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回折:古いアルバム・1

 古びた風景のなかで、はにかんだ笑みを向ける男。


 少しも様変わりしないこの町の、どのあたりなのかは、すぐに見当がつく。


 アルバムにちりばめられた思い出たち。


 ページをめくるたびに音を立てる、張り付いたビニール。


 加瀬史の、一見してわかる知性の奥をこじ開けて、その先にある憂いのもとを探り当てようとする。


 新婚旅行に出かける時、既に、いつもの、もの悲しい瞳の色は消えていた。半月にも及ぶ長旅が終わって戻ってくれば、きっと、もっと朗らかなひかりをたたえているに違いない。


 おれはアルバムを棚に戻した。そして、次の一冊を手に取ると、思いもかけないものがそこにあった。


 石倉の祖父らしき男、猛、律、史が揃って写っている一枚である。


 見つけるなり、おれは自分の表情が険しくなるのがわかった。すぐさま閉じて元のところに置いた。


 外は雨。閉じられたままのカーテンから、濁った白の光が隙間から差し込んでくる。


 旅行の間、るみは祖父母の家、おれは加瀬老人の家で過ごすことになっていた。るみのいない週末を迎えるのは淋しかった。


 階段を降りて、居間のほうへ行くと老夫人がいた。


「いま、水ようかんを開けるところよ。一緒にどう?」


 畳の上には、加瀬老人が寝転がっていた。


「おれにもくれ」


 横になったまま、声をかける。眠ってはいなかったようだ。


 テレビから天気予報が流れる。あと数日降り続けば梅雨入りかと言っている。


 その時チャイムが鳴った。老夫人が向かう。


「良ちゃんのことで話があるとかいう人がみえて……」


「上がってもらえ」


 水ようかんをのせるための皿は空のまま。


 ほどなくして、やってきたのは、橋田であった。


「加瀬先生は……」


 橋田が口火を切った。


「あいにくと、新婚旅行で留守でね。さて、お話とは何でしょう?」


 老人の言葉をうけて、ちらと橋田がおれをうかがい見る。


「あのう、このまま、お話をしても?」


「良のことで話があるんだろう。当人に聞かせられないような内容かね」


 茶が二人の前に置かれる。老夫人は少し離れたところに座った。


「このたびは加瀬先生のご結婚、まことにおめでとうございます。聞けば、奥様には連れ子がおありとか。これから先のことは、どのようにお考えになりますか?」


 老人は黙って茶を啜る。


 雨は音をたてはじめる。


 風が次々と勢いのある雲を連れてきて、空は暗い。


「良くん。きみは、加瀬先生のこれからの幸せについて、どう思う」


 橋田の身なりは、一見、紳士のようであった。しかし、どこかバランスを欠いていて不自然だ。夏物のスーツ自体の生地か、シャツか、ネクタイか……なにかが調和していない。ただ、かれ自身の首が、服の上にすげられているといったふうに。


「これからだよ。きっと加瀬先生には新しくお子さんが生まれるだろうね。きみができることといったら何?」


 目がぎらついている。子どもに対するときのものではない。


「いくらなんでも顧問弁護士だったというだけのかたに、甘えすぎじゃないのかな。きみはもともとお金持ちの家の人だったからわからないだろうけど、ひと一人養うのに、どれだけ必要だとか考えたことがあるの?」


 おれは、今更ながら、猛とのやりとりを思い出した。さっき見た写真には、自分より弱い立場には容赦しない、むごい面が既に現れていた。およそ知恵でも弁でもかなわないとわかっているものを、平気でなじる人間性が、見た目にも隠しようがない。


「子どもだからってね、あまりにも、ものがわからなさすぎだよ。周りも言いにくいんだ。だから今日は、わたしがひと言、きみに世の中のことを伝えに来た部分もある。きみは横着すぎるよ」


 正義の人であるかのように橋田は振舞う。


 あの日、旧石倉邸の敷地で口にした真相を、おれだけは知っている。


 この男はまっとうな人間ではない。


「おい。言ってくれるじゃないか」


 加瀬老人の、低い声がした。


「この子には、れっきとした親戚がいます。そこを頼るべきなのです。それが今この県の西側に福祉施設の建設を予定している、五百旗頭いおきべ家の長男さんです。不幸なことになってしまった良くんに、愛の手を差し伸べずに、どうして他人を救うことができるだろうと。わたしに、良くんを、しかるべき所へ連れて来させよ、とおっしゃったのです」


「いらん世話だ。帰れ」


「しかし……」


「出て行け。二度と来るな。お前は良に何ということを言ったんだ。子どもを傷つけるだけの話を、まるでいいことのようにぬかすな! ……塩持って来い!」


 橋田は不快な表情で立ち上がり、おれのほうへ向き直った。


「お前は、この家の邪魔者だ!」


「帰れ! 大馬鹿者!」


 橋田はさっさと自分で玄関へ向かい、出て行く。塩を持った老人が追いたてる。


 外から猛烈な罵声が響いた。


「二度とうちの敷居は跨がせんぞ! 悪人め!」


 戻ってきた老人は台所で手を軽く流し、おれのそばに立った。


「誰もお前のことを邪魔だなんて思わない。ここも、史の家も、どっちもお前の家だ。ああした馬鹿者が来たら、すぐに言え。必ず追い払ってやる。いいな」


 おれはうなずいた。


「さあ、皆で水ようかんを食べるか。良はどれがいい?」


「ぼくは、お抹茶をいただこうかな」


「うむ。それでいい」


 老人はそういって、おれの頭をやさしくなでた。

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