表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/105

回折:波蝕・2

 上質でモダンな部屋は、輝きに白飛びするようであった。しかし、スレンダーな長身の美女のほうが、ここにあるもの全てに勝っていて、目を奪われないはずはない。個性的なシルエットの服を着た女は、おれを見ると、少しだけではあるが、驚きの表情をちらつかせた。


「あなた、石倉という人?」


 品定めをする人の物言いだ。窓から見える中庭の、白い砂に跳ね返った真昼の太陽がまぶしすぎる。おれはいささか伏し目がちになって答える。


「ええ、そうです」


 突如として不躾に現れ、名乗りもしない者に、立ち上がってまで応える必要もない。相手は何も言わず、おれのさし向いに座った。


 そして、テーブルの端にある空のカップへ紅茶を注ぎ入れた。そのポットは、おれのために既に用意されてあったもので、中身も随分とぬるくなっているはずだった。


「突然に、二人で会いなさい、というのもね。こんなに雑なお見合いもないことよ」


 女はなんの断りもないままカップに口をつけ、ぬるい、などと言った。


「ぬるいはずですよ。早く来て、待っている間に冷めてしまったものですから。ときに、あなたは、五百旗頭いおきべ眞波(まなみ)さんですか?」


 正面に構えて、当たり前のごとく寛いだ女は、そうよ、と軽く返した。


 失礼します、という声の後、紅茶のセットを持って入ってきたウェイトレスを、眞波は不思議そうに見た。


 出ていくのを待って、つぶやく。


「この、温かいぶんが、あなたのためのものだったのですよ」


「そう……じゃあ、新しいポットをシェアすればいいじゃない」


「生憎わたしは猫舌なので、相当に、冷めてからでないと」


 眞波の服は、およそ、見合いの席に良家の子女がまとうものではなかった。モードの感覚が強い。


「わざと遅れてきて、失礼な印象を与えるのは、乗り気ではなくて、わたしから断らせようという考えのためですか」


 差し向かいの眞波は、大きな目を見開き、そしてすぐに笑いだした。


「おかしいでしょうね。ただ、わたしにこそ決定権はないのです。だからそういったお振舞は、あなたの価値を下げるだけです。およしになったほうがいいですよ」


 アフタヌーンティーの格好をとった軽食類。華奢な金属のスタンドが運ばれてきた。メニューはもうホテル側が決めていて、おれには選ぶ余地もないのだ。どれも素晴らしいもので、外れなどあろうはずもない。あとはただ好みの問題である。優れているとか、劣っているとか比べる意味もないのだ。


 おれは自分の分をとって食べ始める。味は決して悪くない。サンドイッチひとつにしても、なかなかの出来である。


 ぼんやりとしている眞波に気づいた。


「あなたの分も含まれています。どうぞご自由に」


 眞波が、腑に落ちない、といった顔をしている理由よりも、おれは、次のものの味を知りたいと思った。


「何もないわけ?」


 サンドイッチの最後の一片を飲み込んだあと、向かいを見た。皿は空のままだ。


「このスタンドには気に入ったものがありませんか? 追加で何かオーダーしたければどうぞ」


「いや、そうじゃなくて」


 ぬるい紅茶はちょうどいい。ゆっくりと味わう軽食は、おれをくつろがせる。


「目の前にわたしがいて、それだけなの」


「ああ、初めて会う人に、給仕をお願いしようだとか、そういう気持ちなんてありません。あなたも、せっかくだから、ここのものを楽しんだらどうでしょう」


「そうじゃないったら……」


 ため息が聞こえた。しかしすぐにその後、眞波は自分でサンドイッチを取った。


「わたしを見て、何とも思わないっていうの?」


 カトラリーを持つ手が止まる。どうせ誰も給仕には来ないとわかっていて、それでも、中休みのかたちに置く。


 上目遣いで、おれは、なかなかに上背のある眞波を見た。


「確かに、滅多にいないような美人ですね。誰でも、会えば、ほめるでしょう」


 そしてすぐに目を閉じた。


「ただね、美人に生まれついたからといって、それが必ずいいほうにはたらくとは、限りません」


 瞼の裏のシルエット……作り出した暗闇のなかで、女はゆがみ、ある一つの面影へと変形していく。頼子なのか、それとも……。


「美人であったり、金持ちであったり、頭が良かったり……ひとより恵まれていると、そのぶん、かえって不仕合せになるものです」


「生憎、わたしはそういうことはないけれど」


「だったら、それはそれでいいのです」


 ぬるい紅茶の残るカップに熱いポットの中身を注ぎ足す。しばらく放っておけば冷めていくだろう。まずは器に入れることだ。そうしなければ、いつまでも喉を潤すのにちょうどよくなってくれはしない。


「大概の男は、わたしと向かいあったら、懸命に自分の魅力をアピールしてくるものだけど」


 どこか奇妙ともいえるデザインを着こなす眞波。並大抵のセンスでは到底無理な代物だ。


「森社長の手前もあって、遅れてでもここにいらした。そうでしょう? わたしのことは、事前に、いろいろとご存じのはずです」


 カップで表情を隠しながら、続けた。


「おまけに、他人の自慢話なんて、聞いていて楽しいわけはありません。くだらない!」


 あきれ顔のあと笑いだす眞波。おれもおかしくなってきた。遅れて笑う。


「ずいぶんな自信家なのね」


「そんなわけはないでしょう。あなたに断ってもらうのに必死なのですから」


 カップを置いて向き直る。


「あなたには、気乗りのしない理由がおありなのでしょう。それについては尋ねません。ご自分の意志を通すことのできるお立場なら、思うようになさったほうがいいでしょう」


「変なこという人ね。でもたぶん、悪い人じゃないのね、きっと」


 採光の良い窓から外を探す。白い。白すぎる風景に、物影がかすむ。ぼんやりした輪郭が、細部を掴むのを許さない。


「あなたには今が無駄な時間かもしれません。友だちもいないわたしには、少し嬉しいひとときですけれど。このときが終われば、お会いすることもないでしょう……」


 都会の喧騒はこの部屋の外、間違いなく、あるはずだった。異常気象がもたらした、時ならぬ暑さが、広い道のさきで熱気を揺らめかせていることだろう。


 そうしたなか、汗ひとつかかぬよう、完全にコントロールされた一室で二人ばかりが切り離されてあった。


 血を薄めきったような色合いの、出しすぎた紅茶……それを冷まして飲む男が、カップの中から寂しげに覗いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