さすがかの高名な黒魔術師殿だ。その辺りはよくわかっていらっしゃるようだ」
男は相変わらずいやらしい笑みを崩さないまま、もう一度指を鳴らす。
未だ湯気を上げる猛毒料理のフルコースはすぐに下げられる。
「匂いをかぐどころか、見た瞬間にわかるとはさすがトリリスの名は伊達ではないというだけはありますな」
「このくらい黒魔術界では常識よぉー」
マリスは得意げに胸を張る。
「さて、本題なのだが……。呪いをかけられた私の娘を助けていただきたい。できることなら、その呪いをかけた相手を逆に呪い殺していただけると助かる」
「呪殺はあたしの専門外なんだよねぇー。あたしの研究は対黒魔術用魔術、それから奇術だとかそんなんばっかりだからねぇー」
「私としても、一人娘に呪いをかけられて黙っているわけにはいかないのでね。そこをどうにか頼むよ」
男は懇願するように頭を下げる。
マリスはしばらくの間考えていたが、やがて口を開き――
「まあ、善処はするよぉー。とりあえず呪いをかけられた子を見せてほしいなぁー」
「うむ、わかった」
二人は立ち上がると広い邸宅を練り歩く。
しばらくの間廊下をいくつか曲がると、やがてその部屋が見えてくる。
「ここだ。どうか頼むよ」
「あい、わかったよぉー」
マリスは扉に手をかける。
「……サソリの刻印。これは対魔術装甲のつもりかなぁー?」
「どこかで魔法にはサソリの刻印が効くと効いたものでね」
「まあ、低級魔術には有効だけどぉー、高等魔術には刻印に更に聖印を施さないとちょっと無理かなぁー。魔法なんてもってのほかだにゃぁー」
マリスは難なく反対魔術を唱えると、サソリの刻印を無視して扉を開く。
「さすがマリス・トリリス殿は素晴らしい魔女ですな。この前呼んだ魔術師はサソリの刻印に触れた途端火傷を負って逃げ帰っていったよ」
マリスが部屋に入ると、そこにはファンシーな飾りつけがなされた部屋があった。
「で、この子がその呪いにかけられた子?」
「もう何日も眠っているのです。揺さぶっても一向に起きることはなく、それどころかうわごとを言って……」
ベッドの上に一人の少女が眠っていた。頬は透き通るように白く、生気が見られない。
「これは……呪いじゃないよぉー。夢魔って知ってる? 夢を食らって生きている魔性の獣だよぉー。この子は夢魔に取り憑かれているねぇー」
「なんですと……? それじゃあサソリの刻印も無意味だった……と?」
「そういうことになるねぇー。でも、この程度の低級の夢魔ならすぐに秡えるよぉー」
「おお! それは本当ですか!」
男は驚くように声を上げる。
「とりあえず、一晩この部屋にいてもいいかなぁー? 夢魔は夜になると盛んに動き出すんだよねぇー」
「娘が助かるならば構いませんとも!」
男は嬉しそうに言った。
マリスは一睡もせずに少女の傍に座っていた。
そして、夢魔が具現化するのを待つ。
夢魔とは人の夢を食らう魔性の獣だ。だが、その夢を食らう一瞬だけ姿を現す。そこを叩けばいいだけだった。
「来たねぇー」
マリスは立ち上がる。夢魔が現れた。見た目はまるで人のようだが、知性は獣に等しい。夢魔はマリスがいるにも構わず、少女の上に覆い被さるように口を開く。
「いっくよぉー」
マリスは夢魔を倒すための魔術を唱える。
夢魔は精神サイドに属する魔物だ。こういった魔物にはその手の魔術が有効だ。
夢魔はマリスの存在に気付くとそちらに意識を向ける。
生命奪取。夢魔の用いる低級魔術だ。起きている人間に対して有効な生命力を奪い取る魔術である。
だが、マリスは即座に抵抗魔術を展開する。ライフスティールは即座に無力化され、夢魔はマリスに対する攻撃手段を失う。
「もっと高等な魔術はないかなぁー?」
夢魔は困ったように首を横に振る。マリスは意地悪な笑みを浮かべて――
「お仕事だから、ごめんねぇー」
夢魔を退散させる魔術を発動させる。夢魔は体の端から少しずつ崩れていった。
「お仕事完了ぉー」
マリスは部屋を出ると、真夜中であることなど構わずに主の部屋の扉をノックする。
「終わったよぉー。明日には目を覚ますはずだよぉー」
男はベッドの上で本を読んでいた。やはり娘の安否が気になっていたようで、起きていずにはいられなかったようだ。
「おお、本当か!」
「うんうん、今夜はきっといい夢見れるよぉー」
「ありがとう、ありがとう!」
男はマリスの手を握ると、ぶんぶんと上下させる。
「報酬は半額執事に預けてある。娘が無事であることを確認したらもう半分を出そう」
「じゃあまた明日来るよぉー。メンドくさいからそのとき全額もらうねぇー」
そう言うと、マリスは男に背を向ける。
「そうか、わかった」
「じゃ、おやすみぃ~」
マリスはそのまままっすぐ玄関を通って館を後にした。
「今回のお仕事の報酬ー」
マリスはどん、とテーブルの上に金貨の入った袋を乗せる。
「いくら儲けたの?」
「今回の相手は大富豪だったからねぇー。結構弾んでくれたよぉー」
袋の中にはざっと200ゴールドは入っているだろうか。
「さすがマリスお姉さまは我が家一番の稼ぎ手ですね!」
「いやぁー、褒めても何も出ないよぉー?」
マリスは笑いながらぽりぽりと頬をかく。
「こうなると、ほとんど稼いでない私がなんだかさもしく感じられるわね」
イリスは苦笑いを浮かべる。
「イリスお姉さまの魔術はお金儲けには向いていませんからね。その上一番の食い扶持となるとまったくもって手に負えませんね」
「う……それを言うか妹よ……」
アリスは邪気のない笑顔でさらっと言ってのける。さすがの長女も言い返す言葉がなくて、苦笑いを浮かべ続けるしかなかった。
「ま、これで当分は凌げるはずだよぉー」
「そうね。じゃあ今日は一番の稼ぎ手であるマリスのために腕を振るって何か作ろうかしら」
「「いや、イリスお姉さまの料理はやめてください」」
二人は声を揃えて言う。それを聞いてイリスは残念そうな表情を浮かべた。
「……なんで?」
「いやぁー……イリスお姉さまの料理はヤバ……エキセントリックだからねぇー」
「それに、お料理は私の仕事ですから!」
アリスはイリスを台所から押し出すと料理の支度を始める。
「えー……せっかく料理を作ろうと思ったのにそれは残念ね……」
「まあまあ、お姉さまはどんと構えて椅子に座ってればOKだよぉー」
「今日はお祝いに牛肉のワイン煮にしますね!」
アリスは牛肉をふんだんに使った料理の準備をする。
「む……仕方ないわね。じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかしら」
イリスは少し納得のいかないようであったが、けれども椅子に座って待つことにした。
今日もトリリスの娘達の小屋では賑やかな談笑が響き続けた。
イリスは精霊魔術師。
精霊魔術とは、その場に満ちる精霊の力を借りて魔術を行使する、もっとも魔法らしい魔術である。
四大元素を主に扱うその魔術は多彩でかつ強力な効果を発揮するのだが……。
イリスは憂いていた――魔術の才能のない自分に。
薬を作ってもダメ、魔術でお金稼ぎをしようとしてもダメ……。
一番の食い扶持である自分の在り方に頭を悩ませていた。
次話、3 イリスの憂鬱。