16 アリスと迷子
第十六話
「と、言うわけなのよ」
イリスの話を聞いていたアリスとマリスは言葉を失って茫然とする。
イリスはスタリアから聞いた話を二人に語って聞かせた。この世が戦乱のある混沌とした世界へと向かおうとしているということ、そしてそれが多くの人間に死をもたらすこと、そしてその中に三姉妹の名が含まれていること……。
「概要はわかったよぉー。でも、どうしてそんな戦乱の世になるのかなぁー?」
「それはわからないらしいわ。占星術ってものはあくまでも“人”の運勢を視るものらしくて、未来起こる事件を直接視ることはできないらしいの」
「これといって戦争の火種になるような事件はありませんし……どういうことなのでしょうか?」
「それは戦争を起こす人間を直接視ないとわからないらしいわ。ともかく、それがいつ、どこで、どのように、どうして起こるかがわからないと対策しようもないわね……」
「にゃははー、姉さまもしかして、大変なことを背負い込んじゃったんじゃないかにゃー?」
「うう、我ながらちょっと失敗かもと思ってる……」
ぽんぽん、とマリスとアリスが背中を叩く。
「あ、それなら国の動向にもっと近い人に聞いてみればいいんですよ!」
「動向にもっと近い人……?」
「そうです! たとえば……」
「なるほどね、それでアタシのトコまでわざわざ来たのね」
王宮からそれほど離れていない都心部の一角、王宮に仕える者だけが住まうことを許される一等地、そこに住まいを構えるリースドール・プラネタリアの元を三人は訪れていた。
「あの森からここまで来るのは骨だったわ……」
「朝に出発して、途中行商人の馬車に乗せてもらって半日、この街に到着してから更に数時間だからねぇ……」
「この街は広すぎます……」
「あはは、これで少しはアタシの苦労もわかったかしら?」
リースドールはぱちんと指を鳴らす。その途端、台所の方がやや騒がしくなる。
「およ、リースは式神なんか扱えるようになったのぉ?」
「あれから色々練習してね。とりあえず、生活に便利そうな魔術から身に付けることにしたわけよ」
式神とは東洋の島国で発生した魔術の一つで、自分だけの使い魔を作り出す魔術である。マリスの雛女とは違い、自分の意思を持たないため、術者に逆らったりすることはないが、学習することもない。ただひたすらに術者に忠実な使い魔である。
「まあそれはさておき、戦乱の世ねぇ……。今の王は民にも慕われて名君だと言われてるし、周辺各国もずっと昔に和平条約が結ばれてからは平和に貿易を行っているだけだし……。とてもそんなことが起こるとは思えないわ。でも、スタリア・アステリスクといえば元王宮一の占星術師。そのスタリアが視たというなら間違ってないとアタシは思うんだけどねぇ……」
四人は唸りながら考える。そうしている間に台所からひょこひょことお盆が飛んでくる。
「お、お盆が飛んでる!?」
「姉さまよくお盆の下を見なよぉ……」
イリスは飛んでいるお盆の下をちらっと見てみる。そこには人型に切り抜かれた小さな白い紙がせっせとお盆を運んでいた。
「これが……式神?」
「低級だけど、雑用をこなすには十分だねぇ……。もっと高位の式神使いにもなると、動物に式を重ねて使い魔にしたりできるんだよぉー。ま、あれは式神というより降霊のが近いかもだけどねぇー」
お盆がテーブルの上に乗せられる。そして、また別の式神がアイスティーの入ったグラスを四人に配る。
イリスはグラスに差されたストローに口をつける。
「甘ぁッ!? 何これ! シロップの原液!?」
「え、美味しくない?」
ずずずーとリースドールは紅茶のようなものを戸惑うことなく飲む。
「アタシってたくさん勉強するから、甘いものをたくさん取らないと脳がエネルギー不足になるのよ。だから砂糖をいっぱい入れるの」
「入れすぎよ! 糖尿病になるわよ!?」
「うーん……確かにコレは入れすぎだねぇ……」
そう言いながらマリスはためらうことなく飲む。
「ちょっと甘すぎるような気もしますが……」
やはり同様アリスも紅茶を飲む。
「なんで二人とも飲めるのよ……」
「ちょっと甘いだけじゃないですか。イリスお姉さまの好きなコークだって角砂糖何個入ってるか知ってますか?」
「アレは炭酸が適度に甘さを消してるから……!」
「じゃあ、姉さまには今度から炭酸の抜けたコークを飲んでもらおうかねぇー」
ししし、とマリスは笑いながら言った。
「更に適度にぬるいと地獄のような甘さを堪能できるよぉー?」
「そんなん飲めるわけないじゃない!」
