クリスマス・プレゼント・3
中庭といえる場所では、噴水がしきりに踊っていた。ところどころ当たる光も、暮れなずむ頃には幻想の彩り。
何せ大きなモールで、造りが独特なため、いつも迷ってしまう。入口を何度も確かめて、指定の地点へ向かった。
ところが、あたりにはそれらしき者の姿はない。
少し離れたところや、階段の袖付近も探してみる。
夕刻すぎの、空の仄暗さと、そもそもの造りの影の多さが、遠近感を失わせていく。
そのなかで、待ち合わせの場所とあわせて考えると、自分がどこのエリアにいるのかわからなくなってきた。
通りすがりの誰かを何度見送ったかしれない。ただ、波留を一瞥もせずに行くあたり、この人は違う、という、あてのない探しかたをする羽目になった。
そのとき、不意にメッセージが入った。
「少し明るいところをごらん」
見回すと、確かに照明のはっきりとした場所があった。
そちらへ近づいていく。
待ち合わせの相手がどういった風貌か、記憶にさだかではなく、該当しそうな人物を何度かうかがい見ていると、一人の男が手を振ってきた。目の前にいたのが、やりとりの相手だったのだ。
「大鳥蔵人です。波留さんだね。こんばんは」
あちらにも予定があるのだろう。待ち合わせはその後、宵の口になるのは当然だった。二人とも適当な社交辞令の物言いをして、あっさり用件だけを伝えられれば終わり、と思っていたが……。
「せっかくですよ。ぼくにご馳走させてください」
モールに接続された高級ホテルのエントランスということに気づかなかった。すでに、内側からスタッフが迎えに来ている。
「レストランに、二名で予約の、大鳥です」
「お待ちしておりました。ご案内いたします。どうぞ」
先の二人は、当然のように進んでいく。
「……味気ないでしょう。その辺で立ち話なんて」
振り返る蔵人についていかなければ、祠のことはわからない。波留は仕方なくレストランに足を踏み入れた。
窓からはX市の中心部が見える。すっかり都会の貌をして、流れる川にネオンのリフレクション。
アペリティフを掲げて、蔵人は微笑む。あまりにその仕草は自然だった。かれの品の良さと相俟って、好感を持たせるには、本来ならば充分だといえた。
「驚いた? ぼくは、東京のそれなりの事務所に籍を置く、建築家だよ。ネットで検索してごらん。確かにぼくだとわかるから」
自信たっぷりに語る蔵人。カトラリーを操る手の動きはなめらかで、いかにも場慣れしている。
「祠のことなんだけど、どうして気になるの。他の皆は、さして、そこまで追求しようとはしていなかったけど」
前菜が運ばれ、ためらっていると、蔵人はすすめてきた。
「つまらない遠慮なんて、なしでいこうよ」
しっかりと空調の効いた室内。秋の入口といえども、なぜか寒い。街路樹のざわめきは風の強さを教える。西に遠く黄昏が残る。
波留はカトラリーを手にしたまま、この状況について考えた。なぜか逆らえない。妙な力がはたらいている気がして……。
「以前、似たものを見たことがあって」
流れてくる音色はいつか聞いたようなもの。スタッフの制服の襟に光るバッジ。落としすぎていない、ほど良い照明。香りのすぐれた飲み物。すべてがロマンスの舞台装置。
「あの祠はね、ぼくの亡くなった母が建てたものらしいんだ。私的に何かを信仰していたのかもしれない。周りに聞いても、そのくらいしかわからなかったよ。でも、実家の蔵などあさる機会があれば、さらに出てくるものもあるかもね」
主張しない眼鏡のフレームが、かえって、かれの風貌に潜む高貴さを引き立てている。
「そうだね、きみを実家へ招いて、蔵を調べられるようにしたっていいよ」
スープは冷製だった。器は白くなっているほどだ。
「いえ、そこまでは……」
それからも蔵人は、波留に親しげにものを言うのだった。
帰り際、さすがに部屋に誘うということまではしなかったが、その後何回もアプローチはあるという。断り続けていると、大鳥哲人事務所から、人が訪ねてくるようになった。
背中の向こうに本降りの音。時折光る空。少し遅れて雷鳴。
「どういうこと……五百旗頭の祠と同じ、あの封がしてあったの?」
「間違いないはずよ。わたしも驚いてしまって」
おれは、妙に明るさを感じる部屋のなかで、報告書から目が離せない。
石倉の者しか、あるいは、五百旗頭の跡取りにしかわからないはずの封が、なぜ……。
風が窓ガラスを叩く。雨と思いきや、硬い音がする。白くはっきりとした粒が、勢いよく空から無数に降り注ぐ。
「しかしこの男、気持ちが悪いな。モールに待ち合わせした時点で、きみの身上は把握していたんだろう。なんとしてでも五百旗頭のお嬢さまに好感を持ってもらいたいと思った。ところがどうだ、突然、騙したかのようにして、初対面同然で二人きりのホテルディナーときた。生々しすぎる。中年の男と女だって、もう少し手順というものを踏むぞ。相手は初々しい大学生……ああっ、もう、考えたくない! まったく」
おれはため息をついた。
「実は、きみと大鳥蔵人氏の縁談が進められようとしている。いまの話を聞けば、おそらく、大鳥氏側からの申し入れだろう。五百旗頭の家は、うまく言いくるめたのかもしれないな。それについて、きみは乗り気か?」
「冗談じゃない! 何を考えているのかわからない人だし、お断りよ」
「当然だよな。はっきりその答えを聞きたかったので訊いた……。年明けのパーティー、出席してやろうじゃないか。身内と同伴で良いかときいてごらん。必ず了解するから。きみはしっかりと自分の意志を伝えるんだ。おれもその場へ同行する」
電話の向こうで、ああ、と声が漏れる。
「きっぱりとね。このままでは何も解決しない」
「ごめんなさい、おにいさま。ご迷惑をおかけして。わたしがのこのこついていったから、それが原因だとわかっているから、いままで言い出せなかったの」
「やたらと誘うやり口ばかりはうまい類って、いるものだよ。断りきれないようにもっていくのが。おれだって、きみの立場ならついていってしまうよ。普段から気をつけているのは知っている。こんなやりかたをするほうが、いやらしいのさ。かえって、縁談を断るべき相手だと、おれは思うね」
目を閉じて、椅子にもたれかかる。
「年末年始はお友達と一緒にいて、極力一人にならないように。大至急、ボディーガードを手配するよ」
本当に安心したのか、電話を切るまで、波留は何度もありがとうと繰り返していた。
蔵人の、亡くなった母親とは誰なのか。
紐を出して、何度も何度も解いては結び……。美しい女、頼子の面影がよぎる。
ため息とともに立ち上がり、都会を望む。
雷鳴が轟いたのち、どこかのシャッターがまくれ上がって破断し、飛んでいくのが見えた。




