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船だまり・2

 グラスのなかで氷がうたう。アイスペールに挿されたマドラーを、すくうように取り出す細い指。おれのための位置へ、作られてすぐのハーフロック。かすかに白い結露は、触れるなり消えていく。


「まいってしまうよなあ」


 あずま知之(ともゆき)はグラスを掲げ、おれへ笑いかける。


 そばにはべる女性たちの表情は、ビジネスばかりとは言い難く自然。


「ぼくは今日、ある人物と会いたくて出てきた。それなのに、いくら探しても、いやしない。そりゃそうだよ。ぼくのすぐ隣にいたんだからね。しかも、種明かしまで黙っていてさ。ほんとうにひとが悪いよ、まったく」


 そうだろ、と周りに同意を求めている。


「いやいや、お探しになっているのが、わたしだとは思わなかったんです」


 チョコレートをつまみ、ウイスキーに口をつける。銀紙を小さく丸めて、わきによけると、女はそっとそれを回収していた。


「まさか、天下の石倉海運のトップがだよ、こんなに若くて甘いマスクの男だと思うわけないじゃないか。だいたい、でっぷりと肥って、いやに脂ぎった、年かさの男だと相場が決まっている」


 女たちは、きらびやかな衣装をまとって笑みを浮かべ続けている。


 少し離れたところで、静かなピアノが奏でられており、あたりの調度もすぐれたものばかりだ。


 おれの真横の女性は上目遣いで、憧れと敬意に似せたまなざしを送っている。それには、人間としての礼儀に満ちた優しい目で応える。


 居並ぶ女たちはよくわかっていた。


 そこそこ若輩で、甘いマスクとなれば、ビジネスの世界では、舐められこそすれ、いいようにはならない要素なのだ。だから、一人として、その点をわざとらしく持ち上げもしない。


 おれとは違うもまれかたをして、今日まで生きてきた人々。


 爪の先まできらびやか。生活の気配を隠しぬいて、夢までもが身を飾るアクセサリー。まごころは貸金庫に収めて、当人以外でも引き出し可能のシステム。


「そら、きなすった。ママだ」


 着物の女性が現れ、挨拶をする。おれはあいにく名刺を切らした、と言って交換は断った。


「かれは恥ずかしがり屋なんだ」


 すっかり寛いだ様子の東は、ママにおれのことを話した。


 ピアノの音に聴覚をあずける。半ば個室になっているので、どうしても遠い。


 おれの知っているような曲が奏でられている。


 女はある一つの戸棚から、色々と取り出していた。おそらく、そのコーナーそのものが、東専用ということだろう。


「今日会合があってね。そこで知り合った石倉くんと偶然にも意気投合して、ここへ一緒にやってきたわけだ。もしかれがぼくとは別にこの店へ来たら、ばっちりもてなしてやってよ」


 東は今までに見た、どの実業家とも向きが違っていた。財力をひけらかすわけでもなく、昔ながらの人間性を持ち続けているだけなのだとしか思えなかった。


 人情もののドラマ、古いフィルムが、現代に蘇ったかのような、どこか泥臭い部分がある。


 おれは周りの女性たちの瞳の奥に、蔑みの色を探したが、見つけることはできないでいる。もしかすると、本当に来店を待たれている客なのかもしれない。


「じきに、きみとも、遠いながらもファミリーになれると思う。ぼくは大したことのない田舎者で、由緒正しい家柄でもなんでもない。やんごとないかたがたのなかで、作法など頼りにするしかないんだ。きみのことを」


 はたと東のほうを向く。


「正直、そうしたことを相談したくて探していた。知らない、わからない、とそのままにしていたら、息子に恥をかかせてしまうから」


 目を閉じ、しずかにうなずく。


「そんなこと、そんなことは、いつだって……」


 さなえのことを快く受け入れる態度をとっていてよかった、と胸を撫で下ろす。


「いうなれば、きみの御岳父様おとうさまに近づいた、嫌な商売敵じゃないか。そっけない態度くらいで済むはずもない、と覚悟はしていたんだ」


 飾りなく心中を語るのに、人払いもしない。皆一様に黙って、グラスを傾けるなどしている。


「わたしは、当人たちの心ひとつだと思っています。周りに妙なはばかりをして、自分の人生をないがしろにするのだけは、他の人がしているのを見るだけでも嫌なのです。わたしの仕事などお構いなしに、幸せをつかむ、と言い切ってくれたほうが、ずっと気持ちが良いので……」


 グラスをテーブルに置くとき、頬のあたりに、力が入っているのに気づいた。微笑みの表情だ。


「ありがとう。またこうして、時々、食事や飲みに出かけられるといいな」


 東の言葉にうなずく。


「さ、ケーキがありますよ。皆でいただきましょう」


 ママが黒服に指示してデザートを置かせる。なるほど、かなりの有名店のものをあっさりと用意できている。


「石倉さま、お好みのものをどうぞ」


 おれがチョコレートをつまんでいるのをよく見ていたのだ。左から二番目、と言うと、すぐ隣の女性が取り分けた。


 東は女性からフォークを口に運ばれて、それに甘え、おどけていた。


「なんだい、石倉くんにもしてやれよ」


 手でかぶりを振った。


 久しぶりに笑っている。


 おれは初めて会う他人に対して、つまらぬ愛想と打算なく、自然な表情をみせていた。

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