10 マリスと来客
第十話
「ここがあの黒魔術師、マリス・トリリスの根城ね……」
黒いローブ、黒のとんがり帽子、そして帽子のつばから覗かせるツインテールの金髪。ローブの襟には金色の太陽と銀色の月が交差する紋章が輝いている。
霧の漂う深い森にその少女は一人たたずんでいた。
彼女の前にはこじんまりとした小屋がある。名声の割に小さな小屋に住んでいるな、と彼女は思った。
「ああ、油断しちゃダメよ! ここは気を引き締めていかないと!」
ぱしん、と彼女は自分の頬を叩いた。
腰からワンドを抜き、それの先端でその扉を力強く叩いた。
「たのもー!」
なんでもない祝日の昼頃、その来訪者はあった。
今日は薬屋もアトリエ商店も店を閉じている。アリスは久しぶりの休日に羽を伸ばしていたところだった。
「あら、誰かしら?」
イリスが顔を覗かせる。こんな森の奥までやってくる者はほとんどいない、と言っても等しかった。
「私、出ますね」
アリスはぱたぱたと慌てながら扉の方へと向かった。
「はーい、どちら様ですか?」
彼女は力のかけ具合を間違えて、ドアを思い切り強く開けてしまった。扉の向こう側で何かに激しくぶつかるような音が響き、声にならない悲鳴が聞こえてくる。
「~ッ! さすが悪名高いマリス・トリリス。先制攻撃を仕掛けてくるなんて……油断してたわ」
「あの、大丈夫ですか?」
「ひッ!? あ、えっと、あなたがマリス・トリリス?」
扉の向こうには黒装束を身にまとった小さな少女が立っていた。小さな体とは対照的に背の高い黒のとんがり帽子、漆黒のローブ、そして襟元に輝く太陽と月が交差した紋章。手には一本のワンドを持っていることから、彼女が魔術師であることがうかがえた。
歳はこの家で最年少のアリスよりも年下だろうか。まだ幼さの残る顔つきをした少女は眉間に皺を寄せながらアリスを見上げる。
「あ、えっと、ぶつけちゃってごめんなさい。私はアリス・トリリスです。マリス・トリリスは私の姉ですが……」
「あ、アタシは“三星の魔女”、リースドール・プラネタリア、王宮魔術師よ。三星の魔女といえばあなたも知っているで――」
「ごめんなさい、私、あんまり王都の方には行かないので、王都で有名な魔女さんの名前とか知らないんです……」
「~ッ! これだから田舎モノは困るわ! まったく、王都からここまで来るのにどれだけ時間がかかったと思っているのよ!」
「は、はぁ……」
いきなり初対面のリースドールに怒鳴られて、アリスは少し恐縮する。とはいっても、相手は小さな女の子だ。そこまで怖くはない。
「田舎には客をいつまでも玄関口に立たせてるっていう風習でもあるの!?」
「あ、すみません……。それじゃあ、ひとまず中に入ってお茶でもどうぞ……」
どんどんと足を踏み鳴らしながらリースドールは中に入る。
「あら、可愛いお客さんね」
「ッ!? あなたがマリス・トリリス!?」
「いいえ、私はイリス・トリリス。マリスの姉よ」
「はぁ……。いきなりびっくりさせないでよ……。ったく油断したぁ……」
リースドールは勝手に椅子に座ると、どんとワンドをテーブルに叩きつける。
「紅茶! アールグレイで角砂糖三つとミルク二つ!」
「あ、はい、ただいまお持ちします!」
アリスは台所へと駆け込んでいく。イリスはリースドールの正面に座ると、にこにことした笑顔を浮かべながらリースドールに話し掛ける。
「あなた、お名前は?」
「リースドール・プラネタリア! 史上最年少、齢八歳で王宮魔術師の資格を得て、“三星の魔女”の二つ名を持つ天才魔女といえばアタシのことよ! これ、見える!? 王宮魔術師の証の太陽と月の交差する紋章のバッチ!」
びしりとリースドールはローブの襟を引っ張ってそのバッチを見せつける。だが、イリスは首を傾げて――
「ごめんね、リースちゃん。私達、田舎の出身だから王都で有名な魔女のこととかあまりよく知らないの」
「~ッ! まったくどうしてこうも揃って皆無知なのかしら! 王都ではあんなに有名なのに! それにリースちゃんって何よ! 馴れ馴れしく呼ばないで!」
「リースちゃん、紅茶できましたよ。角砂糖三つとミルク二つでしたね」
「だからなんでここの姉妹は揃って私をちゃん付けで、しかも許可なく愛称で呼ぶのかしらッ!」
アリスはにっこり笑ってティーカップと受け皿、そしてティースプーンを置いた。そして角砂糖を三つ積み上げ、ミルクポーションを二つ添える。
リースドールは角砂糖とミルクポーションを乱暴にカップの中にぶちまけると、かちゃかちゃと音を立ててカップの中をかき混ぜ、カップを口に運ぶ。
「ッ!? 熱過ぎ! 火傷しちゃうじゃない!」
