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放射冷却の午後・4

 風が強く吹いていた。わかりきっていたことだった。


 予報は、この連休に、晴れた空と荒れる海をもたらすと告げていた。いつだって、未来のことはその場になってみなければわからないが、おおよそのところをはかるぐらいはできるのだ。このホテルに入ったときのように。


 波留の着物は、先ほどまでと変わらず乱れていない。おれだって、コートは手に携えたまま。


 二人して、車寄からタクシーへ乗り込む。行き先は、おれの泊まっているホテルだ。電話してみると、遅めではあるが、ランチを予約することができた。


「ところで、ディナーはどこにしようか?」


「ランチもまだなのに」


 波留は笑った。


 その表情に翳りを探してみる。例えば、会話を終えて、ふと視線を移しかかるときなどに。


 窓の向こうにX市を眺めるふりをして、波留の横顔に焦点をあてる。


 群れのうちには、帽子をおさえて、歩道を進むいくつもの影。


 店先に出した看板をたたみながら、空を見上げて、その晴れやかさに首を傾げる人。


 雲ひとつなかったとしても、それは風がかなたへ追いやってしまっただけのことで、穏やかさは見かけばかり。このビル群のさきの海では、白波がたっているはずなのだ。


「ランチが終わったら部屋へ戻って着替えよう。それから、波留の行きたいところへ、どこでも出かけようじゃないか。なんなら、レンタカーで、おれがお抱え運転手になろう」


 このタクシーに張り付いてくる車。ボディーガードの契約はまだ継続中だ。波留はおれのX市入りに合わせて、同じホテルに泊まっている。


 しかしその日は、結局どこへも出かけなかった。


 夕食もルームサービスで済ませた。特段、波留は出かける気にもならなかったのだろう。


 救いは、このスイートルームに、プライベートなミニバーが備え付けてあったことだ。


 同じウイスキーを、ロックグラスと、ロングのタンブラーに注ぐ。おれはバースプーンを用いて、それぞれの飲み物を作った。波留のぶんはコーラで割り、度数をかなり低くしている。


 テーブルにはそれなりのオードブル。互いのグラスを置き、おれも腰を下ろす。


「わるくないな、こういう造りも」


 ミニバーには立派なカウンターがあり、様々なものが扱いやすくなっている。


 テレビは、ここ数日、強風に注意と繰り返し告げていた。


「連休明けまでいらっしゃるんでしょう」


「そうだよ。おそらく、連休最終日は、強風で飛行機が止まるとみている。一泊余計に、こちらにいるよ。帰りの飛行機は、X市からだと大変なことになりそうだ。だから、隣県の小さな空港から乗ることにしている」


「慎重なのね」


「一応、風をみる仕事でもあるしね」


 聞いたことのない地名が画面に表示され、おれの地図の空白を埋めていく。知らない航路の存在が、海を表す青に浮かび上がる。


「これでまた、おにいさまは、五百旗頭の家と仲が悪くなってしまう……」


 グラスをのぞきこむ波留は、その風貌になにを見るのか。


「そもそも、どうしようもなく仲は悪い。それはおれに問題があってのことだ。きみの立場をなくしてしまったから」


「そんなこと言わないで。当たり前でしょう」


「おれが会社を倒産させかかったとき、助けようとして、きみは、銀行に乗り込んでいった。他の者は嫌な顔をするさ。五百旗頭がどうしてそこまでしなければならないのかと。後見人が、年端もゆかぬ被後見人に世話をかける……原因は、おれのふがいなさ……」


 テレビは切り替わり、画面には、インタビューに答える、どこかの企業のトップ。模範的でありながら、野心のスパイスもきかせて、事業への熱意を演出させている。


 おそらくかれに休日らしい休日はない。不在がそのまま戦力低下に直結するはずだ。


 間違っても、連休に休みをさらに加えるなどということはするまい。


 スタイリッシュないでたちは、自分自身が広告になると計算してのものだ。


 かれは語る。仕事は楽しい、と。それが真意かどうかはさておき……。


「おにいさまが後見人を引き受けてくださらなかったら、わたし、きっと、ずっとあの家でいじめぬかれていたはず」


「当たり前のことさ。見かねて、きみのおじいさまは、ご自身の養子になさり、長一郎先生から親権を取り上げたのだ。生前贈与までして、跡取りに据えて、きみを守った。その後を頼まれて、知らないと言うことは、おれにはできない」


 おれはグラスに口をつけた。濃い。カウンターへ向かい、水を注ぎ足す。


「実の子をいじめる親は、この世に一人ではない。実の親にいじめられる子も、世の中に一人しかいないわけではないのだよ」


 波留は、はっとして、おれを見た。


「親が言うから。他人が言うから。周りがああだから……。だから、なんだ。自分の人生を、自分で択べないように追い込まれていくのは、見るのも嫌だ」


 バースプーンを底まで入れると、氷が一片浮き上がり、グラスから飛び出していった。それを払いのけるようにして、カウンターの向こうの流しに捨てる。


「自分の人生は自分で決める。その邪魔をするやつは許さん。視界にも入れたくない。無難にことを済ませよう、などといって積極的に屈するやつ。生きるためだから、と、誇りをなくすようにすすめてくる卑怯者は、なおのこと許さん」


 立ったままカウンターにもたれかかり、口をつける。今度はいい具合だった。


「人間、どうしようもないときはある。でも、意志表示はすべきなんだ。そのうえで、負けるとわかっていても、やらなきゃいけないことはある」


 グラスを手のひらで転がし、ほどよく馴染ませて、ぐいと傾ける。


「きみはノーを突きつけた。周りがこうだから、仕方がないから……と自分自身に変な言い訳をして、諦めてまで生きようとするみちは採らなかった。楽な途とわかっていても択ばない。命懸けで蹴飛ばした」


 波留の目はうるんでいた。


「誇りだよ」


 おれはグラスをあけ、カウンターの内側にまわり、次の一杯を作り始めた。


 うつむいた波留の手もとに、雫が落ちるのが見えた。

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