明るい未来へ
――よ、良かったら、ぼ、僕と結婚してくださいっ。
――俺と結婚しようよ。
サナエはその日から何日経とうとも、毎日のように二人の男から贈られた言葉を頭の中で反芻し続けていた。
プロポーズされた。それも二人の男性から、ほとんど同じタイミングで。
優越感はあった。だが結婚するにはいい時期だ、なんて余裕ぶるつもりもない。そもそもその二人と出会ったのはマッチングアプリ。他にも何人かと会い、候補者を絞り、これを逃すと次にいつ、気の合う男と出会えるかもわからない。
一方は少し暗い性格だが優しい。もう一方の男は明るく朗らか。
共に正社員で歳も年収も同じくらい。無論、今後はどうなるかはわからないが、それはどちらもそうだ。暗かろうが明るかろうが上手くいかない時はいかない。
そして優しさはどちらもそれなりに持っており、それを結婚後も見せてくれるかはわからない。
浮気する可能性はどちらにでもある。外見や、ちょっと会っただけではやはりその辺は判断できないのだ。そう、未来のことは。
だからサナエは占い師にどちらの男性と結婚すべきか占ってもらうことにした。
元々、占い好きの気があるサナエ。当たると評判な占い師なこともあり、出た結果に従うつもりでいた。本人は自覚していなかったが悩み疲れ、誰かに判断を委ねたいと思っていたのである。
「あなたと男性が二人……いつまでも仲睦まじい……そんな姿が見えます……」
「どんな人ですか……? しあ、幸せになれますか……?」
「明るい……明るい男性です……強く結びついてます……ええ、幸せになれます……」
そう言われ、『いや結婚すれば暗い性格の男も明るくなるのでは?』とはサナエは思わなかった。
占いの結果を受け何の疑問も抱かず、そのまま明るい性格の男と結婚。が、浮気されることも暴力を振るわれることもなく、幸せな結婚生活を送った。尤も世の夫婦の大半はそうであろう。不思議なことではない。
特に問題はなかった。ある時までは。そう、サナエが妊娠するまでは。
「胎児発育不全……ですか?」
「ええ、残念ですが……」
「え、で、でも、私、お酒とかそんな、色々、全部気を使って、夫にも」
「様々な要因が絡むことで起きると考えられてますので……どうか、ご自分を責めな――」
「無事、う、産まれますよね? ね? 産めますよね? ね?」
――最悪の場合も覚悟ですって。
サナエはたった今、自分自身が口にした言葉によって息が詰まるような気分がした。
それは、それを告げた夫の暗い顔、リビングの空気が重いせいもあっただろう。夫は「そうか……」とだけ言い、逃げるように寝室へ行き、一人残されたサナエはテーブルに突っ伏し、溜息を吐いた。
目を閉じ「暗い、暗い」と呟き「だめだ、だめ」とまた呟き、呪文のように「明るい結婚生活」「明るい男性と幸せに」と繰り返す。明るくなければだめ。そうじゃなきゃ幸せになれない。明るい、明るい……明るい……男性……。
「ママー!」
「はーい、アキちゃん! お待たせ―! うふふふっ! あ、ほら、先生にお礼とさよならを言いなさい」
「はーい、せんせー、きょうも、ありがとうございました! ばいばーい!」
「はーい、さよならー! また明日ね! ふふふ、アキヒトくん、いっつも明るくて元気貰ってるんですよぉ」
「うふふふ、それは良かったです」
保育園を後にしたサナエと息子のアキヒト。手を繋ぎ、スキップ気味に歩く姿はとても仲睦まじく、明るい親子。
サナエには不安も何もなかった。自身が働いている上に事故で死んだ夫の生命保険がある。そして何より、占いの結果がある。
いつまでも、仲睦まじく、明るい男性と二人で幸せに。
……そう、親子二人でいつまでも。
心を決め、事に及んだあの後、医者も驚くようなスピードでこの子は成長し無事、産まれた。
でも、普通のようにとは行かず、少し頭が弱い傾向が見られた。でも、それでいい。たとえ、なにか問題が起きても自分が守る。普通のように、そう、結婚などできなくても、いや、しなくていい。息子第一、そして母親第一。そう育てればいい。難しいことではない……。
「……母さん、母さん、あ、起こさなくて良かったか」
「ん、んん、ああ、どうしたのアキちゃん。今ね、お母さん、アキちゃんが保育園の時の夢をね……」
リビングのテーブルに突っ伏し、眠っていたサナエは息子の声で目を覚まし、瞼を擦った。
覆い被さるような影。後ろにいる。いつものように肩でも揉んでくれるのかとサナエは上半身を起こし、目をしょぼしょぼさせながら息子の影を愛おしそうに見つめた。が……。
「まあ、いいや、えっとね。おれさ、今度結婚しようと思ってさ」
「アキちゃん、ずっと明るくて、え? 結婚? え、でも」
「その人、占い師でね。おれのこと、すごくわかってくれるんだよぉ」
「え、え、その人って、まさか、ううん、さすがに別の人よね……でも、え、あ、あ、あ」
「すごく綺麗な人でさ、でも借金があるんだって。だからさ、うちのお金と、あと母さんの生命保険でさ、ふふふふ」
『アキちゃんは、その女に騙されてるのよ』
そう口にせず、またサナエは自分の首を絞める延長コードにも息子の手にも手を伸ばそうとはしなかった。それは、聞き入れてもらえないことを恐れていたこともあったが、夫を殺そうと思った時と同じ確信があった。
これまで一度だって喧嘩をしたことはなかった。ここまで仲睦まじく二人で過ごしてきた。それを破ってしまいたくなかった。そうすれば、いつまでもそうしていられる。絶対に。死後も。この子もきっと、すぐに来るはず、と。
目の前が、頭の中が徐々に白く、明るくなって……。