20 マリスと事件
第二十話
マリスとイリスは王立図書館を訪れていた。
国内最大規模を誇るその図書館の蔵書は星の数に等しいとすらも言われており、短い人間の一生で読むには数が多すぎた。
といっても、一般向けに公開されている蔵書はその内の一割にも満たない。中には神代の神々が遺したといわれる貴重な書物も存在し、それらは一部の王宮資格を持つ者のみに開放されているという。
「で、マリス。一応図書館には来たけど何から調べるの?」
イリスは遥か向こうを見通すことのできないほど広大なそのスペースを見てわくわくしながらマリスに尋ねる。
「んー、ここの本を片っ端から読めたら幸せなんだけどねぇ~……。でも、今はそんなことしてる暇ないのが現実なんだよなぁ~」
マリスもこれほど大量の本を前にするとやはり好奇心がうずくようだったが、ぶんぶんと首を横に振る。
「んー……外交記録、とか読めないかなぁ……。さすがに無理かなぁ……」
「とりあえず聞いてみましょう」
二人は受付へと向かう。
「どういったご用件でしょうか?」
マリスは国の外交記録を読みたい旨を伝えた。だが、予想通り司書は渋い表情を浮かべる。
「一部ならば読めますが……そのほとんどの内容は王立新聞社発行の新聞に書かれている内容ですよ?」
「だよねぇ……」
マリスはそっとイリスの耳元に口を寄せる。
「戦争になるくらいなんだから、とても大々的に公開できるもんじゃないよねぇ……」
「でしょうね……」
それどころか、王宮内のどれだけの人間が知っているか怪しいくらいである。
「じゃあ、新聞のバックナンバー貸してもらっていいかしら?」
「そうだねぇ~。とりあえず、最近十年分?」
「じゅ、十年分……ですか……?」
司書は冷や汗を浮かべて尋ねた。おおまかに計算しても三五〇〇日分以上だ。
「ああ、ごめんごめん。そんなにたくさん運べないよねぇ……。じゃあ、とりあえず一年分でいいかなぁー」
「う、承りました……。それでは、二階資料室にてお待ちください……」
司書はいそいそと奥へと引っ込んでいく。そんな様子を見て、イリスはやれやれとため息をついた。
「マリス、無茶言いすぎよ……。一年分って簡単に言うけど、どれだけの量があると思ってるのよ」
「んー? いや、姉さまならそれくらいあっという間に読み終わるでしょ?」
「え……私なら、ってマリスは?」
「にゃはは、私はちょっと別の探しモノしてくるよぉー」
そう言ってマリスはそそくさと書架の方へと向かう。
「ちょっとマリス! まさか抜け駆けするんじゃないでしょうね!」
「ダイジョブダイジョブ、姉さまに全部任せて一人だけ読書なんてことは考えてないからねぇー」
本気なのか冗談なのかわからない口調でマリスは走り去っていく。後に残されたイリスは小さなため息をついた。
「膨大な情報を高速で読み取る、なんてスキルは姉さま向けだからにゃ~。あたしは……ピンポイントで必要な情報だけを仕入れさせてもらおうかにゃ~」
マリスが向かったのは重要蔵書が収められた一般人立ち入り禁止の書庫。事務所の奥にあるが、消音灯と隠れマントを使って難なく扉まで進んだ。だが扉には厳重に鍵がかけられている。
「物理的な錠前が七つ、それから魔術的な錠前が五つ、それから強固な結界魔術かぁ……。物理錠と魔法錠を同時解除しないとダメ、しかも解除した際には警報発令機能付きとはやるねぇ~」
マリスはしばらく扉の構造を調べていたが、やがて小さなため息をつく。
「これは専用の装備が必要だねぇ……」
今この扉を開けることは諦めたのか、彼女はくるりと背を向ける。
事務所の外へ出ると、今度は歴史資料のコーナーへと向かう。
歴史書には過去に起きた事件などについての記述が残されている。もしかすると、似たような事件が過去にあったかもしれない。
マリスはできるだけ近代の歴史から辿っていく。時代が古くなればなるほど歴史は正確性を欠く。時には神話や伝説が本物の歴史として語られることすらある。彼女は史実を調べているのであって、神話や伝説を調べているのではない。人間の考え出した妄想という名の魔法に付き合っている暇はないのである。
