回折:波蝕・2
上質でモダンな部屋は、輝きに白飛びするようであった。しかし、スレンダーな長身の美女のほうが、ここにあるもの全てに勝っていて、目を奪われないはずはない。個性的なシルエットの服を着た女は、おれを見ると、少しだけではあるが、驚きの表情をちらつかせた。
「あなた、石倉という人?」
品定めをする人の物言いだ。窓から見える中庭の、白い砂に跳ね返った真昼の太陽がまぶしすぎる。おれはいささか伏し目がちになって答える。
「ええ、そうです」
突如として不躾に現れ、名乗りもしない者に、立ち上がってまで応える必要もない。相手は何も言わず、おれのさし向いに座った。
そして、テーブルの端にある空のカップへ紅茶を注ぎ入れた。そのポットは、おれのために既に用意されてあったもので、中身も随分とぬるくなっているはずだった。
「突然に、二人で会いなさい、というのもね。こんなに雑なお見合いもないことよ」
女はなんの断りもないままカップに口をつけ、ぬるい、などと言った。
「ぬるいはずですよ。早く来て、待っている間に冷めてしまったものですから。ときに、あなたは、五百旗頭眞波さんですか?」
正面に構えて、当たり前のごとく寛いだ女は、そうよ、と軽く返した。
失礼します、という声の後、紅茶のセットを持って入ってきたウェイトレスを、眞波は不思議そうに見た。
出ていくのを待って、つぶやく。
「この、温かいぶんが、あなたのためのものだったのですよ」
「そう……じゃあ、新しいポットをシェアすればいいじゃない」
「生憎わたしは猫舌なので、相当に、冷めてからでないと」
眞波の服は、およそ、見合いの席に良家の子女がまとうものではなかった。モードの感覚が強い。
「わざと遅れてきて、失礼な印象を与えるのは、乗り気ではなくて、わたしから断らせようという考えのためですか」
差し向かいの眞波は、大きな目を見開き、そしてすぐに笑いだした。
「おかしいでしょうね。ただ、わたしにこそ決定権はないのです。だからそういったお振舞は、あなたの価値を下げるだけです。およしになったほうがいいですよ」
アフタヌーンティーの格好をとった軽食類。華奢な金属のスタンドが運ばれてきた。メニューはもうホテル側が決めていて、おれには選ぶ余地もないのだ。どれも素晴らしいもので、外れなどあろうはずもない。あとはただ好みの問題である。優れているとか、劣っているとか比べる意味もないのだ。
おれは自分の分をとって食べ始める。味は決して悪くない。サンドイッチひとつにしても、なかなかの出来である。
ぼんやりとしている眞波に気づいた。
「あなたの分も含まれています。どうぞご自由に」
眞波が、腑に落ちない、といった顔をしている理由よりも、おれは、次のものの味を知りたいと思った。
「何もないわけ?」
サンドイッチの最後の一片を飲み込んだあと、向かいを見た。皿は空のままだ。
「このスタンドには気に入ったものがありませんか? 追加で何かオーダーしたければどうぞ」
「いや、そうじゃなくて」
ぬるい紅茶はちょうどいい。ゆっくりと味わう軽食は、おれをくつろがせる。
「目の前にわたしがいて、それだけなの」
「ああ、初めて会う人に、給仕をお願いしようだとか、そういう気持ちなんてありません。あなたも、せっかくだから、ここのものを楽しんだらどうでしょう」
「そうじゃないったら……」
ため息が聞こえた。しかしすぐにその後、眞波は自分でサンドイッチを取った。
「わたしを見て、何とも思わないっていうの?」
カトラリーを持つ手が止まる。どうせ誰も給仕には来ないとわかっていて、それでも、中休みのかたちに置く。
上目遣いで、おれは、なかなかに上背のある眞波を見た。
「確かに、滅多にいないような美人ですね。誰でも、会えば、ほめるでしょう」
そしてすぐに目を閉じた。
「ただね、美人に生まれついたからといって、それが必ずいいほうにはたらくとは、限りません」
瞼の裏のシルエット……作り出した暗闇のなかで、女はゆがみ、ある一つの面影へと変形していく。頼子なのか、それとも……。
「美人であったり、金持ちであったり、頭が良かったり……ひとより恵まれていると、そのぶん、かえって不仕合せになるものです」
「生憎、わたしはそういうことはないけれど」
「だったら、それはそれでいいのです」
ぬるい紅茶の残るカップに熱いポットの中身を注ぎ足す。しばらく放っておけば冷めていくだろう。まずは器に入れることだ。そうしなければ、いつまでも喉を潤すのにちょうどよくなってくれはしない。
「大概の男は、わたしと向かいあったら、懸命に自分の魅力をアピールしてくるものだけど」
どこか奇妙ともいえるデザインを着こなす眞波。並大抵のセンスでは到底無理な代物だ。
「森社長の手前もあって、遅れてでもここにいらした。そうでしょう? わたしのことは、事前に、いろいろとご存じのはずです」
カップで表情を隠しながら、続けた。
「おまけに、他人の自慢話なんて、聞いていて楽しいわけはありません。くだらない!」
あきれ顔のあと笑いだす眞波。おれもおかしくなってきた。遅れて笑う。
「ずいぶんな自信家なのね」
「そんなわけはないでしょう。あなたに断ってもらうのに必死なのですから」
カップを置いて向き直る。
「あなたには、気乗りのしない理由がおありなのでしょう。それについては尋ねません。ご自分の意志を通すことのできるお立場なら、思うようになさったほうがいいでしょう」
「変なこという人ね。でもたぶん、悪い人じゃないのね、きっと」
採光の良い窓から外を探す。白い。白すぎる風景に、物影がかすむ。ぼんやりした輪郭が、細部を掴むのを許さない。
「あなたには今が無駄な時間かもしれません。友だちもいないわたしには、少し嬉しいひとときですけれど。このときが終われば、お会いすることもないでしょう……」
都会の喧騒はこの部屋の外、間違いなく、あるはずだった。異常気象がもたらした、時ならぬ暑さが、広い道のさきで熱気を揺らめかせていることだろう。
そうしたなか、汗ひとつかかぬよう、完全にコントロールされた一室で二人ばかりが切り離されてあった。
血を薄めきったような色合いの、出しすぎた紅茶……それを冷まして飲む男が、カップの中から寂しげに覗いていた。