「アタシ、たまに飲むわよ? グラスに入れたまま飲むの忘れて次の日になったヤツ。捨てるのもったいないから飲んでるけど……」
「んなもん飲むなぁッ!」
四人は楽しく談笑する。最初の頃にあった重苦しい空気など完全に吹き飛んでしまっていた。
「まあ、ともかく! スタリアの予言はどうするの?」
「アタシの知り合いに社会情勢について詳しいフォード・ブリュッセルってヤツがいるから聞いておくよ。歴史研究家で、専攻は神学で神話研究。だけど、色々な国の神話を集めて各国を回っているうちに社会情勢についても詳しくなったんだってさ」
「ほぇー……。神話研究とはまた粋な研究してるねぇー」
「王宮歴史研究家の資格も持ってて、頼れる人だよ。しかもカッコよくて優しくて、背も高いんだよね!」
「ほぉー……それはいい話を聞いたなぁー」
「カッコよくて優しくて背も高い……」
「どんな人なんでしょう」
三人はそれぞれ思い思いのイメージを抱く。
「「今すぐ会わせて!」」
そして三人同時に身を乗り出す。
「え、あ、まあ、いいけど……なんか邪な思いを抱いてない?」
三人はリースとは視線を合わせずに辺りを見回す。
「まさかぁー。神話っていうと魔術の源泉だからねぇー。興味があるのは当たり前なんだよぉー」
「神話と精霊って近いところがあるしね! ぜひともお話を窺いたいわ!」
「更に歴史といえば錬金術です! 遥か古代から存在する錬金術についていいお話が聞けるかもしれません!」
リースドールは首を傾げていたが、やがて頷く。
「わかったわ。じゃあ会いに行きましょうか」
四人は混雑した王都を歩く。街は人でひしめきあっていて、広い通りも人であふれていた。
「らっしゃらっしゃい! 今日は野菜が大安売り! 買うなら今がチャンスだよ!」
「魚ぁー! 魚ぁー! 鮮魚はいかが! 今朝獲ったばかりの新鮮素材! これはお買い得だ!」
食料品を売る店からは大きな声で宣伝文句が飛び交う。夕方ということもあって、仕事を終えて帰路につく主婦達がそんな狭い店頭にぎっしりと並んで品物を吟味している様子がよく見えた。
「わぁー! さすが王都は凄いですね!」
アリスは目を輝かせて辺りを見回しながら歩く。
「アリス、それじゃあ田舎者丸出しよ?」
と、イリスも言いながら時折ショーウィンドウの方へと駆け寄ったりしている。
「はぁ……困った姉妹だよぉー……」
王都を幾度も訪れているマリスは慣れた様子で通りを歩いていた。
「ま、今のうちに王都をたっぷり堪能するといいわ」
なぜか偉そうに威張るリースドール。
そうして通りを抜けていく。
「彼の家は大通りの向こう側にあるの」
市街地の中心を貫く通りに商店街が集中し、その周囲に扇状に居住区が広がっている。その中でも王宮に近い場所に彼女達のように王宮資格を持っている人間が住んでいるのだ。
その中でも、リースドールは市街地の西側に住んでいる。そして目指す家は通りの東側。そういうわけで、どうしても彼の家に行くためには大通りを抜ける必要があった。
「ともかく、この街は広いから迷子になったら大変よ」
「そういうわけで姉さま、アリス、ちゃんとついてくるようにぃ……って……」
「あれ……アリスは?」
ふと気付くと、彼女らの周りにアリスがいない。イリスははぐれないように注意しながらマリスの後を追いかけていたのだが、アリスはどうやら物珍しさ故にどこかへ行ってしまったようだった。
「ああ! だから言ったのにぃッ!」
リースドールはギリギリと歯ぎしりをしながらダンダンと地面を踏み鳴らす。
「仕方ないねぇ……。探しに行こっかぁ……」
「この広い街をどうやって探すのよッ! ああもう油断した~ッ! 田舎者だとわかってたのに!」
「どうする? 手分けして探しても、私達が逆に迷子になりそうよ?」
「アンタらは先に彼の家に送り届けてそこで待っててもらうわ! あのウスラトンカチは私が探して小一時間説教してやるから! ともかく行くわよ!」
「ああ……困りました……」
アリスはすっかり困り果てていた。
珍しい秘薬の材料を見かけてその店へと立ち寄り、その材料を購入したはいいが、完全に姉達を見失ってしまったのだ。
「リースさんの家に戻りましょうか……。でも……」
いつリースや姉達が戻ってくるかわからない。下手をすると夜遅くまで戻ってこないとも限らない。それにリースドールの話していた男に興味があることも確かだった。こんな遠くの街までやってきて、何の成果も得られずに帰るのも馬鹿馬鹿しい。
何より、男性とまったく接点のなかった今までの生活を思うと、年頃の少女である彼女としてはイケメ――ではなく、博識な男性に会える数少ない機会を逃すわけにはいかなかった。