「王歴1744年、神獣討伐……。最近ので一番大きな事件はこれかにゃぁ~」
神獣、それは文字通り神代の獣である高い知能を持った生命体だ。
神獣は世界各地に封印されている。古代、人と神がまだこの世界で共存していた時代に神が生んだ、世界の秩序を守るための守護者、それが神獣だ。
人間では抗うことのできない強大な力を持ち、秩序を乱す者を殲滅する知性ある獣は、神がこの世界を去ったとき、この世界が混沌に包まれた際、正しい秩序を取り戻すためにこの世界へと遺した統制者だ。
長い間、神獣は神々によって封印されたままこの世界の各地で眠っていた。だが、その封印された状態の神獣を発見した人間はその強力な力をなんとか利用できないかと考えた。
その詮索の結果が軍事力への転用だった。
王都から比較的近い山奥にある炎の洞窟の奥深くで眠っていた炎の神獣、テラノの封印を人間は解除することに成功した。
だが、眠りから醒めた神獣は理性を失っていた。
というのも、この炎の洞窟の近くに鉱山が存在したのだが、人間はこの鉱山から炎の魔力を持つ鉱石を掘り出していた。それらは強力なエネルギー源となり、人間の生活に役立てられていた。
だが、同時にその鉱石を採掘する際に人間が使った魔術から漏れる魔力は確実に辺りを魔力で汚染していた。
そして、最悪なことにこの鉱山の下を通る魔脈はテラノの眠る炎の洞窟へと繋がっていた。汚染された魔力はテラノの元へと流れ込み、そしてテラノの理性を破壊してしまったのである。
結果として炎の洞窟を半壊させて世界へと飛び出したテラノは、本来守るべき世界を破壊する魔獣と成り果てた。
各国はテラノを討伐するために協力体制を敷く。そして、各国の優秀な戦士と魔術師、魔女を集結させてテラノを討伐することに成功した。
その戦いは一年にも及び、特に王都周辺へと残された爪痕は恐ろしいものだった。
以来、各国は神獣を他の技術に転用することはもちろん、封印を解除したり、発掘することすらも禁止する条約を締結するに至ったのである。
そして、この時の協力体制が今日まで生き残った結果が現在の平和だった。
「まさか神獣の復活……? まさか……ねぇ……」
神獣を復活させた際、何百人もの魔術師と魔女が数年がかりで封印を解除させたという。神獣が危険な存在だという認識が世界的に存在する現在で神獣を復活させよう、などと考える魔術師や魔女がこれほどまでに集合できるだろうか、いや不可能だろう。
「けれども、世界を巻き込むほどの大事件ってこれくらいしかないからにゃぁ~……」
マリスは続いて歴史書のページをめくる。そんな中目に飛び込んできたのが1442年の世界的赤死病の流行だった。
その原因には諸説あるが、その中で最も有力な候補の一つとして挙げられているのが禁書の“発動”である。
禁書とは以前にマリスの元へと雛女の依頼をしてきた魔術師に渡した魔具のオリジナルである。禁書のオリジナルならば、世界を滅ぼす戦乱を起こすことができるだろう。
禁“書”という名を持つ魔具であるが、その実態は願望機である。ただし、その力を発揮させるためには数万人の人間相当の魂を生贄に捧げることが必要だ。
禁書の効果を発揮させるにはいくつかのステップを踏む必要がある。
その第一段階が“発動”である。
禁書が発動することによって、禁書は世界に一つの“災厄の種”を落とす。それがどういう形であるかはそのときによって違うが、ともかくその災厄によって数多くの魂が生きていた頃の体を離れていく。1442年の場合は世界的な伝染病の大流行だった。
第二段階が“吸収”だ。
“発動”によって世界に満ちた魂は死後の世界へと赴く前に禁書へと吸収される。
そして最終段階の“創造”で初めて願いが叶う。
しかし、このときもただ願いが叶うわけではない。“吸収”によって禁書に蓄えられた魂は魔力へと変換され、それは使用者の体へと流れ込む。使用者はその魔力を用いて魔法を使い、願いを叶えるわけだが、なにしろ数万人もの人間の魂を変換して作られた魔力だ。一人の人間のキャパシティを遥かに超えている量の魔力が流れ込むことになるわけである。
