2 手狭な理由
「そ・・・そうなんですよ。坪数としてはあるはずなのに、住んでみると狭いんです。他所と比べて、そんなにモノが多いとも思えないんですけどねえ・・・。」
今沙良さんは輝子先生にいきなり図星を突かれたようで、驚いた目で輝子先生を見てそう言った。その目がやっぱり、子どもみたいですごくきれいだ。
ある種、魅力的な人だなぁ。奥さんはどんな方なんだろう。
「図面見ただけで、分かるんですね。」
今沙良さんはしきりに感心する。
「だって、ほら・・・。」
と輝子先生は図面に指先を走らせながら説明を始めた。
「各部屋が全部2間(3.6m)角、つまり8畳の大きさが最大で、そこで仕切られちゃってるんですもの。これだと、どこに居ても8畳の広さしか感じられないんですのよ。」
そう言われてみて、わたしも「あっ」と気がついた。
キッチンのカウンターなどは斜めにして、ちょっとおしゃれに演出してあるけど、基本は昔の田の字プランで引き戸を開けないと空間がつながらない間取りだ。
「廊下も長いですね。これってたいていの場合、通るだけの無駄な空間なんですよ。その分、坪数の中から広さが減るとも言えるんですのよ。」
しかも、よく見ると北側が浴室などの水回りで南側が部屋だから、真ん中の廊下は光が入らなくて昼間でも明かりを点けてなくちゃいけないんじゃ?
「ああ、確かに。この廊下も暗いんですよねぇ。図面の時には気が付かなかった・・・。」
その建築業者は今沙良さんの家ができて2年目に倒産してしまったので、改善してもらおうにもできないのだそうだ。
「自分が選んだ業者で、自分の出した要望だから——と、自分を納得させようとしてきたんですが、やっぱり我慢できなくなってしまって・・・。」
今沙良さんは、テーブルの上に視線を落とす。
「まだローンも残ってますし、そんなに予算は取れないんですけど・・・。それでも、このままずっと住むよりは・・・。」
「おそらく最初の設計は、この引き戸を開け放ってリビングとダイニングを1つにして使うという想定だったんじゃないでしょうか。」
「そ・・・そうなんです。実は最初はそのつもりで、でも冬に寒いんじゃないかと思って引き戸をつけてもらったんです。——で、今はここをピアノ教室として使ってるんで、基本的に開けないんです。妻が音大出なものですから・・・。」
「それじゃあ、ダイニングが居間と兼用になっちゃってるんですか?」
「そ・・・そうなんです。だからよけい狭くって・・・。使い方が良くないですよねぇ。」
今沙良さんはちょっと恥ずかしそうに頭をかいた。
ピアノ教室に使っているリビングを挟んで反対の西側に8畳の和室がある。
お客様用だとしても、お茶を出すのさえピアノ教室を横切るか、いったん廊下に出て行かなければならない。
輝子先生もそれを不思議に思ったようだった。
「この和室はどう使ってらっしゃるんです?」
そう訊かれて、今沙良さんはちょっとため息をつくような表情を見せた。
「他県にいる両親が泊まりに来た時用です。まあ、めったに使わないんですが・・・。たしかに死んだ空間ですよね。どっちかというと父の要望なんですが・・・。」
輝子先生はちょっと微笑んでから、配置図を見て別のことを訊いた。
「南側の庭がずいぶん広いんですね。」
たしかに。大きな敷地の割には、北側にくちゃっと寄って建っている感じだ。
そりゃ、たしかに南を空ければ陽当たりはいいけど・・・。何もここまでアンバランスに空けなくても——という感じ。
「そうなんですよ。元々祖父の農地だったんで、やたら広いんです。業者が言うには、南を空けた方が日当たりがいいし、あんまり奥に作ると道から玄関が遠くなるって・・・。」
「あらぁ、ある程度のアプローチの長さがあるって、いいものですのよぉ。それに北側の庭も、眺めとしては逆光にならなくて。」
「そこまでは考えていませんでした。失敗したなぁ。南側半分で家庭菜園をやればいいじゃないですか、っていう営業マンの言葉についその気になったんですが・・・。実際には2人とも働いてるものですから、そんな時間なくって・・・。
今となっては使い道もなく、草刈りだけでも大変な状況で・・・。なんか・・・無駄なところがいっぱいありますね。」
今沙良さんはそう言って、ちょっと自重気味の笑いを漏らした。
「とりあえずどんなことが出来そうか、一度お宅を拝見させてくださいな。リフォームでしたら、今の状態を見ないことには・・・。ご家族のご要望もうかがいたいですし。」
輝子先生はそんなふうに言って、伺う予定を決め、その日は今沙良さんは帰っていった。
今沙良さんが帰った後、コピーを取らせてもらった図面を見ながら輝子先生はわたしに説明してくれた。
「人間ってねぇえ、輪兎ちゃん。実際の床面積より、いろんな場所にいる時に視線が抜ける距離で『広さ』を感じるものなのよ。」
そう言って輝子先生は、図面のいろんな場所に指を置いて見せる。
「この家、どこに立っても視線の抜ける距離は2間(3.6m)で止まっちゃうのよねえ。唯一視線が抜ける場所が、この玄関と階段の吹き抜けだけど・・・。」
先生が1階と2階の平面図を並べて見せてくれた。
たしかに。平面図ではそれほど広くはないが玄関は吹き抜けになっていて、ちょっと演出するように階段が2階の廊下につながっている。
階段室と合わせると玄関の広さは8畳くらいあるから、こちらは広すぎるかもしれない。
「バランス悪いですね。」
「そうねぇ。だいたい玄関の吹き抜けって、あんまり意味ないのよねぇ。階段通る時と、帰ってきた時と、来客くらいしか眺めないから。生活の中で広さをゆっくり感じる時間はない場所なのよ。」
「動線も混乱してますよね。寝室とお風呂、子供室と居間やダイニングキッチンを行き来するにも、いちいち玄関を通らないと行けないですよね。プライベート動線とパブリック動線が混線してます。」
わたしは内心ちょっと得意な気分で話し、・・・で、話しちゃってから「しまった、かな?」と思った。ひょっとしたらドヤ顔になってたかも。そもそも輝子先生のところで勉強したばかりの知識なのに——。
・・・恥ず・・・。
先生はそんなわたしを、にこにこと眺めながら
「そうねぇ。そこの整理も必要だわねぇ。」と言った。
しかし・・・。
今沙良さんからうかがった予算では、あまり大幅な間取りの改変は難しそうだ。できることは限られるんじゃないだろうか。まして、階段をいじるなんて大掛かりな工事は・・・。
わたしが先生にそのことを言ってみると、輝子先生はあまり困った顔もせず、さらっと言ったのだった。
「そうねぇ。でもそんなに難しくなさそうよぉ。水回りをいじる必要はなさそうだもの。」
先生にはすでに腹案があるらしい。
わたしは輝子先生のスケッチができるのを楽しみに待つことにした。
ただ、この時、わたしたちは(輝子先生でさえ)そんなに大急ぎで図面を描かなければならない問題が隠れているとは思ってもいなかったのだった。