14 イリスと石化
第十四話
「お姉さま、新聞持って帰りましたよ」
アリスはアトリエ商店から戻って、街で買った新聞をマリスに渡す。こんな森の奥深くまで届けてくれる人はいないので、自分の手で持ってこなければならない。
「ありがと、アリス。さーて、今日のニュースは……?」
マリスはがさがさと新聞を広げる。
「石化する人々! 街全域で流行する謎の呪い! 大黒魔術師の仕業か?」
彼女は新聞の一面のタイトルを読み上げる。イリスも横から覗きこみ、記事を読む。
「マリス……ダメじゃない。街の人々に呪いなんかかけちゃ……。何の実験か知らないけど、迷惑かけちゃいけないのがトリリスの流儀でしょ?」
「いやいやいやー、姉さま、コレ、あたしの仕業だと思ってるのぉー?」
「え、だって街全体規模の大魔術なんてあなたくらいしか扱えないんじゃない?」
マリスはぶんぶんと首を横に振る。
「さすがのあたしでもこんなことしないよぉー……」
「あ、そういえば町長さんからマリスお姉さま宛てのお手紙を預かっていたんでした」
アリスは懐のカバンから一枚の封筒を取り出す。
「そういう大事なことは最初に言うもんだよぉー」
マリスはびりびりと封筒を破いて中から手紙を取り出す。
「どれどれ……ふーん……」
彼女はうんうんと頷きながら手紙を読む。
「何て書いてあったの?」
「さっそくこの石化の件で依頼だよぉー。この石化を治し、石化の呪いをかけている首謀者を暴き出して欲しい、だってさぁー」
マリスは手紙をテーブルの上に放り投げた。
「どんなもんか見ないとわかんないけどぉ、今回は皆に協力してもらおうかなぁー。街規模の大魔術となると相手がデカそうだしぃー」
「任せてください!」
「私なんかで役に立つなら手伝うけど……」
アリスは自信たっぷりに、対照的にイリスは自信なさげに言う。
「姉さまは自信持ってほしいねぇー。このマリス・トリリスが直々に魔術を教えているんだものぉー。以前より大幅に魔術の腕だって上がっているよぉー」
イリスはこの前の誕生日の日にスタッフを新調してから、マリスの仕事がない日は彼女から毎日魔術の訓練を受けていた。
「腕の見せどころですね!」
「んー……それでも不安ね……」
「ダイジョブダイジョブぅー。ま、とりあえず明日実際に患者の元を尋ねてみようかぁー」
トリリスの三姉妹は翌日、石化した患者の元を訪ねていた。
町長が把握しているだけでも二十二人。潜在的な患者も考慮に入れると、それ以上だろう。
ひとまずそのうちの一人の家を訪れてみる。
「二、三日前でしょうか。夫はアトリエ商店に買い物に出かける、と言って出て行ったきり帰らないから、探しに行ってみれば街中で突然倒れたという話を聞きまして……。病院へと向かうとすでにこの状態でした……」
男はベッドの上に横たわっていた。マリスは遠慮もせずに男の体に触れてみる。男の体は石のように堅くなっていた。
マリスは腰に差したスタッフを抜くと、素早く呪文を唱えてコンコンと男の体を叩いてみる。
「うーん……低位の解除じゃダメかぁ……。アリス、浄化試してみてぇー。多分あたしより治療系の白魔術はアリスの方が上手だと思うからぁー」
「わかりました」
アリスは白いスタッフを腰から抜くと、男の額の上に掲げる。そして、持ってきていたカバンから小さな水晶玉を取り出す。
「水のファミリアよ、我に僅かばかりの力を貸したまえ」
水晶玉から煙が浮かび上がり、魚の形をした精霊が現れる。ファミリアとは、術者が従えた精霊の一種であり、使い魔に近い存在であると言える。彼らの力を借りれば精霊の力のない場所でも精霊魔術を行使することが可能であり、精霊魔術師ならずとも、精霊魔術を行使できる魔術師の多くが所持している。
「浄化の水。穢れなき水。癒しの水。ここに呪いを秡い、魔を遠ざけよ」
スタッフの先から泡がこぼれ落ち、男の体を包み込む。
「ダメですね……。これは相当高位の呪いによるものだと思います」
「うーん……。どうも黒魔術っぽくないんだよなぁ……」
マリスはうんうんと唸りながら男を見つめる。
「ただの石化の呪いなら浄化ほどの高位の回復魔術で治るのにぃ……。これは別の魔術の可能性を考えて当たってみた方がいいねぇ……。アリスは石化解除の回復薬の調合を、イリス姉さまは……情報収集を頼んでもいいかなぁ?」
「はい、わかりました」
「わかったわ」
「あたしは被害者達が倒れた場所を回って魔術の痕跡がないか調べてみるよぉー」
患者の妻が不安そうに前に出る。
「あの……夫は治りますでしょうか……?」
「心配しないでいいよぉー。何せあたしらはこの辺り一帯でも有名な大魔術師だからねぇー」
「どーんと任せちゃってくださいね」
三人は一度患者の家を後にする。
アリスは薬の調合のために自宅へ、マリスは被害者の倒れた場所へ、イリスは別の被害者宅へと向かうことになった。
イリスは一人街の中を歩く。
マリスに送られた町長からの手紙を見る限りでは、被害者が住んでいる場所に統一性は無く、街のあちこちで石化した患者が出ていた。
イリスはそれらの被害者の家を一軒一軒訪ねて回る。
どの家でも被害者は皆、最初の家の被害者同様、体は堅く硬直しており、顔からは生気を感じられない。