その魔力の暴走とも言える状態を耐え抜き、そして精神を狂わせることなく魔法を使って願いを叶えなければならないのだ。
ほとんどの場合、使用者の人間の体や魂、精神が耐え切れずに破壊され、あるいは異形の化け物へと成り果ててしまうこととなる。
もっとも、禁書の“発動”が確認されたこと自体が人類の歴史が始まって以来、片手の指でも数えられるほどの回数しかない。そして、実際に願いを叶えた例は一度もない。
今では禁書のオリジナルは行方不明となっている。海に沈んだという説も存在するし、どこかの国家が人知れず厳重に管理しているという説も存在し、あるいは既に破壊されたという説も存在する。
「これも……可能性は低そうだなぁ……」
そこまで思い至ってマリスは小さな声で呟く。確かに禁書が現在どこに存在するかは不明だが、なにより歴史が人間のキャパシティで扱うことのできない、人の身に余る魔具であることを証明している。この事実を知っていながら実行しようとする人間は皆無だろう。
マリスは続けて歴史書のページをめくった。
「1082年、訪問者事件……。これのがまだ可能性ありそうだにゃぁ……」
この事件についての記述はとても少ない。だが、この事件は確実に起こったといわれている。それは何故か。
それは――この事件に関して、わかっていることがあまりにも少ないからだ。だが、この事件によって現れた“訪問者”は確かな災禍を残していった。
1082年前後、その“訪問者”達は突如として現れた。
人の形をしていながら、しかし体は金属で覆われているその機兵は感情を持たずに人々を虐殺した。
当時には存在しなかった、そして現在でも再現不可能なほど高性能な銃器を持ち、さらには魔術を用いずに空を飛ぶ。そんな化け物が一体だけでなく、数百体という数が世界各地に突如として現れたのである。
人に対して怨みを持っているかのように人を殺し続ける機兵に対し、人間はなす術もなかった。
だが、それから数年して別の“訪問者”が現れた。
最初に現れた機兵と同様、その機兵は突然世界に現れたが、今度の機兵は人間には目もくれず、最初の“訪問者”達を破壊し続けた。
それからしばらくして、“訪問者”達の来訪はぱったりと途絶えてしまった。残っていた機兵もお互いに数を減らしていき、最終的には後に現れた機兵が勝ち残り、そして機能を停止した。
やがて動かなくなった機兵の調査が行われたが、原理不明の高等技術が使われており、またその動力源やシステムに魔力が使われていない、ということだけしかわからなかった。
今ではその動かない機兵を各国が保存しているという。
現在、この事件は並行して存在する別世界の戦争の余波ではないかと考えられている。
もう少し詳しく解説すると、世界というものは幾つもの異なる世界が同時に横並びに存在していることが魔術的な調査で判明している。
それらは繋がりを持っていることもあるが、まったく繋がりのないこともある。
今回の事件はその繋がりのない世界が何らかの偶然で繋がり、別の世界に存在するモノがこの世界に流出してきたのではないかと考えられているのである。
過去にもそういった現象は発生しており、これらは“世界設定の共通現象”と呼ばれている。
マリスは続けて歴史書をめくってみるが、これより以前には世界的に発生した明確な歴史は存在しなかった。
もっとも、明確でない歴史は存在する。
それがいわゆる神話や伝説の類であった。
神と魔王の抗争、世界的大洪水、天地の炎上……数を挙げればキリがない。
だが、もしそんな事件が実際に起こっていればこの世界が平和な状態で存在することがおかしい。人間はもちろん、この世界など既に滅んでいるはずである。
マリスはぱたんと歴史書を閉じた。
過去の事件と同じような事件が発生して戦乱が起こるのならば、先ほど挙げられた三つの事件が有力だろうと彼女は思った。
だが、本当にそうだろうか。
マリスは本を書架に戻すと、腕を組んで歩き始める。
