閉鎖性水域・1
ドアの先で時が止まった。
居並ぶ人々は一斉にこちらを向いて、眼の白と黒のコントラストが、おれの心のうちに鯨幕。
何を忌むのか、瞳の奥底に宿る精神の動きは様々。
男の眼差しには、羨望と嫉妬が渦巻き、あるいは劣情にちかい光を持ち合わせているものもあった。女はどこかにため息を隠し、見惚れ、あるいは苦々しく顔をそむけた。おれはそれを全身に浴びて、目的を持ったもののふりをして歩く。
一瞬の静けさのあと、元通りになった招待客たちのざわめき。
ステージの上の垂れ幕。飾りの花。金屏風の代わりに、美しいドレープが照明をうけて、やわらかに輝いていた。
その袖から放たれた鋭い光。
驚きを隠しぬく年の功は、白髪の量にあらわれて、渋い美しさ。五百旗頭欣二はゆらりと視線を端へ流す。傍には眞波が目を見開き、意外そうな表情の東知之。さなえと翔太郎も似たようなもの。
かれらとは遠い、末席近くに構える。すぐそばの見知らぬ熟年夫婦の妻のほうに、とびきりの笑顔で、おれの居場所をみとめさせる。
まもなく、照明が落とされ、壇上へ自然に目が行くように仕向けられた。
司会が、始まりを告げる。
「イオ学園理事長、五百旗頭長一郎より、ご挨拶がございます」
スポットライトを浴びたがる、古めかしい身なりの男が人々の視線の集まるあたりへ歩いていった。
昔から変わらぬ、珍妙と紙一重のセンスで着こなすタキシード。どこかくたびれているのが、英国の上位貴族の粋だときいて以来、ずっとこの調子なのだ。
神妙な様子でマイクを持ち、一礼して、顔を上げたときには、おそろしく明朗な表情を皆に向けていた。
まるで、十年も二十年もつきあいがあり、着古したパジャマで一緒に過ごしても、互いに何とも思わないと言い切れる、そうした間柄の者に見せるような笑顔だ。
居並ぶ人はそれを信じてしまう。
富豪なのに、よれた服を着て、友人の様子で現れる。慈善活動にしか興味のなさそうな、そうした男が嘘などつくはずはない、と。
ここにいるのは皆、それなりに世の中に揉まれ、酸いも甘いも噛み分けた人種ばかりだというのに……。
海外、それも貧しい国ぐにを中心に活動を行う、イオ学園の資金調達と実績発表のパーティー。
なんの後ろめたさが、人をこうした行為に駆り立てるのだろう。
間近の夫婦は、いついかなる場でも、愛に満ちた人物であるかのように振舞う癖がついていて、わざとらしい。
金が欲しくてたまらない、といった風情の男は、何らかの利を、イオ学園の活動から得ているのだろう。ここぞとばかりに、合いの手のようなタイミングで拍手をする。
誰もかれもが、いつかの、山中や橋田に見えてくる。
かくいうおれも、その群れにいて、かれらと大差なく過ごしているのだ。
不意にみつけてしまった、パーティーへの嫌悪感の理由……。
落とされた照明、暗く沈んでいくのはおれひとり。
まばゆい壇上、よどみなく流れる、ユーモアたっぷりの長一郎のトーク。見事な話術で人の心をつかんで離さない。おれだって、つい、つられて笑ってしまうような素晴らしさだ。
長一郎は、一瞬、おれの姿をみとめたのか、表情が少しかげった。しかし、すぐに自分のペースを持ち直し、短く優れた挨拶を締めくくった。
続いて来賓のスピーチなどがあった。長一郎の後ではやりづらいのか、どれもあっさりと終わらせることで、各々の面子を保ったのだった。
次は、こちらへ留学している生徒たちのダンス披露。長一郎はなんとそれに混じり、見事な動きをみせた。かれには様々な才能がある。知ってはいたが、こうして目の当たりにすると、予想をはるかに上回っていた。
もしおれがいくらか稽古をしたとしても、あのように動けるとは思わない。皆も楽しげにステージに見入っていた。
時折、上座にいる眞波のほうを眺めるも、目が合うことはない。
賑やかな音楽。
踊る人々の、いくつもの手と足。
手首、足首の飾りの色合いが溶けて混ざり合い、石倉海運本社ビルの、廊下と同じになる。




