回折:春のオベリスク・2
加瀬の、素晴らしい提案。
おれには、いかなる選択も許されるはずだが、言葉の裏に期待が潜んでいる。
夢と野心は、いつまでも加瀬を輝かせる。これからもずっと、いのちある限り、明日を信じる人の顔だ。そして、誰でもそうだと思っている目だ。
運命は、そうしたかれを日陰に置いておかなかった。
石倉は滅びた。かれの過去を知りつつ、おさえつけることのできる者は一人もいない。
ここにいたって、かれは、正統性のある、次なる始祖としての立場を手に入れたのだ。もはや振り返る必要もない。
石倉の人間は、おのれの頭上にこそ、太陽が輝くことを願った。
しかし、石倉家もないいま、かれは太陽そのものになった。恵みを享けるのではない。与える立場になったのだ。
そこに影はない。あたりすべてをのみこんで、白く飛ばしてしまう、露出過多の太陽だ。
そのまぶしさが、おれの大切な、ものかげを失わせていく。おれが最も嫌ったはずの、石倉の血の表情を見せている。
ようやく手に入れた、うしろむきの安息が、まったくの善意に脅かされている。
森行夫は、会えば、おれを都会へ連れて行こうとするだろう。ぬるんだ水の中にうごめく有象無象のいのちでは、到底通用しない舞台へと……。財力と、底なしのやさしさで、引っ張り上げようとするだろう。
おれはもう勉強もしたくなかったし、半ばついていけなくなりつつある。この状況に落ち着いてしまうつもりでさえいる。
石倉家がああしたことになった時点で、人生など終わってしまった。あとは、長い長い余生を、海のそばで過ごしていくだけだ。
海と太陽。この間で、デジタルに刻まれる時はいらない。春の海に立つ、古い支柱になり、自分の影が水面に落ちるのを見る。そのくらいでいい。
数字を忘れ、昼と夜の繰り返しに季節のアクセント。
ところが、加瀬の手元には、予定がぎっしりと詰まった暦がある。すべて、かれなくしては立ち行かぬ事柄ばかりだ。
春の道端にふと漂う、正体不明の、酸っぱさのある匂い。蜜柑の花よりも早く、時として不快にも感じられるそれが、ふと、庭先から入りこんできた。出遅れた季節が、急かされたように。
庭の隅で、プランターは空になって伏せられている。ひどく暑すぎる日が続き、直射日光の力と相まって、根腐れしてしまった。中身は捨てられた。つまるところ、あれらは使い物にならぬのだ。ただ、もうそこで働かなくともいい。土を抱え、根を守る務めから解放されたともいえる。
だが、加瀬はいずれ、あのプランターを役立てようとするだろう。どのように傷んでも、やさしく手入れをして、新しい命の実りの器にしてやるだろう……。
そのとき初めて、おれは、加瀬と一緒にいるのがつらいと思った。
そして、猛がなぜかれを疎んじたか、今になってわかるような気がするのだった。
西のかなたには、姿を消した太陽と、空に残された赤い帯。
おれの好きな、あきらめの色だ。誰もわけのわからない期待をすることをやめて、沈むのを黙って見ている。
暮れなずむ山かげに闇色のカンヴァスを探し、大禍時の落とす光線で、不祥の絵が描かれゆくさまをながめる。
いまだ訪れぬ夜。天上にさんざめく星より身近に、白く浮かび上がるあの花はなんだろう。そう高くないあたり、なんの木の影かはわからない。
風の止んだ春の宵の入口。竹やぶは眠ったように動かず、波に似た歌も聞こえなくなった。




