放射冷却の午後・1
いよいよ押し詰まった年末の街を見下ろすと、どこかの建物のなかに、自分のような人間を探してしまう。
いくつものガラスと太陽の光が、少しずつおれの姿をゆがめていって、誰の貌になるのだろう。
どうしたって、結局、自分以外になれるはずもない。まぶしさが年輪を飛ばして、遠いきのうのふりをするだけ……。
「餅つきには間に合わなかったなあ。もう少し早く来たら良かったのに」
森行夫は自邸の離れで笑った。その窓辺の景色は、ある時期、毎日眺めていたもの。部屋はおれがいたときと変わっていない。
家族のいる場所を避けて、おれと二人、むかしのままに向かい合っている。
「いつだってここは、あなたの居場所なんだ。なにをかしこまることがあるだろう。実家だよ。当然のようにおいでなさい」
二人の前に置かれたそれぞれのためのコーヒーは、少しだけいつもと趣が異なっている。コースターの上で待ち構えている耐熱ガラス。クリームものせられ、一見ひどく甘そうなのは、きっと寒さをいたわろうとしてのことだろう。
口をつけると華々しい香りが先にたって、つい表情がほぐれる、アイリッシュ・コーヒー。
「あまりよろしくない話をしにきたようなものですが……」
おれは波留の話を端的にまとめて森に伝えた。
「気になるのが蔵人氏の母親です。その祠を建てたのは、もしや」
森はカップを置き、鈴を鳴らした。入ってきた屈強そうな男にひと言ささやく。するとすぐに男は出ていった。
「年明けか。パーティーとやらまでには、何もかもわかるよ」
庭木は見事に手入れがなされてある。ひときわ目立つ常緑の一本は、太い幹にどれほどの年輪を抱えているか、うかがい知るのも難しい。
「ありがとうございます」
鳥がどこかでさえずっている。何を伝えようとしているのか、おれにはわからない。そのうち、連れ立って飛び去っていくのが見えた。
「きっと頼子さんだろうね」
森はアイリッシュ・コーヒーをゆっくりと味わっている。
無理に時を止めたままのこの部屋。暦は長い間飾られておらず、壁紙の色も変わりなく均一。
「律さんを義父にもち、頼子さんを妻に迎え、あなたのような子が授かれば、という夢を見ていた」
庭の隅のさざんかが花びらを散らし、昨晩の雪に似せて、地面を彩る。
「ぼくが思い悩んでいるのを知って、半ば強引に猛さんは話を進めようとしていた。ところが、留学から帰ってきたら、石倉家ごとなくなっていた。頼子さんは、行方も知らせずどこかへ消えた。つまるところ、ぼくのおか惚れ。ただの一人相撲」
森の手には大小皺が刻まれ、もう、その肌には、若さのかけらも残っていない。
「いってしまえば、ひところここへあなたを招いたのも、頼子さんの面影を近くに留めておきたかったせいもある」
黙り込むカップのなかのおれ。傍に立つ木の柱は、表面を見事に加工され、時の流れた跡がしみ込む隙間もないほど。
「いや、いつか、頼子さんがあなたを訪ねてこないかとさえ……。みにくい下心のなせるわざだ」
「そんなことは」
森は、ふ、と笑った。
「そのくせぼくは、他の人と結婚していたりしてね。子どもも持った。逢ったところで、どうにもなりはしない」
二人の前にはよく手入れされた冬の庭がある。
「ようやく手がかりが見つかったと思ったら、もう亡くなっているようだという……」
正午を過ぎれば、急速に陽は西へ駆け足。少しずつ翳りはじめ、雲も厚く空を覆う気配をみせてきた。きっとじきに、年末特有の湿った寒さをもたらすことだろう。
「未練だよ。叶わなかったから、いつまでもいつまでも残り続ける。結ばれていたら、一度でも男と女になっていたら、こうはならなかった」
華やかな香りと苦味が、口のなかに芳しく広がる。
「逢いたい、逢いたいと思いながら……」
溶け残りの最後の雪が、どこかで落ちる音がした。




