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回折:日没のとき・2

 太陽が分解されて散らばり、そのかけらをもう一度集めて固め直したような煉瓦色。


 わずかに這わせた蔦の小さな葉も、一部は枯れ、干からびている。


 潰した花壇の跡から、本宅のほうを眺める。


 別棟との境界線には仮囲いがなされ、往来は容易に行われなくなっている。


 その向こうから砂埃。あっという間に荒れ果てた庭。


 ところどころ斑らになって、はげた芝生。ある箇所は伸び放題になり、本来あるはずもない、外来の雑草が茂り始めている。


「こうしてみると、手入れがやたらに要るような場所ですな」


 スーツの男が二人。手前側の者が口を開いた。


「面倒だ。とんでもない贅沢をしていたもんだ」


 奥の男をおれは知っている。


「この囲いの向こうまではセットではなかったんですね、山中さん」


「ああ、ここの親父の弟のものだった。名義は一緒かと思っていたが、これだけは想定外だったな。やってくれたよ。ここの娘は」


 おれはそっと物陰へ移動し、耳をそばだてた。


「この石倉をあなたのものにしろ、とやってきた。猛、つまりここの親父はその器ではないと言って。しかしなあ。実の伯父相手によくやるなと感心するぜ」


 煉瓦塀のほころび、そこには、枯れた蔦の端が絡まり合って、詰め込まれたようにも見える。


「わたしにはわかりませんが、何か恨んでたんですかね」


「おれもそうだと思ったんだが、違うと言う。何も答えない。それ以上、わけを尋ねても意味がないさ」


 手前の男は、山中の話を黙って聞いている。


「ここには息子が二人いたんだ。利口な長男と馬鹿な次男。誰がどうみても、次代には、長男の利口のほうを据えるよ。当たり前だよな。この長男は、どうも、末恐ろしい感じでね。こんな奴が継いだら周りは大変だ。だからおれたちは本気で次男を推した。そうしたら、跡取りには次男のほうを据えると言い出した」


 片付け損ねて、土に帰りかけの植木鉢のかけら。煉瓦と同じ赤さで、見落とされたまま、時が被っていく。


「ただね。親父の弟ってのがいてね。この男がいかにも貴族そのものでさ。かくいうおれも、目の前へ行けば、ははあと自然に頭の下がるような人物だったのさ。これが利口な長男を可愛がっていた。石倉を壊すなんて無理だと諦めていたよ。せいぜいあの親父にごまをすっていい目を見ようと決めていた。ところがだ。この貴族が突然死んだ」


 二人は手に飲み物を持っていた。山中はそれに口をつける。


「それからしばらくしてからさ。貴族の娘がおれを訪ねてきた。やり方を教えるから石倉を潰せとな」


 冬の風は北から寒さを連れてきて、太陽の光に混ぜておく。遠く高い空を見つけたら、暖かいコートを羽織って、薄青のカンヴァスに描く夢を探しに行こう。


「こわい女ですな」


 青は何も空に限ったものではない。今の季節、寒い色した海の踊りのまにまに、浮かんでは沈む、誰かの夢を見たっていい。


「橋田。お前は絶対にこいつに関わり合ってはいけないぞ。こいつの手引きのおかげで、弁護士などに相談をする間もないようにして、うまくことが運んだんだ。その知恵を授ける代わりに、手引きをする代わりに、分け前どれだけとられたと思う」


 手前の男、橋田は手をかざし、待ったをかけた。


「その別棟、誰もいないんでしょうな」


「さっきまで石倉の顧問弁護士と話していただろう。今はあいつがここに寝泊まりしているだけだ。誰もいない。あの女は海外。利口者のガキは今の時間は学校だ」


 おれは息をついた。


「途方もない額、取られたぜ。そもそもありもしない借金なんだから。あの女のぼろ儲けさ。タックスヘイブンにスイス銀行。雲の上の話ばかりで、おれが怖気づいたよ」


「顧問弁護士、あの人、何も……妨害もごねたりもしませんね」


「あれは人の良いお馬鹿さんだ。愚直に手続きをこなすさ。心配いらない。これもあの女の受け売りだけどな」


 山中はぐっと飲み物をあおる。ひどく喉が渇いているようだ。


「結局、おれたちが踊らされた。石倉を丸呑みしたのはあの女だ。ただ、うまいのは、これからおれたちが今以上に稼ぐ手立てというのを、本当の利として寄越したところさ。橋田よ。騙し騙され、こういう間柄になってしまったが、これから仲良く手を組んで儲けていこうじゃないか」


 山中は、橋田の背中を軽くたたいた。


「おれはこんなところに生まれつかなくて、本当に良かったと思うぜ。地獄だよ。この石倉ってのは」


 男たちの足音は遠くなり、車のエンジン音が聞こえてくるまで、おれはそこに座り込んでいた。


 乾いた土。しばらく降っていないせいでひび割れている。もう何年も、花ひとつ植えられた形跡もなく、日々の自然の営みが描いた抽象画が空へ向けられている。


 おれはポケットから出して紐を用い、封を解いては結んだ。これを教えたとき、頼子はおれを跡取りにすると言った。あの時の表情から読み取れるものはない。


 石倉邸は、すべての活動を止めて、ひっそりと風景になりつつある。


 高い屋根も崩れ、窓枠も飛んで行き、ホールの絨毯も破れて、柄を損なう日が来る。


 いつか望んだスタートラインは、この、眼前の囲い。


 太陽はだんだんと傾き、黄の色彩を帯びた世界のなかで、おれは幸福にまどろんだ。

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