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放射冷却の午後・5

 海の中へつづく道は、潮がなかば消していた。


 これから引いていくのか、満ちていくのかはわからない。先へ行くのを諦めて引き返す。


 鳥居は海にあり、そこが人間の道ではないことを示している。


 波のせまる際に遠浅の干潟。露わになった海と陸との中間は、こうしてみれば、どこまでも歩いていけそうな気がしてくる。


 しかし、それは罠なのだ。足を踏み入れたら最後、ぬかるみにはまって脱け出すことはできない。


 昔のまま変わらぬ、鈍色の海の匂い。沖合を行き交う船。立てられた支柱は、海苔をしずかに水中で養っているしるし。


 振り返っては一歩、進んではまた振り返り、遠ざかっていく。


 すれ違った男がひとり。海苔師のようだ。


 おれは会釈をしたが、相手は不審そうに一瞥しただけだった。


 もしも誰かに会えたなら、おれだと気づいてくれる人がいてくれたなら、すべての言い訳はむなしくならずに済んだ。


 強風の予報で延ばした日程。わざわざ取った、隣県での航空機のチケット。


 乗り捨てを前提にした、レンタカーのエンジンをかける。


 この間、黒塗りでは行けなかった場所のために、おれはここを訪れていた。


 とうの昔に取り壊された加瀬の家。一帯は開発され、番地ごと消えてしまった。


 知っているはずの土地で、おれはまた異邦人になる。


 この角の向こうにあった古い家。そこに住んでいた女の子。顔もはっきりと思い出せない。


 あの子はどう笑うのだったっけ。きっと、おれがいたということも、思い返しさえしないだろう。


 海と山の位置だけが変わらず、無関心に、そばにあり続ける。


 空からは燦々と陽が降り注ぎ、無数の腕を差し伸べているが、おれのもとへは至らない。


 山の向こうには平野が広がり、川が流れ、間近の海へと注ぐ。いくつもの橋がかけられ、周辺には船が繋がれていることだろう。


 人のほとんど通らぬ、寂しい道の脇に止めて、おれは静かに涙を流した。潮風と同じ匂いがして、こうしたとき、海がおれの中にあるとわかる。


 橋の上を、一台の車が横切っていった。

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