1 アリスの午後
第一話
アリスは錬金術師。
錬金術で作った薬を売って生計を立てている。
今日も彼女は街へと薬を売りにやってきた。
「お薬はいかがですか? 小さな怪我から風邪に肺炎、結核までなんでも取り揃えていますよ」
街角に薬屋を開く彼女はにこにこと笑いながら道行く人に声をかける。
錬金術によって作り出された薬は様々な効能を持つ。いわば魔法の薬だ。並大抵の怪我や病気を治療することができるだろう。
だが、同時に魔女とはいかがわしい存在であることも確かだ。魔女を騙って色水を売る者も中にはいる。そういうことから、彼女の薬は必ずしも売れ行きがいいとは限らなかった。
実演をしようにも、錬金術とはわかりやすい奇跡を起こす魔術ではない。錬金術師が魔女であることを証明することは難しいことだった。
「こほ、こほ、お嬢ちゃん。風邪に効く薬はあるかえ?」
「どんな風邪ですか?」
ふと、彼女の元へ老婆が訪れる。アリスは老婆から症状を聞き出すと、素早く薬を選び出して一本の瓶を差し出した。
「はい、どうぞ。飲めばたちまち良くなりますよ?」
老婆はお金を支払って瓶の中身を飲み干す。
「おお、お嬢ちゃんが魔女というのは本当のようじゃな。体が一気に軽くなったわい」
「それはよかったです」
アリスはにっこり笑って老婆を見送る。
今日の売上は風邪薬だけか、とアリスは残念に思って店終いの支度を始める。そろそろ日が西に傾いてきていた。
「うおぁ!?」
そのとき、彼女の目の前で少年が派手に転ぶ。両手には体に見合わない大きな荷物があり、そんな状態で走っていれば転ぶのもおかしくはない。
アリスは少年の元へ駆け寄る。
「あいたたた……。はっ! 商品は!?」
少年は荷物に傷がないか確認する。どうやら運んでいた荷物は無事だったようだ。
「ふう……よかった。親父にまた怒鳴られるところだったぜ……」
「大丈夫ですか?」
「ああ、大丈……いてて……」
少年は膝に大きな怪我を作っていた。
「畜生……荷物が無事でもこれじゃあ運べないぜ……」
「あ、ちょっと待ってくださいね」
アリスは思いついたように薬棚を調べる。
「ちょっと染みますよ?」
傷口を水で洗い、そこに綿へ染み込ませた薬を塗り込む。すると、驚くべき速度で傷は治っていく。
「うわぉ! 君、魔女!?」
「はい、そうです」
アリスははにかむように笑った。
「このご恩は一生忘れないぜ! 俺、道具屋見習いのガストって言うんだ。なんかあったときはアトリエ商店まで来てくれよ!」
「ガストさん……ですか?」
「急ぎの用事だからさ! ホントはもう少しゆっくり話したかったんだけど、ごめんな!」
そう言うと、ガストは大きな荷物を肩に担いで走り去っていく。
それをぼんやりとしながらアリスは見送っていた。
「そりゃー、薬代請求すべきだよぉー」
アリスは家に帰ると、二人の姉妹に今日あった出来事を話した。
「まあ、善意で助けたってのもアリなんじゃない? 魔女ってのは人を幸せにするためにいるんだからさ」
「でも善意は無料じゃないんだなぁー。そうじゃないと私達魔女も生計立たないよぉー」
アリスは夕食の支度をしながら二人の話を聞く。
アトリエ商店まで行けば支払いを迫ることもできるだろう。けれども、イリスの言葉もその通りだと思った。
「きっと縁が巡り巡っていいことあるかもしれないわよ? 情けは人の為ならず、って言うしね」
情けは人の為ならず、情けを人にかけておけば巡り巡って自分に良い報いが来るという意味だ。情けを人にかけるということはその人の為にならない、というのは誤用である。
「にしし、アトリエ商店って言ったらあの街最大規模の商店だよぉー。そこにコネができればいいかもねぇー」
「もう、マリスはそういうことしか考えないんだから」
イリスは腰に手を当てて頬を膨らませる。
「まあでも、きっとその子もアリスにお礼がしたいだろうし、明日アトリエ商店に行ってみたら?」
「そうですね……」
アリスはぼんやりと明日はどうしようか考えながらスープの入った鍋をかき混ぜていた。
「あ、いけない、焦がすところでした!」
アリスは慌てて火を止める。
「にゃははー。アリスに早くもボーイフレンド到来かにゃー?」
「もう、マリスったら」
結局どうするか決めないまま、アリスは街へと足を運んでいた。
昨日と同じ場所で店を構える。
店の前を何人もの人々が歩いていった。
だが、彼女の元を訪れる客は一人もいない。
「あー君、ちょっといいかな」
やっと客が訪れたと思って、アリスはぱーっと輝かしい笑顔を浮かべた。
彼女の前に立っていたのは一人の警邏の男だった。
「路上で商売するには許可が必要なんだ。許可証はあるか?」
「えっと……その……」
アリス達はあの森に引っ越してきてまだ日が浅かった。無論、この街のルールなど知りもしない。
