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回折:春のオベリスク・3

 夜になると、人は三々五々、集まってきた。


 加瀬は決して孤独ではなかった。いつだって、かれは輪のなかにいたし、そこにいるだけで、一つの集団を自然と作り出していく男だった。


 そうしたなか、やってきた者は勇ましげに口を開いた。


「おれは言ってやったさ。イオ学園とやらの使いの男に。綺麗事を並べて、札束で人の横面を叩くような奴が、一番嫌いなんだ、とな」


 よく言った、と口々に応えている。


 翻って、加瀬の沈黙。テーブルの上にある黄金色は、盛んに泡を立てているが、このまま自然にぬるんでいけば、勢いはなくなってしまう。


「ただ、金のちからに負けて、少しずつ売っている流れもあるのも事実だな」


 加瀬の言葉に、静まり返る。


「その原因がある。金が要るようになる理由が。他人に知られてはまずいような不都合が起きるからだ」


 遠巻きに様子を眺める。おれの目は、後景に退いたピアノと弦楽器の気配を観る。加瀬が担当するのは、もしかすると、歌手の立場かもしれない。


「実は、もうすぐ、海岸沿いの一つの区画が、そっくりそのまま向こうの手に渡る」


 広げた地図に塗られた複数の色。しかし、それなりにまとまった部分だけにとどまっている。


「歯抜けだった区画が、埋まりきった。意図的でなければ、どうしてこうなる。賛同した? だったら、なぜ早いうちに手放さない?」


 よく通る声。視線は集まって、スポットライト。


「次は両隣だ。じわじわと広げてくる。少し離れたところに仕掛けて、地図を埋めて、最後にほくそ笑む。無理に弱みを作り出し、助けるふりをして、土地を巻き上げる。そして作為はなかった、誰もがおのずと賛同し、ここへ至ったと言い張る。そうした計画に違いない。この中に、次のターゲットになりそうな土地を持っているものはあるか?」


 完全な休符。一人がおずおずと手を挙げ、周りは、無言のまま視線だけを動かす。


「間違いなく罠を仕掛ける。自分が用心していても、身内に。どうかしたら、きみの奥さんの実家まで対象にしてくるかもしれない」


「どうすればいいんですか」


「脅される可能性があるようなことをするなとしか……。いまおれがした話を、そっくりそのまま一族の皆にして、隙を作らないようにするしかない」


 めいめい、グラスを傾けたり、料理をつまんだりしている。


「それでも、騙すに手なしという言葉もある通りだ。困ったことになったとき、決してすぐには返事をせず、考えたいと言って時間を作り、おれに教えて欲しい」


「そもそもの話、教育施設を作るとなれば、特段、反対する理由はないのでは?」


 隅にいた、目立たない男がぽつりとこぼした。静かななかでのこと、独り言では済まされない。


「おれは、五百旗頭いおきべという人間を知っている。金の力で物事をごり押しするが、成し遂げるということができないやつだ。他人が認めなければ、さっさと諦めてしまうはずで、中途半端なまま全てを投げ出すとわかっている。そしてもう一つ。使いの男を見て、信頼できそうだと思うか?」


「あの品のない男か! おれは無理だなあ」


 別の男のひとことに、皆笑いだした。


「とにかく、すぐにおれに言ってくれ。必ず仕掛けてくる。秘密は守る。このまま、おれたちの海を、勝手気ままにされてたまるか!」


 加瀬の言葉が終わるか終わらぬかのうちに、わっと声が上がった。


 そこに影はない。あまりのまぶしさに、全員が溶け込んで、何の区別もない。


 おれはその様子を、隣の部屋で黙って見ている。そして時計を確かめ、子供がいるべきではないといったふうに装うと、自室へ向かった。


 二階まで男たちのざわめきは響いていて、田舎町特有の空気を、少しだけ、うるさいと思うのだった。


 向かいの部屋では、既にるみが寝ているはずだ。その眠りの妨げにならなければ良いが、と、こうしたことを考えるといった自体、面倒なお節介だ。


 タイムテーブルは人それぞれ。おれの部屋の時計。秒針は黙りこくったものに限る。デジタルの点滅すらも気に障る。


 一人きり、布団のなかにいても、不吉な予感が駆け巡る。


 おれがいつか海に出るようになったとしたら、こういった人間関係を保つために、ただならぬ努力を要するのかもしれない。それにはきっと耐えられないだろう。


 一面の青のただなか、孤独を喜びとともに噛み締めることは、本当にわずかな間しか許されていない。


 来る日も来る日も、誰かが訪ねてくる。当たり前のように。そこに個人としての人生はない。


 階下ではまだ騒ぎ続けている。このままいけば、加瀬には再び、政界へ返り咲く(みち)を用意されるだろう。そしてそれだけの度量が、かれには充分にあった。


 空に輝く星。真昼の情景を思い浮かべる。


 ひときわ大きく、近い星が、なにもかもを覆い隠してしまう。


 おれは目を閉じた。そして、まぶたの裏の夜空を道標に、夢の世界へ向かうのだった。

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