被害者がその硬直した日に出かけた先もそれぞれで、特に共通する事項はない。
「なんにもわかんなかったなぁー……」
イリスは一度休憩するためにオープン型のカフェに入る。街中を歩き回ったために足がパンパンに腫れていた。
今日歩いた場所を調べてみようと、彼女は街の地図を広げた。そして筆ペンとインクを取り出すと、歩いた道をなぞってみる。
「あれ、そういえばここ何度も歩いたな……」
そうやって道を辿ってみると、彼女はとある共通点があることに気付いた。
被害者の家へと向かうときに何度も通る場所がある。幾度となく歩いた通りで、記憶に色濃く残っていた。
「もしかして……!」
イリスは被害者と被害者が石化した当日に歩いた足跡を地図に記してみる。彼女は全ての被害者宅で聞いた話を細かにメモを取っていた。
「やっぱり……!」
全ての被害者が通った道筋上に一つの通りが浮かび上がってくる。街のメーンストリートの一つである、バロック通りだった。
「あれ……この通りって……」
彼女は数日前の記憶を辿ってみる。どこかでこの通りに関する話を聞いたような気がした。妹達がここのことで騒いでいたような気がする、ということだけは覚えていた。
「とりあえず行ってみるしかないわね」
彼女は地図を畳むと、カバンへとしまって立ち上がる。
勘定を済ませた彼女はバロック通りへとまっすぐに向かった。
イリスは背中を悪寒が駆けめぐっているのを感じていた。直感的なもので、彼女が母から受け継いだ魔女としての素質の一つである。
こういうときの直感が必ず的中する。以前にマリスがアリスをフラスコに閉じ込めた事件でも、直前に悪い予感がしていたのだ。
彼女がバロック通りに到着すると人だかりができている。
「何かしら……?」
イリスは人をかき分け、無理やり進んでいく。頭の中に最悪の予想が浮かび上がっていたが、彼女はそれを考えまいとしていた。
だが、それも無駄な抵抗だったようだ。
「!?」
イリスがようやく開けた場所に出ると、そこには最悪の予想が転がっていた。
マリスが通りの真ん中に倒れている。その周りには観衆の一人が通報したのか、警邏の男が何人か立っていた。
「通して!」
イリスは強引に観衆の中から抜け出ると、マリスの元へ走った。
「こら、君! 勝手に入ってきてはダメだろう!」
「この子は……この子は私の妹なの!」
彼女はマリスの傍にしゃがみこむと、必死に肩を叩いて呼び掛けた。
「マリス! マリス!」
彼女は肩に触れてそのひんやりとした感覚に、氷の棒を背中に突っ込まれたようなショックを受ける。彼女もまた、石化した街の住人と同じ状態だった。
「ッ! 誰よッ! こんなことをしたのは誰なの!?」
揺り動かしても無駄だということはわかっていた。けれども、彼女はそうせずにはいられなかった。
ごとり、という重い音がして彼女の顔が上を向く。その顔にははっきりと驚愕のようなものが刻まれていた。
「マリス……どうしてマリスが……」
トリリスの娘の中の一番の実力者がこうも簡単にやられたのだ。相手は相当強力な魔術の使い手であることは間違いない。
そこでイリスはマリスの手に何かが握られていることに気付く。
ぎゅっと握られていたが、イリスは強引に引っ張り出す。途中で紙は破れてしまったが、なんとか引きずり出すことに成功する。
「エー、エス、ティー、アール……?」
何かの頭文字だろうか。真相は破れて彼女の手の中に残った紙にあるかもしれないが、手はしっかりと握られていて、開くことはできなかった。
「君は彼女の家族の人かな?」
警邏の男の一人が優しく問い掛ける。イリスはゆっくりと頷いた。
「話を聞かせてもらっていいかい?」
「ええ……」
イリスは短く告げる。マリスは警邏の男達の組んだ担架に乗せられた。
マリスの住居が森の奥深くであることを告げると、そこまで搬送することはできないため、一時的に街の病院へと収容されることになった。
イリスは物言わぬマリスの傍にずっと付き添いながら、警邏の男に事情と彼女が今までわかった石化事件に関することを話し続けた。
どうもこんばんは、人によっては六度目の挨拶ですね、ほーらいです。
あのマリスがついに倒れるときがやってきました。
マリスは確かに天才ではありますが、無敵ではないというエピソードですね。
完璧な人間でも、一つくらい欠点があったっていいじゃない、人間だもの。
まあ、彼女は魔女ですが・・・。
というわけで、前話にはあまり出てきませんでしたが、サブタイにもなっている通りこの一連のエピソードではイリスが主人公となっております。
この先、マリスがいなくてもこの石化事件を解決できるのか・・・!
それは彼女の双肩にかかっています。
そして、この石化事件はただの大きなうねりの序曲でしかありません。
いかにして、トリリスの娘達は事件の奥に潜む大きな禍々しい凶事に立ち向かっていくのか!
それはこの作品を読み続けてくださる皆様だけがわかります。
では、次回予告です。
すっかり憔悴しきった様子でイリスは帰宅した。
だが、すでに夜も遅いというのに小屋には明かりがついていない。
彼女の脳裏に最悪の予想が通り過ぎる。
次話、15 イリスと運命