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因縁・1

 眩しい。


 目の前で輝く青い炎のゆらめきに、視線を外すことができない。


 蝶ネクタイの男が、おれの前にカップをサーブする。軽くうなずくと、男は一礼して去っていった。カウンターの内側へ戻るのだろう。


「しゃれたものを頼むんだなあ」


 東知之は、おれのすぐそばでこぼした。


 おれたちについている女たちは、ほう、と見とれた時間から、そのひと言で現実に引き戻される。


 角砂糖にブランデーを落とし、それを燃え上がらせてコーヒーに溶かす、カフェ・ロワイヤル。


 おれは磁の器に手をかけ、微笑みとともに口づける。


「趣味の良いお店です。だから、きっとここのバーテンダーさんも、そうしたオーダーを受けてくださるのではないかと思いまして」


 東はホステスたちに話しかける。


「今まで、こういう注文を受けたことってないだろう?」


 皆一様にうなずく。


 東の行きつけではあるが、クラブではなく、少しばかりくだけたバーラウンジへやってきた。こういう行き先の設定からして、やはり、眞波のいう通り、同伴は避けて正解なのだった。


「あまり、わたしは、酒に強いとはいえませんからね。楽しむためのチョイスですよ」


 おれの隣の女はべったりと体を寄せている。前回の店より色々と距離が近い。


「こらこら、そんなにくっつくな。かれは独身じゃないんだ」


 おれは、はっとして東のほうを向く。


「ぼくは、気楽なシングルだよ。かみさんが、早々と長い眠りについてくれてね。それ以来、ずっとね」


 かれにはかれなりの淋しさがあって、こうした店に通わせるのだろう。


 すらりとした長身。それに這わせる衣服には、少しなりともだらしなさは見当たらず、行き届きすぎた手入れの跡ばかりが目につく。


 それはきっと、独り身の暮らしが、気を張らせている結果なのだ。


「もしかして東さん、クラシックな香水をお使いですか」


 ふと漂う、おれのものとよく似た香り。つい尋ねてみる。


「さて。ぼくにはそんなしゃれた趣味はないな。もしかして、お手伝いさんが使ってくれているリネンウォーターか何かかな?」


「ああ、やっぱり。わたしもなんだかいい香りがするときがあるなと思うことがあって。お客様のお使いのものとほとんど同じような香り……」


 東のすぐそばにいて、慣れた様子でかれに接している一人が、話を振ってきた。


「偶然なんですね。だからお二人は仲良し」


 おれに体を寄せた女が、そう言って顔を覗き込んだ。


 東は握りこぶしをおれに向けて掲げ、笑みを見せる。おれもそこへ軽く握った手を当てる。


「思い出しました。『ぶどうの葉』ですれ違っていますね」


 コーヒーからたちのぼる、遠いブランデーの気配。


義父ちちがいるところへ、ちょっと挨拶に行ったのです。そこから戻るとき、義父のいるほうへ歩いていらした……あのときの香りで間違いない」


「ぼくはまったく覚えていないが、そこで確かに御岳父様おとうさまにお会いした。きっときみの言う通りなのだろう。不思議に、縁があったのだね」


 カウンターの向こうで振られているシェイカー。いろいろな素材が同じ空間に閉じ込められ、自分ではどうにも出来ない外部からの力によって、新しく違う何かに変容させられていく。


「ちょっと失礼……」


 おれは席を立った。なるべく、居合わせる人の目を見ないようにする。


 大きな観葉植物の影から、由花子にメッセージを送る。早く寝んでいていい、と。


 そうしなければ、起きて待っているようなところがある。実際、この間、東と初めて出かけたときがそうだった。


 誰もいない、レストルーム。


 ひとりきりの時間。


 おれは鏡をのぞく。


 いつかの律がそこにいる。


 律の真似をすることで、他者と関わり合えるなら、それはそれで悪いわけではなさそうだ。


 このスタイルを保ち続ける限り、自分があの華やかさをまとうことができる。


 ……本当にそうなのか?


 ひとの真似をして、自分以外になろうとでもいうのか?


 昔から、おれ自身は、何も変わってなどいないはずだ。


 そうだろう……?


 ネクタイの曲がりを直して出ていく。


 そのとき、死角から女が現れた。さっきまで隣にいた女だ。おれの袖をつかみ、上目遣いの媚態を見せる。


「ふたりきりになりたい?」


 女はうなずく。


「まだ、だめ」


 おれは女の肩にぽんと軽く指先をあてた。


 席に戻ると、東はすっかり寛いでいた。


「かわいい子ばかりだろ。きみに口説かれたいのもいるさ。男のぼくがみても、問答無用の素敵なルックスだものな」


 東はおれに耳打ちする。


「誰か選べよ。今夜の相手。席についているのは、オーケーの子ばかりなんだぞ」


 そういう話か。唇をゆがめて、東を見る。


「きみら、きょうはとんでもなくラッキーだ。石倉くんは、日本でも指折りの富豪で、おまけにいい男ときてる」


 おれは黙ったまま、それには答えない。


「ところで、東さん。海が好きでこの世界に入った、とお聞きしましたが、きっかけは、何だったのですか?」


 東はかるく目を閉じ、ひと息ついてグラスを置いた。


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