「せめて場所だけでも聞いておけばよかったです……」
気付くと、彼女は街の東側の住宅街へと迷いこんでいた。確かに正解ではあるが、この街の居住区は迷路のように入り組んでいる。仮に地図があったとしても、街に詳しい者や案内でもなければ目的地へとたどり着くことは難しい。ましてや地図もなし、目的地もわからなければたどり着くことは不可能だ。
アリスはすっかり途方に暮れて、とぼとぼと日の落ちかけた街を歩く。黄昏に染まりつつある居住区はやや不気味だった。
「どうかしましたか?」
「え……?」
周囲に誰もいないことを確かめてから、その声が自分へとかけられたものであるということにアリスは気付く。
彼女はゆっくりと振り返り、そして思わず見惚れてしまった。
アリスの前には大理石のように透き通るような白い肌、そして短い金髪の男が立っていた。歳はまだ若そうである。二十代前半、といったところだろうか。
「この辺りでは見かけない方ですね。何かお困りですか?」
きらりと白く輝く歯。にこやかな笑顔。その美しさにアリスは思わず胸が高鳴るのを感じた。
「あ、えっと……とある人の家へ向かう途中で姉達や友人とはぐれてしまいまして……」
「なるほど……。その尋ねる人の名前はわかりますか?」
「王宮歴史研究家のフォード・ブリュッセルさんです」
男はしばらく唸るようにして考えていたが、やがて思うところがあったのか、ぽんと手を叩く。
「ああ、僕は彼の家を知っていますよ」
「ホントですか!」
「ええ、ご案内しましょう」
男は導くようにアリスの前を歩く。その歩幅は早すぎず、そして遅すぎず。アリスも無理なくついていくことができた。
「ここは広い街でしょう。住んでいながら僕も時々自分がどこにいるのかわからなくなることがありますよ」
「私なんてもう全然わからなくて……」
「ははは、この街は迷路みたいですよね」
そんな談笑を続けながら二人は歩く。
迷宮のような作りの街を男は難なく歩いていく。そんな男を見て、アリスは彼のことを頼もしいと思っていた。
「もうすぐ着きますよ」
そうして幾度となく角を曲がっていく。
すると、マリスとイリス、そしてリースドールが立っているのが見えてきた。
「あ! お姉さま! リースちゃん!」
「アリス!? アンタどうしてここが!?」
アリスは三人の元へと駆け寄る。マリスはやれやれ、というような表情を浮かべ、イリスはほっとしたようだった。
「この人が案内してくれたんです」
男は三人ににっこり微笑む。
「ったく……どうしてアンタはそう運がいいのかしらね……」
リースドールが小さくため息をつく。
「そいつが件の王宮研究家、フォード・ブリュッセルよ。性格悪いんだかいいんだか……」
「え、ええ!? あなたがフォード・ブリュッセルさん!?」
男は微笑みを崩さずに頷いた。
「はじめまして、皆さん。僕が王宮歴史研究家のフォード・ブリュッセルです。今日はどういったご用件で?」
フォードは家の扉に手をかけて、そしてにっこり笑う。
「外でお話、というのも皆さんに悪いでしょうからどうぞ上がってください。少々散らかっていますが、ゆっくりくつろいでください」
そう言うと、フォードは家の扉を開いた。
どうもこんにちは、超久しぶりの更新になりますね。
部品が完結したので、こっちの更新を続けていこうと思います。
さて、トリリスも新章へ突入しました。
舞台は王都へと移り、そしていくつかの登場人物を置き去りにして物語りは進展していきます、ガスト君とか雛女とか(
ゲフンゲフン、まあ作者に忘れ去られた(というか出番を作れなかった)キャラはまあ置いといてお話を進めt――ちょ雛女さんやめて痛い痛い死ぬちょ、おま魔術ぶっ放すなコラグァバラ!!
ちょっと一回雛女に殺されたところで今回のお話の解説を。
はい、新登場フォード・ブリュッセルさん。名前がしっかりと決まっているキャラの中で二番目に登場の男性キャラで今回の章のキーパーソンです。
これからのお話で重要な存在となってきますが、まあそれはお話を読み進めてからのお楽しみ。
では、次回予告と参りましょうか。
少々散らかっているとは誰の言葉だろうか。
フォード・ブリュッセル邸は見事なまでに綺麗に掃除が行き届いていた。
広いテーブルには何も物はなく、壁に備え付けられた暖炉には煤一つない。白い革張りのソファもシミも見当たらず、床には埃の一欠片も落ちていない。
「あら、お客様ですか?」
そう言って現れたのは、この世のものとは思えない、美しい女性だった。
次話、17 マリスと宝具