禁書は確かに数度発動しているものの、他の事件――神獣の封印解除や、“訪問者”の訪問のような事件は過去に一度しか発生していない。
つまり、この先再び同じような事件が発生するとは考えにくい。
これらのことを統合すると、禁書――あるいは他の強力な魔具の暴走、というのが最も可能性のあるものだろうか。
世界の存亡を揺るがしかねない魔具は禁書をはじめとしてこの世界にいくつか存在する。所持者に栄光と滅びを与える聖槍、世界の運行を定めると言われている十二星座を象った魔石、聖人の血を受けたとされる聖杯……。どれもこれも伝説上の存在ではあるが、だが中には現存していることがはっきりと確認されている魔具も存在する。先に挙げた聖杯は実際に王立博物館に保管されており、一般に公開されている。
目の前に見える最強の魔具である聖杯は確かに有力な候補の一つかもしれない。となると、この聖杯が奪われて使用される、というのがスタリアの視た未来だろうか。
マリスは別の書架に移動して聖杯に関する文献を漁ってみた。
――聖杯、それは文字通り聖人の血を受けたとされる聖なる杯である。
聖人というものは存在そのものが人間としてのカテゴリーを超えている人間のことだ。触れただけで傷病者の傷や病を治し、貧しい者に無限の施しを与え、そして死すら考える者に魂の救済を与える――。そのいくつが事実かは不明だが、彼らは人々に救いを与え、奇跡を起こしたからこそ、現在に至っても絶大な信仰を得ているのである。
そんな者の血ともなれば、それが常軌を逸した物体であることは自明の理である。
まさに、人間の遺した絶対的な奇跡の顕現、象徴、具現。存在そのものが魔法なのである。
そんな聖遺物を悪用すれば、世界など簡単に滅んでしまう。
マリスは聖杯の持つ力について記述された本を見つけ出した。彼女はぱらぱらとページをめくってみる。
その本によると、聖杯は確かに莫大な魔力を持つ聖遺物ではあるが、その使用法などはいまいちわかっていないようである。
過去に聖杯を水で満たし、それを飲んだ者がいたようだが、まったく効果はなかったようだ。
聖杯から魔力を取り出そうという実験も行われたが、強固な結界が聖杯自体を取り囲んでおり、それも不可能だった。
他にも数多くの調査と実験が行われたが、結局聖杯を使って何かをすることはできなかったのである。
「だから博物館で公開してるんだにゃぁ~」
強力な力を持つ聖遺物ではあるが、万が一盗まれてもそれを悪用することはできない。だから、王国は安心して公開することができるのだ。
「これは……手掛かりにならなかったにゃぁ……」
マリスは聖杯に関する本を書架に戻した。
「はぁ……。最初からやり直した方が早いかもねぇ……」
彼女は小さくため息をつくと、ふらふらと書架の立ち並ぶ中へと消えていった。
さて、なんかいろいろ出てきましたね。
その中でも今回は“世界設定の共通現象”について説明しましょうか。
その名の通り、コレはクロスオーバーという意味です。
同じ作者が別作品のキャラクターを登場させたりすることを指します。
実はトリリスでは第二部以降ではこのクロスオーバーが結構出てきます。
地味に物語にかかわったりといろいろ重要ですが、別にその作品を読んでいないと話が理解できない、というようなものではないのでご安心を。
まあ、読んでいるに越したことないですが。
登場するのは主に部品とユジューからです。
懐かしいですねユジューティオナ。
ユジューからはキャラクターが、部品からは設定が出ます。
どんなふうに登場するかは楽しみにしていてくださいね。
では、次回予告!
一方、イリスはたくさんの新聞を斜め読みしていた。
そして幾度となく目に飛び込んでくる『通り魔連続殺人事件』。
「姉さま、はかどってるぅ~?」
マリスの問いかけにイリスは首を振る。
そのまま何時間も調べるも、ほかに手がかりは見つからない。
イリスはとりあえず、得られた手掛かりから連続通り魔殺人事件について考察することにした。
次話、21 イリスと魔女