「あ、ごめんなさい……。紅茶は98度以上じゃないと茶葉が開かないので……」
アリスは自分よりも小さな彼女にペコペコと謝る。
「なーんか騒がしいねぇー。誰か来たのぉー?」
すると、マリスがあまりの騒がしさに自室から出てきた。
「あなたは……いえ、ちょっと待ちなさい。“ア”リス、“イ”リス、と来たからあなたは……“ウ”リス・トリリスね!」
「マリス・トリリスだよぉ……。誰、この子?」
その名を聞いてリースドールは顔が青白くなった。
「ええ!? いかにもこのやる気のなさそうな女が!? こんなちんちくりんがあのマリス・トリリス!?」
「そうだけどぉ……人に名を尋ねるときは自分から名乗るのが礼儀ってものじゃなーい?」
「そうね……。幾度となく王宮から依頼を受けたあなたならアタシのことを知っているわよね?」
「……?」
リースドールはどん、と椅子の上に立ち上がるとワンドを腰に差し、声高に名を告げた。
「アタシの名はリースドール・プラネタリア! 王都でも有名な三星の魔女とはこの私のことよ」
「リースドール……リース……ああ、思い出したぁー」
「ふっ……。私の名声も、こんな田舎にまで届くように……」
「コレが史上“最小”王宮魔術師として名高いあのリースドールかぁー」
「史上“最年少”よッ!」
「クソ生意気で、泣き虫で、ちょっとおバカで、そのくせ片意地だけは張ってて、プライドだけは異常に高くて、けれども二つ名を拝命するときにもっとカッコいいのにしてくれって泣いて駄々をこねたって有名なあのリースドールでしょぉー?」
「い、いちいちうるさいわねッ! 何よ! 文句あるの!?」
「く、くくく……。まさか本物を見られる機会があるとはなぁー」
マリスは腹を抱えて笑い転げる。
「で、黒魔術師に自分の本名をうっかり教えちゃったおバカなリースちゃんはこんなド田舎までなんのご要件でぇー?」
「~ッ! 油断したわ! そうだった……こいつ黒魔術師だったぁ~ッ!」
黒魔術師に本名をバラすことは餌食にしてください、と頼みに行っているようなものである。黒魔術の中には相手の名前を媒介に発動する魔術も存在するからだ。
「にゃはは、まあ私は呪いかけるのとかは専門外だからねぇー。その点に関しては安心していいよぉー」
「それよ! それがアタシは気に入らないの! 黒魔術師でありながら、人に呪いをかける依頼をことごとく断るその態度! 魔術師は自らの本分を全うするべきよ!」
「いやぁー、あたし世の中を面白くするのが目的で黒魔術を学んでるからさぁー。ぶっちゃけ、呪いなんかかけても愉快にならないしぃー、それどころか悲しい気分になっちゃうでしょぉー? だからそういう依頼は全部断ってるんだよねぇー」
「そのハチャメチャな魔術を学ぶ態度! 同じ魔女の血を引く者として情けなくなるわ!」
「んー、トリリス家の魔女は皆そんなモンだからねぇー。興味ある分野を学ぶべし、人を傷付ける魔術を学ぶな。この二つが我が家の信条だからねぇー」
「こんなのがいるから……この、“恥辱の血を引いた泥まみれの魔女”が!」
ダン! という似合わない音が小屋の中に響く。彼女の言葉を聞いて、マリスは思い切り壁に拳を叩きつけていた。
「今、なんつった?」
それは普段の彼女からは想像もできないほど冷たい口調。リースドールはそんな彼女の様子を見て、冷や汗を浮かべる。
「え、えっと……“恥辱の血を引いた……泥まみれの……魔女……”?」
だが、強情な彼女も引くわけにはいかなった。なんとか先ほどと同じ言葉を繰り返す。
「……トリリス家への侮辱は私が許さないよ?」
「あちゃー……。地雷踏んじゃったわね……」
イリスはやれやれ、というような表情を浮かべる。
アリスもそんな静かに怒る姉の様子に恐れをなしたのか、恐怖を表情に浮かべて一歩下がる。
「ふ、ふん! そんな腑抜けた家訓を掲げているのが悪いのよ!」
リースドールは強気に言い放った。それを聞いて、マリスは舌を打つ。
「子供だからって容赦しないよ?」
「の、望むところじゃない!」
リースドールは腰からワンドを引き抜いてマリスに突き付ける。
「三星の魔女の力、見せてあげようじゃない!」
「……ここで暴れるわけにはいかないね。場所を変えるよ」
何の変哲もない、平和なはずだった祝日は珍妙な来客者のおかげでぶち壊しになってしまった。
そんなこんなで、まだまだこのお話はしばらく続くことになる。
マリス達は山の開けた広場へと向かう。
リースドールはマリスに向けて宣戦布告を宣言した。
対するマリスもスタッフを構える。
――二人の戦いが始まった。
次話、11 マリスと決闘