「許可証がないなら店を退けてもらわないといけないな」
「そう……ですか……」
「許可証は一日1ゴールドだ」
「そんなにするんですか……!?」
1ゴールド、すなわち金貨一枚は100シルバー、銀貨百枚に相当する。そして1シルバーは銅貨百枚、100ブロンズに相当する。
1ゴールドは彼女の一般的な薬十本分だ。一日一本前後しか売れない彼女の店では1ゴールドも支払うなんてことは無理だった。
「許可証は市役所で発行しているからそこに期間と販売目録を提出してくれ。それまでは商売禁止だ」
アリスは仕方なく店を畳める。薬の入った大きな棚を背負うと、アリスは途方に暮れていた。
「いよ」
ふと、アリスは聞き覚えのある声を聞いた。
「やっぱ無許可だったかー。いやー、見ない顔だからどうしたんかと思ったんだよ」
アリスが振り返ると、そこには昨日出会った少年が立っていた。
「ガストさん!」
「覚えててくれたんだ。よかったー」
ガストは親しげにアリスの隣に並ぶ。
「昨日はサンキュ、助かったぜ」
「いえ、どういたしまして」
「警邏の連中が昨日、君のことを調べてたからさ。ちょっと気になって来たんだよ」
「どうしましょう……。私は商売ができないとお金が稼げませんし、かといって1ゴールドなんて金額、毎日なんて払えませんし……」
「だろうと思ったよ。昨日、実は何度もあの店の前を通ってたんだけど、人はほとんどついてなかったからな」
そこでガストはぴんと指を立てる。
「そ・こ・で、だ。ウチの敷地内で店出さないか? 親父に昨日聞いてみたんだよ。ウチの親父はアトリエ商店の頭目だからな。そしたら、ある条件を飲む代わりにウチのとこに並べて店を出してもいいってさ」
「ある条件……ですか?」
「それはな……」
「がっはっは! こんなべっぴんさん連れてくるとはお前もやるなぁ」
「うっせ、エロ親父。いいから黙って見てろって」
アリスは渡された材料や器具を使って慎重に調合を行う。
ガストが提示してきた条件とは、彼の父親のリューマチを治す薬を調合することだった。
「最近歳食ってきたせいか体の節々が痛んでなぁ」
「親父の場合は重いもの持ちすぎだろ」
「がはは、配達をしない道具屋が繁盛するかっての」
「愉快なお父さんですね」
アリスは二人の談笑を聞きながら薬の調合を進める。
「できました。これで一時的に痛みは収まるはずです」
「お、できたか。どれどれ……」
ガストの父親とガストはアリスが作業していた台を覗きこむ。琥珀色の薬がフラスコの中に入っていた。
「あくまでも一時的なものです。本格的な治療のための薬は家に戻らないと材料が……」
「ああ、構わんよ」
アリスはそーっとそのフラスコをガストの父親に手渡す。
「これを飲めばいいのか?」
「はい、そうです」
父親はぐいっと薬を飲み干す。
「お、おお?」
「どうした親父?」
ガストの父は軽く体を動かしたり、ストレッチをしてみたり、そして満足そうな笑みを浮かべる。
「こんなにすぐ効くのか!? 今まで地味に医者に通っていたのが馬鹿みたいだな!」
「あ、でも無理はしないでくださいね。本格的な治療には定期的にお薬が必要ですし、それはあくまでも痛みをごまかすだけのものです。体が治ったわけじゃないので、無理をすると余計体を痛めてしまいます」
「ふむ、そういうものなのか」
「家に帰ったらお薬を調合するので、それまでは無理なお仕事とかはしないでくださいね?」
「ああ、わかった。それと薬の販売の件だが、本店の端の方でいいか? 結構な客入りがあるからそれなりに客は付くはずだ」
「はい、ありがとうございます」
アリスはにっこりと笑みを浮かべて頷いた。
「情けは人の為ならず、いい実例ね」
イリスはティースプーンで砂糖を紅茶に落としながら言った。
「にゃはは、だからコネ作るといいって言ったんだよぉー」
マリスもクッキーをつまみながらイリスに続いた。
「えへへ、助かっちゃいました」
アリスは夕食の後片付けをしながら答えた。
「ガスト、だっけぇー? 恩をきっちり返す……フリして父親のリューマチ治療を引き受けさせるなんてちゃっかりしてるにゃぁー」
「まあでも、その代わりにアリスは薬を売る場所が手に入ったんでしょ? いいことじゃない」
「一日1ゴールドなんて無理ですよ。それならリューマチのお薬作る方が簡単ですからね」
アリスは後片付けを終えるとさっそく薬作りをするために自分の部屋へと向かった。
イリスは黒魔術師。
黒魔術と言っても、いろいろな種類がある。
呪いをかけるのも黒魔術だし、逆に呪いに抵抗するのも黒魔術である。
そういう意味では黒魔術と一口に言っても、白魔術、精霊魔術、錬金術などさまざまな魔術を含む。
そんなマリスの元へ一件の依頼が舞い込んできた。
それは呪いをかけられた娘を救って欲しいというものだった。
次話、2 マリスと夢魔