回折:古いアルバム・4
人気のない、古めかしい通りから一本入ると、街並みは、唐突に都会の色に染めてあった。
水の流れは、昔そのあたりに城があったと示すもので、御殿よろしく建つ近代の姿を、おれは仰ぎ見る。
どこにでも走っている車で、ホテルの駐車場へ入る。
加瀬史は、慣れた様子で進んでいく。
扉の向こうは、格式高いとされる場所。それを押し開けたとき、半ば振り返り気味の加瀬は、あの写真から抜け出した人になった。
体のラインに沿った、見事な仕立てのスーツ。美しいカーペットの上に立てば、ここはかれのための舞台になる。
ロビーの椅子に腰掛けた年配の女性は、手元の本から視線を外さざるを得なくなり、スタッフは声のかかることを期待する。待ち合わせをしていたはずの誰かを忘れてしまった、通りすがりでしかない男……。
流れている音楽は加瀬の登場のためのテーマソングになった。
少し離れたところから怪訝そうにうかがい見る橋田の姿をみとめると、加瀬は手を挙げた。
「加瀬……さん?」
「ごきげんよう」
橋田は、上から下まで、なめるように視線を動かした。
「どうです。失礼はないでしょう。さすがに、やんごとないおかたの前へ出るわけだから」
「ええ、まあ。その程度にはきちんとしてもらわないと、わたしの立場ってものもありますからね」
そのとき、おれは気づいた。加瀬は、常日頃から、自分自身が輝きすぎないように、気を付けていたのだ。あの結婚式のありようが、本来の加瀬の姿だったのだと。
「では、向かいましょうか。今日は、先生とはおよびしませんよ」
「結構だ」
エレベーターの中で背を向ける橋田からは、いつもとは違う雰囲気が漂っている。へつらうような慇懃無礼さはどこへやら。スーツの袖がワイシャツより長すぎる。露わになったのは、かしこまったはずの、教養のなさ。
最上階に着くと、屈強そうな男が等間隔に立っていた。
「ワンフロア借り切っていましてね。それなりのご身分のかたには、護衛も要るってものです」
男たちは、およそ、まっとうな生業についているとは思えない人相をしていた。
「五百旗頭さまに害をなすようなものがあったら、ズドン、とやられてしまいますよ」
橋田は、かれらに視線を投げながら、にやついてみせた。
やがて目的のところへ着くと、かれらの、内々の約束通りのやりかたで、ドアの鍵は開けられた。出迎えたのは山中である。一瞬、その瞳に動揺の色が見えたが、すぐにそれは消えた。
「しばらくここでお待ちください。取り次いで参ります」
橋田がそういうと、山中が奥に消えた。
「現代の日本で、お家柄だとか身分だとか、そうした概念はもうないものだと思っていたけれど、あるんだね」
加瀬の言葉に、橋田は眉をひそめる。
「下々の人間には、わからないこともあるでしょうがね」
「あまりそういうこと言わないほうがいいよ。血筋や、家柄なんてものは、今日は考えから外したほうがいいと思うんだが」
物陰から山中が様子をうかがい、また引っ込んだ。
「……お家や、血の尊さのよくわからない無礼な者があるようです。いかがいたしましょう」
「かまわんよ。却ってそうした人間も面白そうだし、余興として、顔を見てみるとしよう」
「一旦お目にかかれば、五百旗頭さまの威厳に、おそれかしこまるばかりでしょう」
「うむ。わたしが教えてあげましょう」
明らかに、こちらへ聞かせるための茶番のあと、出てきた山中は、橋田に合図をした。
「粗相があったら、わたしが許しませんよ」
低い声で、加瀬とおれにだけ聞こえるように、橋田がささやく。
その仕切りの向こうには、燦々と陽が射していた。大きくとった窓の先には、城の堀跡が悠然と水をたたえて広がり、ここを現代の天守閣として見立てた設計の意図が目に飛び込んでくる。
ミニテーブルの向こう、ソファーにしっかりと身を埋め、指を軽く組んで構える男の姿があった。
太陽光によって、その輪郭に気品めいたものを飾り、何がしかの主といった感覚を与えるよう計算した跡が見える。
作り物めいた微笑を浮かべたこの男は、おれたちが入ってきても、そのままの姿勢を崩さないつもりでいるはずだった。
「あ! いけない。何をしているんですか!」
橋田が慌てた。
加瀬は席に着こうともせず、正面のソファーの男に歩み寄っていく。




